「表現の不自由展」あいちトリエンナーレ検証委員会第2回〜それへの反響、津田大介芸術監督のコメント
上山氏は少し言い過ぎだと思った。あるいは不自由展実行委員からの批判を受けてのあの評価だったのかもしれない(だとすればそれこそ稚拙だが)。しかし、キュレーションが実際にどれくらい問題だったかということよりも、「キュレーションに問題があった」とすることの効果を考えた方がいい。
2019-09-18 06:19:10どんなに説明を尽くしても相互理解というものは究極的には不可能だ。しかし、その断絶をまるっと放置して独断専行的に展示を再開することは、現在の日本においては困難である。だから、それは「方便」なのだ。口喧嘩の相手と曲がりなりにも和解する上で、自分の主張を曲げずに謝る場合を考えてたい。
2019-09-18 06:23:34しばし、それは「言い方が悪かったところがあった。そこについては謝るよ」という形が取られる。これは遂行的な言語使用であり、この際、言い方が本当にまずかったかはあまり重要ではない。人は抜いた刀をなかなか納めない。だから、鞘を手渡し、示す必要がある。
2019-09-18 06:27:44だから、津田氏がいまのタイミングでキュレーション批判を難じるべきかは微妙。むしろ、その点に対する批判は甘受し、その上で河村市長への批判を行なった方が戦略的にもよいのではなかろうか。
2019-09-18 06:32:43全面勝利はもはや難しい。では、どこの部分を犠牲にするか。芸術祭において作品が犠牲となることはもっとも避けねばならない。作品は悪くない、キュレーションも悪くないでは、「では怒りを感じた俺たちだけが悪いのか」という感情が再び渦巻く(仮に真理においては彼らが悪いのだとしても)。
2019-09-18 06:36:53知事は末期症状。自動リプライか?安い外部委託か?こんな定型文連発(しかもリンクも貼ってない)で何かメリットあるか? pic.twitter.com/mdTtPgVjvk
2019-09-18 06:40:20ネゴシエーションには常に戦略的妥協が求められる。交通事故のそれと同じ。共同体の維持においては明確な「白/黒」の裁定はコミュニケーションの断絶をもたらすがゆえに忌避される。目的を「正義の履行」にではなく「この国でこの国の人々とともに表現を続ける」ことに置き直した方がいい。
2019-09-18 06:42:55さりとて、津田氏のキュレーション批判・批判もまたあえてのものだとすれば、それは不自由展実行委との協働体制に入ったとも受け止められる。そうであるなら、それもまた前進ということか。
2019-09-18 07:03:53僕としてはしかし、今回のあいトリにはまだもう一つ爆弾が残っているような気もする。会期前から気になっていたある映像プログラムがまだ未公開だ。なにもなければいいが。
2019-09-18 07:07:33他意はないことを確認した上で。「ボイコット」はアーティストにとってある種のステータスに繋がる。だから「ボイコット」を売名と言うつもりはまったくなく、必ずしもそれが「英断」ではないということ。非ボイコットを理由にアーティストを責める人がいるとしたら、それはあまりに素朴な視線だ。
2019-09-18 07:49:20昨日の検証委員会では電凸の生の例を聴きました。23分半くらいのところ、聞いてみてください。耳元でこれをずっと聞かなければならない職員のつらさがよくわかりますyoutube.com/watch?v=RtCDC-…
2019-09-18 08:12:28