國分功一郎先生(@lethal_notion) による、自然権から考える「権利」

高崎経済大学経済学部准教授、國分功一郎先生による、自然権と人権に関する連続ツイートです。 ※順序違い等修正済み
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KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion

昨夕の話に多くの人から、あるある!という反応を頂きましたので、来週の授業でこの事を学生たちに伝えようと思います。

2011-05-25 15:36:48
KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion

何でこんな話が自然権についての講義から出てきたのかを少し補足。自然権というのは、自然状態で人間に与えられている権利として理解するのではよく理解できません。

2011-05-25 15:38:15
KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion

権利というのは、それを保証する上位審級がなければ存在しません。権利は資格であり、誰かに与え、認められるものです。

2011-05-25 15:39:37
KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion

すると、自然権というのは変な話なのです。だってそういう上位審級がない状態、政府も法もない状態を自然状態と言っているのですから。権利のようなものがない状態と定義したもののなかに、権利を発見しているのです。変です。

2011-05-25 15:43:12
KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion

つまり、自然権という時の「権利」は、通常使う権利という語とは意味が異なるのです。ここがしばしば誤解されている点です。では、自然権という時の「権利」とはどういう意味か?

2011-05-25 15:43:01
KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion

(少なくとも近代の)自然権は、社会契約論とともに出てきたものです。ホッブズを参照しましょう。自然状態だと戦争状態になってしまう。それは何故か。

2011-05-25 15:50:21
KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion

誰もが、自然権を思うがままに行使しているからだ、とホッブズは言います。それ故に、誰もが本当は平和を欲するという自然法則との矛盾が起こっているのだ、と。

2011-05-25 15:51:58
KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion

ここから、自然権を「放棄lay down」して、社会契約すべきだという話になるわけですが、さて、この場合、自然権は何を意味しているでしょうか?

2011-05-25 15:53:09
KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion

ここで自然権が意味しているのは、「何をしてもよい」という事実そのもののことです。何をしてもいいから戦争状態になる。つまり、自然権という場合、「権利」という語はこの何をしてもよいという状態を指しているのです。

2011-05-25 15:55:08
KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion

更にもう少し踏み込むとこうも言えます。何かをするというのは、その人に“与えられた”能力を行使するということです。ならば、自然状態において与えられた自然権を行使するとは、自然状態において与えられた己の能力を行使することに他ならない。

2011-05-25 15:57:30
KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion

つまり、自然権という時の「権利」が、何をしてもよいという事実そのものを指すということは、「権利」がここで、各人に与えられた能力を指しているということと同義である訳です。

2011-05-25 16:01:16
KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion

このことはホッブズが自然状態について述べていることから明確に導き出せます。導き出せるのですが、ホッブズにおいては、ごまかしというか、或る混同が見出されます。

2011-05-25 16:02:33
KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion

それは、先ほど述べたように、ホッブズが、自然権を「放棄するlay down」と述べているということです。というのも、自然権は要するに、自然状態では何をしてもよいという事実を差しており、畢竟、各人の能力そのもののことなんだから、放棄できる訳ないんです。

2011-05-25 16:05:09
KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion

食べるとか、なぐるとか、走るとか、歩くとか、そういうことを可能にする能力を「放棄」することはできません。では、何ならできるでしょうか?

2011-05-25 16:06:09
KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion

自制することです。我々には自然権すなわち自然が与えた能力がある。その能力を行使しないように自制することです。つまり、社会契約論における自然権の「放棄」とは、自然状態で与えられた能力の自制のことなのです。これは実に簡単なことであり、何でもしていい訳じゃない、ってなることです。

2011-05-25 16:08:17
KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion

このあたり、ホッブズは議論を混同させています。能力であったはずのものが、資格という意味での権利にすり替えられているのです。この点を明確に理解していたのがスピノザです。なぜなら、

2011-05-25 16:09:27
KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion

スピノザは、社会状態においても自然権は存続すると述べているからです。でも、これは当たり前のことなのです。だって、本当な好きなことを好きなようにできるという事実そのもの、あるいは、自然が与えた能力そのものを放棄することなんてできないからです。自制する以外のことはできないんです。

2011-05-25 16:11:34
KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion

余談ですが、時々、自然権としての人権という言い方を目にします。しかし、自然権という概念を論理的に理解するなら、この言い方はおかしいことになります。人権は認めなければならないものです。しかし、自然権は自然状態において与えられた能力のことなんだから、かみ合わないんです。

2011-05-25 16:15:07
KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion

人権の概念を否定するとか、そういうことじゃありません。自然権はそういう概念ではないということです。だって自然状態だったら誰かに何かを認めてそれを強制する上位審級がないんだから、人権も存在しないんです。人権は自然によって与えられるのではなくて、文明が認めていかねばならぬものです。

2011-05-25 16:18:03
KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion

さて、やっと本題。以上の話をした後で、いつもこの話をするんですが、俺は車の運転が怖いのですね。で、ある時に何でだろうと考えました(お前が運転が下手だからとかいったツッコミはなし)。

2011-05-25 16:19:57
KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion

で、気がついたんです、俺らには自然権がある。普段は社会状態を生きているからそのことに気がつかない。いや、その事実は隠蔽されている。でも、車に乗るとその事実をマジマジと見せつけられるのではないか。

2011-05-25 16:23:45
KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion

なぜといって、もし俺がふとハンドルを切ったりしたら、大事故が起こる。前から来る車に正面衝突も可能。やろうと思えばなんだってできる。しかも、甚大な影響を及すようなことができる。ただ、その後で罰せられるだけです。

2011-05-25 16:23:31
KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion

俺が車の運転がこわかったのは、自分は自然権をきちんと保有しているという普段かくされている事実に直面するからではないか。(お前、そうやって運転が下手なことを自己弁護するな、ってツッコミはなし)

2011-05-25 16:26:22
KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion

この話をしたら、昨夕のツイートした話を学生が書いてきたんですね。彼もまた、自分には自然権があって、それを何かのひょうしに行使してしまうかもしれない、配膳中に皿を持つ指の力を緩めてしまうかもしれないと思ったことを思い出したのでしょう。

2011-05-25 16:28:56
KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion

さて、こんな感じです。軽く説明しようと思ったら、すげー時間かかった。高崎で新幹線乗った時に書き始めて、もう最寄駅の新小平に着いてしまいました。ちょっと疲れた。連投失礼しました。

2011-05-25 16:30:15