【シナリオ】吸血鬼③

前回の話はこちら https://togetter.com/li/1406335
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@akuochiken

「これ、同じものかしら」 お嬢様は、私の差し出したコーヒーカップを手に取って眺め、そう私に語り掛けた。 「同じもの、と言いますと?」 「お父様に出していたものと、って意味よ。こう、もっと刺激的な匂いだったような」 「いいえ、お嬢様の言いつけ通り、旦那様にお出ししていたものと同じです」

2019-09-21 19:37:24
@akuochiken

「そう、ならいいのだけど」 彼女はそのままカップの縁に口を付け、コーヒーを一口飲んだ。 彼女にコーヒーを出したことはこれまで一度もない。 飲み物といえば紅茶を好んで飲んでいただけに、今回私にコーヒーを所望すること自体が少し意外だった。 「ふぅ、まぁこんなものね」

2019-09-21 19:47:12
@akuochiken

「お気に召していただけましたか?」 「熱いわよ、馬鹿」 「それは申し訳ございませんでした」 口をつぐんで涙目になりそうなのを堪えている彼女を尻目に、私は謝罪の意を込めて深々とお辞儀をした。 「あなた、最近雰囲気変わったわよ。私が言うのもなんだけど」 「雰囲気、ですか」

2019-09-21 19:54:28
@akuochiken

「そう、感情的じゃなくなって、落ち着いた雰囲気になった。もちろん、あなたの給仕としての技能はこの館で比類ないものよ。それに磨きが掛かった感じ」 「ありがとうございます」 「で、あなたはそういう素っ気なさについてどう思っているの?」 彼女の真っ直ぐな質問には正直意表を突かれた。

2019-09-21 20:04:34
@akuochiken

しかし、私は彼女の機嫌を損ねたとは感じられなかった。 いつものように彼女の言葉はそのまま私の中に入り、私の中の私が率直な意見を返す。 「私は、私のことが分かりません」 「……続けなさい」 彼女は手に持ったコーヒーカップの中の黒い液面を眺めながら私の言葉を待った。

2019-09-21 20:14:13
@akuochiken

私は、私のことが分からない。 お嬢様と契約したあの日から、私は確かに人間をやめて吸血鬼になったが、その吸血鬼というのがよく分からない。 身体は動くようになった。 少食にはなったが食べ物も食べられるようになった。 何一つ精度を欠くことなく給仕を行えるようになった。

2019-09-21 20:34:32
@akuochiken

私は私の意思で身体を動かしているのに、私の身体の中身が空っぽなような感覚がする。 でも、確かに私の体はお嬢様で満たされているのだ。 あの日、彼女の吸血を受けて、彼女が私の中に入り込んできた。 それ以降、彼女は私の体を満たしてくれる。 私は彼女の姿を見ると満たされるのだ。

2019-09-21 20:38:20
@akuochiken

彼女の声を聞くと満たされるのだ。 彼女の匂いを嗅ぐと満たされるのだ。 色褪せてしまった世界の中で、彼女だけが鮮やかに見えるように。 その彼女をずっと私は求めている。 彼女の言葉が、彼女の命令が私には大変心地よいのだ。 ああ、これが本当の主従関係。 主人である彼女に隷属することの喜び。

2019-09-21 20:45:59
@akuochiken

だから 「なのに、満たされないんです……!」 私はいつの間にか泣きそうになっていた自分を堪えて、むせぶように言葉を出し切った。 「満たされ、ない」 彼女は私が終わるのを待って、私の言葉を確認するように復唱し、再びコーヒーカップに口をつけた。 「これくらいの温度がいいわね」

2019-09-21 21:06:57
@akuochiken

彼女はコーヒーカップをソーサーに戻し、そのままそっと机の上に置いて私に差し出した。 「ここにあなたの血を入れなさい」 なぜ? と私は聞かなかった。 彼女に対して疑問を持つこと自体が無意味だ。 私は彼女に従う以外の選択肢を持っていない。 彼女の指示に従えるような体になったのだから。

2019-09-21 21:50:54
@akuochiken

すっ、とソーサーを掴んで私の方へ引き寄せた。 「あなたの血で満たすのよ」 机に肘をついて彼女は私の顔を興味津々に眺めながら付け加えた。 入れる、ではなく、満たすのであれば、指先を切った少量の血では不十分だ。 この、コーヒーが残ったままのカップのもう半分を満たす量の血が必要になる。

2019-09-21 21:58:54
@akuochiken

「……お嬢様のお気に召すかは分かりませんが」 そう言って、すっとスカートの下に手を入れ、太腿に備え付けてあるナイフを取り出して、刃をハンカチで入念に拭いた。 そして右手にナイフを握ったまま、カップの上で左手の手のひらをお嬢様に見せるようにして指先をカップの方に下ろして静止させる。

2019-09-21 22:08:24
@akuochiken

そのままナイフを左手首に押し当てて、すっと引き抜く。 「んっ……」 嬌声が口から漏れ出ると同時に、手首からじわり湧き出す血が手を伝って指先からカップへと注がれ始める。 痛みはなく、むしろ快感。 お嬢様に見られながら自傷して私の血を見せるという快感に身悶えていた。

2019-09-21 22:14:03
@akuochiken

このときには、先程私が涙ながらに主張していた、満たされない感情も消え去っていた。 私の血がカップに注がれていく。 ああ、彼女が口をつけた液体に、私の血が混じり合っていく。 そればかりでなく、その液体を私の血で覆い尽くしていくという、得も言われぬ快感。 静かに、私の体は満たされていた。

2019-09-21 22:18:57
@akuochiken

「んふ……」 カップに私の血を注ごうと左手に意識を集中するのに反して、それ以外の部位が快楽に蕩けていき、呼吸と同時に湿った吐息が漏れる。 ふと、彼女の顔を見ると、やはり満足そうにその様子を眺めている。 私はようやく右手に意識を分散させることができて、そのナイフを元の場所に戻した。

2019-09-21 22:28:25
@akuochiken

そうして私の血をカップに注ぎ続ける左手首を右手で押さえ直し、私は彼女の所望を叶え終えたのだった。 「……少々お待ちください、いまお嬢様の元へ」 「いいわ、よく頑張った」 血を切って出血自体を止めようとする私を尻目に、彼女はそっと手を伸ばしてカップをソーサーごと引き寄せる。

2019-09-21 22:49:23
@akuochiken

「なかなか綺麗だったわよ、あなたのパフォーマンス」 彼女はカップを取って、手に持ち直したスプーンで血で満たされたコーヒーをかき混ぜた。 「ほら、あなたにはこれがコーヒーに見える? それとも血に見える?」 彼女はかき混ぜ終わった液体を私の方に見せるようにカップを差し出した。

2019-09-21 22:56:03
@akuochiken

「コーヒーです」 私は即答した。 そしてその答えを聞いた彼女は満足げにこう返した。 「私にとってはこれは血、ね」 なぜ? と私はやはり聞かない。 彼女がそれを血だと言えば、私にとってもそれは『血』なのだ。 だから 「わ」 「それでいいのよ、今は」 私の了解の返答は彼女によって遮られた。

2019-09-22 01:13:48
@akuochiken

「まさかあなた、私が血だと言ったから『分かりました、これからは血と認識します』なんて言おうとしたんじゃないでしょうね」 図星だった。 図星だったが、その動揺は顔から外には出なかった。 「いい? あなたの血は、私にとっては『あなたの血』であっても、あなたにとっては自分自身なのよ」

2019-09-22 01:25:17
@akuochiken

彼女は右手をこちらに差し出してため息をつくように続けた。 「自分自身を美味しいと思い始めたら吸血鬼として終わってしまうわ……」 彼女の言いたいことは分かった気がする。 私は、コーヒーに私の血を注いだので、コーヒーが主体、私の血は添加物だったから、それをコーヒーと認識した。

2019-09-22 01:37:11
@akuochiken

一方で彼女は、コーヒーに私の血を注いだ事実は同じであるもの、私の血という存在が彼女の中で大きすぎて、コーヒーという存在を食ってしまった、だからそれは『血』だ、ということ。 ただし、私にとっては『私の血』は無に等しいから、彼女と私の認識が違って当然、ということだったのだろう。

2019-09-22 01:40:33
@akuochiken

果たして、彼女の口から同じ説明を受けることとなった。 「今のあなたはこのコーヒーと同じよ」 彼女は左手に持ったコーヒーカップを私へと差し出した。 「あなたの身体があなたの血で満たされている限り、あなたは吸血鬼として満たされない。ただ……」 そう言って彼女は再びカップに口をつける。

2019-09-22 01:56:04
@akuochiken

ただ、今回は一口飲む、という訳ではなく、ごくり、ごくりとそのカップのコーヒーを飲み干してしまった。 「思った通りね。あなたの体の中にはあなた以外の何者かが存在している。それを塗り潰さないと、本当の意味で満たされないのかも」 彼女は空になったコーヒーカップの底をじっと見つめていた。

2019-09-22 01:59:40
@akuochiken

彼女はそのまま左手を下げ、かちゃり、とソーサーにカップを戻した上で机に置き、私に回収するように促した。 すっ、っと私はそのカップとソーサー、スプーンを回収し、トレーの上に乗せ、彼女の次の指示を待つ。 カップからは彼女が飲み干したコーヒーの残り香と、彼女の唇の匂いが微かに漂っていた。

2019-09-22 14:34:53
@akuochiken

この身体になってから傷の治りは極端に速くなったが、今回は切創の深さを鑑みて、念の為、左手首にハンカチを巻いている。 その左手首が彼女の匂いに反応したように感じた。 心臓は止まっているはずなのに、どくん、どくんと左手首が呼応し、意識を集中させないと手が震え、トレーが揺れてしまう。

2019-09-22 14:46:19