「表現の不自由展」と「対話」の可能性
@SeishiT0228 5,でこれを前提として、藤田直哉の「アートがわからない人」とこそ対話すべき、という発言がでてきた。 huffingtonpost.jp/entry/naoya-fu… 藤田氏の「対話」は「話せばわかる的な対話ではない」とされる。
2019-10-02 13:09:03@SeishiT0228 6,「the politicalとは、「コンセンサス」を求めるのではなく、敵対性を織り込みながら、しかし、なんとか対話を続けていくための様式」 は5に近いかもしれない。
2019-10-02 13:09:35@SeishiT0228 7,対話は不可能かも。 「野原さんがおっしゃるように、「それは間違っている」ということを述べることの方が、「あなたの意見を聞きましょう」よりも、必要ではないのか。」と言っていただきました。 ただし、Takahashiさんの意見は、5,6の意見とそれほど遠くない。
2019-10-02 13:10:02@SeishiT0228 8,「二項対立を煽るのはやめませんか」というような文言は、自分の足場を崩しかねない、と感じます。と言われました。同意します 「少女像」が特定の政治・社会勢力に加担するもので、それは自明にいけないこと、その批判を婉曲に「二項対立を煽るな」といった表現でやっているように感じられる。
2019-10-02 13:11:52@SeishiT0228 9,ところで特定の社会運動に強く加担するのは、アートとして失格なのでしょうか?政治的には偏向していてもアートとしては素晴らしいということがあるのではないでしょうか? こうしたことはSalcedo を論じた本に書いてありそうですね。
2019-10-02 13:12:18@SeishiT0228 10、私は慰安婦についてなど、ネトウヨの諸君と長い間「不毛なやりとり」を続けてきました。この実践は、5,6と近いかもしれません。 ネトウヨのある発言の論理的骨格を掴まえて、否定しようとするのが私の方法です。 否定といっても、twitterは対等にだいたい交互に発言するのである種の「対話」
2019-10-02 13:12:54@SeishiT0228 になります。 11,まとめにあげた中で、 「慰安婦像のどこが不都合なのか? 」 というのがあります。 日本政府は在韓国日本大使館前の少女像に対してだけむりやり文句をつけたに過ぎず、その他の像について何も言えないはずです。 togetter.com/li/1269983
2019-10-02 13:13:16@SeishiT0228 12,ところが今回どさくさにまぎれ、 「慰安婦の問題というのは完全なデマ」として、あれは「デマの象徴の慰安婦像」だ、「われわれの先祖があまりにもけだもの的に扱われるような展示物」だ、という上記ネトウヨでさえ言わなかったような無茶苦茶を言いました。 jcp-osaka.jp/osaka_now/8985
2019-10-02 13:14:05@SeishiT0228 にも関わらず、マスコミやネットでもほとんど批判されていません。 13,あいての発言根拠に対して強い感情をもって否定していく言説が、にも関わらず、正義を主張しうるのはどのような場合でしょう。 南米などでは豊富な体験が積み重ねられているものと思い、おしえていただければ幸いです。
2019-10-02 13:14:42