VCASI ブレストセッション 鈴木健「社会システム2.0 ~なめらかな社会とその敵~」
(井上:国民皆兵制と、国民国家―平等な国民、という思想は相性がいい、という話か) (@vcasi_org live at http://ustre.am/GPQ )
2010-04-12 21:27:26鈴木:フランス軍が強かった、という話は大事。暴力の管理の問題を考える必要がある。(@vcasi_org live at http://ustre.am/GPQ )
2010-04-12 21:28:06鈴木:たとえば、1.僕が大家と決闘したらそれは私闘。 2.ならずものたちと対抗するために自警団を作ろう、という次元 3.もっと集団的な安全保障 ×国内外で二層化して六分類 (@vcasi_org live at http://ustre.am/GPQ )
2010-04-12 21:29:30鈴木:ネットワーク型の暴力システムというものを考えることができるのではないか。それがワークするような仕組みをつくれないか。これがきちんとワークするかどうか大事。 (@vcasi_org live at http://ustre.am/GPQ )
2010-04-12 21:30:09(井上:ゲリラみたいな話になるのでは。現状の国際法上どうかという問題も発生しそう。暴力をもって戦闘に参加する主体/非主体の線引きがあやうくなると虐殺が起こるのでは?) (@vcasi_org live at http://ustre.am/GPQ )
2010-04-12 21:31:04(井上:ベトナムで虐殺が起こってしまった理屈、というのは少なくとも僕の理解では、「誰が敵か」がわからなかったから。そうなると、アメリカ軍は疑心暗鬼になり、虐殺に走るインセンティヴが生まれる) (@vcasi_org live at http://ustre.am/GPQ )
2010-04-12 21:32:10@kensuzuki 質問。ネットワーク型の暴力システムというのは、ゲリラ的なものとは違うのでしょうか。 (@vcasi_org live at http://ustre.am/GPQ )
2010-04-12 21:34:37鈴木:ドイツなどは闘う民主制、と言って、民主制を否定するようなものは難しい。 会場:日本でもそれは難しいですね。 (@vcasi_org live at http://ustre.am/GPQ )
2010-04-12 21:36:35会場:国家というのは実体的なものと思われていたが、今は疑われている。とりあえず分けて競争させたほうがうまくいくから、国家があるみたいなことを政治学者は言い出したりもしている。(@vcasi_org live at http://ustre.am/GPQ )
2010-04-12 21:38:47会場:ということは一つに戻しても良いことでもある。これは、個人に戻してもいい、というはなし。これは、安藤馨なんかが言い始めていることでもある。快楽物質を生産できるものはそれでいい、となる。(@vcasi_org live at http://ustre.am/GPQ )
2010-04-12 21:39:34会場:そういう含意を鈴木さんの議論はもっている。個人を解体する、ということは参加するもののカウントをどこまで広げてしまうのか。そこが、無限にちかく広がってしまうのをどうするのか。 (@vcasi_org live at http://ustre.am/GPQ )
2010-04-12 21:40:22成田:個人というモノをいったん認めたとして、集団的な意志決定を広げてしまう。イシューごとに重み付けを変えるという仕組みがあるが…、複数のイシューの空間的な異質系。長い時間の時間的な異質性 (@vcasi_org live at http://ustre.am/GPQ )
2010-04-12 21:41:23成田:空間の異質性と、時間の異質性では、時間の異質性のほうが決定的。空間は再編成できるかもしれないが、時間は死などがあるので再編成に限界がある。変えられるのか (@vcasi_org live at http://ustre.am/GPQ )
2010-04-12 21:42:19鈴木:変えられるでしょう。グレッグイーガンのような死なない社会になってしまう。なぜ30年ではなく300年というのか、といえば、死ぬことが大事だから。死んだあと、ずーっと残すというこはよくない (@vcasi_org live at http://ustre.am/GPQ )
2010-04-12 21:43:11鈴木:死なせ方の問題をどう考えるか、ということを大事。 一方、未来のほうに影響を与えることのほうが実は難しい。 (@vcasi_org live at http://ustre.am/GPQ )
2010-04-12 21:43:45鈴木:ケネス・アローが議論している問題。 成田:アローの議論では、投票的なものと市場的なものを分けている。彼は個人という単位を正規化して、いろいろと計るものと、価格のような尺度に計算をゆだねる。(@vcasi_org live at http://ustre.am/GPQ )
2010-04-12 21:44:38成田:アローはこの二つを分類しているが、今日の鈴木さんの話はこの二つを混ぜている。 会場の方:成田さんの言っているのは、どのぐらい計算できるか、という話につながるのでは。… (@vcasi_org live at http://ustre.am/GPQ )
2010-04-12 21:45:26鈴木:ある種の計算能力や知性を切ってしまう、ということによってワークすることはあるかもしれない。 (@vcasi_org live at http://ustre.am/GPQ )
2010-04-12 21:46:17鈴木:今でも複雑な状態はあるが、もっと複雑にしていくこともできるのではないか。昔から比べれば複雑性は増している。複雑性を縮減しなければ人間は生きていけない。(@vcasi_org live at http://ustre.am/GPQ )
2010-04-12 21:48:19鈴木:技術・人工物というのは、人間の複雑性の縮減をサポートするようなかたちで発展してきたわけで、コンピュータによって、より複雑にする余地を作るということ。(@vcasi_org live at http://ustre.am/GPQ )
2010-04-12 21:49:06質疑応答聞いてる。なるほど一見複雑すぎるように見えるPICSYのシステムは人類の思考能力(生物学よりもっと広い意味で)の共進化を促すと信じてるのか。(@vcasi_org live at http://ustre.am/GPQ )
2010-04-12 21:49:56鈴木:離散的なものが多いことによってミクロなチューニングとかが非常に面倒くさくなっている。累進課税とかもそうですが。いままでは技術的にむりだった。 (@vcasi_org live at http://ustre.am/GPQ )
2010-04-12 21:52:43鈴木:みんなが投票をして、みんなが商売をする世界などというものはおそらく500年前は想像がつかなかった。そこに活版印刷や教育システムを導入してようやくなった。(@vcasi_org live at http://ustre.am/GPQ )
2010-04-12 21:54:12