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スイス人のおじいさんと話は続き、海外旅行の話をする。「旅行する事であなたに何を得ましたか?」という僕の質問に、「広い視野だよ」と即答。「みんな自分の周りに不平ばかり言うが、いろいろな国をみればどれだけ自分の環境が正常に機能しているかわかるはずだよ」と。
2011-05-27 12:12:44もう一度、よく考えてみたんだけど、今の日本の状態、いかれた原発をかかえて、それを気にしながら毎日生きている環境って、どう考えてもおかしないか?にもかかわらず平然と生きる?いや、やっぱりおかしな点を声高々に主張していかないといけないんじゃないか。
2011-05-27 12:25:53ところで、便器についている放水の「大」か「小」。大抵の人は「大」で小もながしてしまうと思うのですが、「小」もかなりの量が放水されますよね。そこでふとおもったのですが、「大」じゃないと流れない「うんこ」っていったいどんだけの量だよ!と。毎日しているんだから、試してみてください。
2011-05-27 12:34:18たかだかtwitterでも公共の場なのです。共有する価値のないと判断されたものは淘汰されていきます。恐ろしいかなそういう人に限って写真も同じ様に社会性がなかったりします。独り言をつぶやくのは個人の自由です。しかしtwitterは相手が居る故に、独り言というのは本当は存在しません。
2011-05-27 17:33:50恐ろしいかな、写真においても全く同じで、何を写真に撮っても自由です。しかし誰かに見せる段階に入ると公共性が問われます。観衆の絶対数が多くなればより問われるでしょう。そのときに独り言が通用するでしょうか。否。それを理解しているひとはtwitterも作品もすでに強度を持っています。
2011-05-27 17:35:35僕の一連のワークショップ企画は、独り言ではなく、相手がいるという前提でいかに自分の知識や経験を有益に伝えてさらに個々が実践していけるかというのが課題です。商業でも作品でもなく、単純に多くの人に役に立つというのは単純に難しい。だからこそ何も帰ってこなくても挑戦します。
2011-05-27 17:45:04正直、自分の作品が公共性があるかといえば、そうと断言できません。しかし、自分が写真に対して行っている著作権の放棄や完全デジタル移行は、写真における一つの試論として公益性はあるでしょう。いまや自分の作品で立つよりも、むしろこれを押し進める事の方が僕にとっては興味があるのです。
2011-05-27 17:47:38その現れとして作品という形でパッケージになっているのです。カリモクX鈴木心はその最もさいたる形で、自分のX4,JPG,日常,一日数百枚という組み合わせがさらに企業の後ろ盾により写真集、展示、そして広告というパッケージになったのです。これは公益性を獲得した最も分かりやすい形の1つ。
2011-05-27 17:50:12さようなら。RT @xhoevg: 何を撮っても自由じゃない!盗撮はNGです!! QT @shnszk: 恐ろしいかな、写真においても全く同じで、何を写真に撮っても自由です。しかし誰かに見せる段階に入ると公共性が問われます。観衆の絶対数が多くなればより問われるでしょう。そのとき
2011-05-27 18:11:02学生や小さな作家が写真展をやる場合よくて場所代が無料というケース。でも、告知もしっかりされず一週間やっても来場者は1〜300。展示作品の費用だけ負担がかかり、割に見てもらう事ができない。メーカーギャラリーもカメラ老人か学生ばかり、一行に広がらない。もちろん販売も形ばかりで動かない
2011-05-27 19:42:59これは写真を楽しんでいる人たちにむけて、アートぶって写真を発信しているがために、写真愛好家(自然やおねえちゃん、鉄道や飛行機)は同じ写真でも見向きもせず、カメラをもっている多くの潜在写真市場にも響かない。写真には写真のセオリーがあるはずだ、と詮索している。
2011-05-27 19:45:24写真家が表に露出しないという信条も古い。SNS時代は反匿名ほど支持を得る。自分の肖像写真にカメラを構えて鏡で撮影したもの、僕はどんだけ格好つけてんだよって思う。せっかくの肖像写真なのに顔がみえないじゃないかと。写真を操りながら誤操作をする、まるで電力会社の様なオチじゃあないかと。
2011-05-27 19:48:10写真展やカメラ屋、本屋、などを分けて考える事ももはや時代遅れ。もっと広い目線で写真というものをくくった空間が必要だ。音楽以上に撮る側と見る側が密接な距離にある。売る側と買う側もしかり。でるとするなら、すでにあるべき姿は見えている。あとは行動力のみ。ご意見募集中!
2011-05-27 19:51:13どうせだからもっと言ってしまおう。写真の最終形態が「紙」じゃなくなったことを一体どれほどの写真家がきちんと認識しているのだろうか。どれほどの教育がこのスピードに追いついているのだろうか。有形から無形へ、そして、物理から情報へ。写真はもはや別の次元に進んだ。
2011-05-27 19:54:59紙の事を熟知している必要は必ずしもない。むしろ、ネットワークや、情報処理、電子技術に関して熟知している方が次の次元に適しているかもしれない。もはやケミカルではなくプログラムになったのだ。そしてこのデジタル化によって人間の環境がどれだけ変容したことか。環境にとどまらず意識にも至る。
2011-05-27 19:58:03「あたし携帯電話もってないのよ〜」という先達が圧倒的に減ったように、「フィルムしか撮影しない」という言葉ももはや昔のもの。ある日、撮りっぱなしJPGのデータを2100mmもの大型プリントに引き延ばしたときに出たノイズに、フィルムのそれより圧倒的に感動したのを今でも忘れない。
2011-05-27 20:00:44大型フィルムの粒状性、ボケニュアンスよりも、JPGのドットが溶解してしまった画像、そして無限大にシャッターをきり続けられるカメラ、クリック一つで世界中と共有していけるデータ。はて、トルボットが墓から出てきたらこの写真の姿をみてなんと言うかな。僕は目ん玉飛び出して感動すると思うよ。
2011-05-27 20:03:34技術的補助により発信する側と受信する側に垣根がない。受信する側もすぐに発信する側に回れるという事です。音楽に例えればピアノを引ける様にならなければ、という技術的敷居が写真にはない。いますぐに誰でもシャッターボタンを押す事ができるでしょう。@yohei1023
2011-05-27 20:06:28進んでない RT @shnszk: どうせだからもっと言ってしまおう写真の最終形態が「紙」じゃなくなったことを一体どれほどの写真家がきちんと認識しているのだろうかどれほどの教育がこのスピードに追いついているのだろうか有形から無形へそして、物理から情報へ写真はもはや別の次元に進んだ
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