この緊急事態に直面して、艦長以下士官の対応は満足いくものであった。 非常用機器の正しいメンテナンスは有効に機能した。救難装備は水上艦艇用としては最高のもので、他のインディアナポリス級のものと同一であった。
2019-10-15 04:11:55グアムとレイテの司令部では関心を寄せる全ての船舶がプロットされており、インディアナポリスは7月28日の出港から記録されていた。 彼女は日々推定位置がプロットされ、到着予定の7月31日にグアムのマリアナ司令部のボードから削除された。これは戦闘艦に対する通常のプロット手順だった。
2019-10-15 04:20:03太平洋艦隊司令部は日本軍が何かを沈めた兆候を捉えており、これは沈没当時のインディアナポリスの位置とほぼ同じであった。 この情報が真実と評価されていた場合、インディアナポリスの生存者は24時間以内に発見され、より多くの命が救われた可能性がある。
2019-10-15 04:25:40しかし兆候を捉えた部門だけで正しく評価するのは困難だった。 また日本軍の報告が誇張と虚偽にあふれていたことも、評価を誤らせる遠因となった。
2019-10-15 04:39:16この情報はワシントンの米艦隊司令部とマニラの第7艦隊司令部にも共有されたが、インディアナポリスと関連するものという印象はなかった。
2019-10-15 04:41:38インディアナポリスは7月31日1100に到着する予定であり、通常の条件下ではここから8~9時間経過しなければ懸念は感じられなかった。彼女の動きを確認するのに更に数時間を要し、捜索は24時間遅れるまで始まらなかった。 生存者は実際には8月2日の定期パトロールによって発見された。
2019-10-15 04:47:127月26日にCFT95及びCTG95.7宛てにインディアナポリスの航行命令の情報が発信されていた。 しかしCFT95は当時沖縄にあり、出発日と到着日が記されていないことを留意した。CTG95.7は受信できなかった。届いた情報は文字化けしており、宛先に自身が含まれていると確認できなかったので復元しなかった。
2019-10-15 05:11:40また28日に出発日と到着日、航路を記した情報が同様に発信されたが、今度はCFT95に届かなかった。これによりCFT95はその日付を知らないままとなった。
2019-10-15 05:20:0845年1月28日の命令で、情報保全と通信量の削減の観点から、戦闘艦の到着は報告されないこととされていた。この命令は不到着の報告を禁じるものではなく、その場合報告が行われるものと予想されていた。 しかし到着報告が行われないため、到着予定も報告されないものと解釈し得るものだった。
2019-10-15 10:44:05このインディアナポリスの航行予定に関する一連の報告において、レイテ島の担当官の過失が認められている。これにより彼らの上官であるジレット准将とグラヌム大佐は監督責任を問われた。
2019-10-15 10:54:33沖縄のCFT95はインディアナポリスがレイテに到着したことを確認する措置を講じなかった。前述の理由から到着日や出発日を把握しておらず、未だグアムに居るか、航程の途上にあると考えていた。
2019-10-15 10:58:18Philippine Sea Frontier 司令官であるジレット准将の任務は、担当海域の船便の保全であった。 彼は担当海域のあらゆる船舶の航行予定と実際の発着記録を保持しており、彼の司令部はフィリピン海における全ての潜水艦情報が与えられていた。
2019-10-15 11:09:02彼とその司令部はインディアナポリスの到着期限が切れていることを把握して居なければならなかったが、彼女の生存者が発見されるまでその調査を行わなかった。
2019-10-15 11:09:07グアムの司令部はインディアナポリスの状況に特別な懸念を感じられなかった。彼らも生存者が発見されるまで行動を起こさなかったが、その必要は無かった。
2019-10-15 11:11:23インディアナポリスの航路のほとんどをカバーし、生存者に毎日目撃された哨戒機は、二日間に渡って彼女の油膜も生存者も発見できなかった。哨戒機による生存者の発見は、ほとんど偶然によるものだった。
2019-10-15 11:13:50調査の結果哨戒機は比較的高高度を飛行していたことがわかった。これは敵航空機を発見するのに最適とされた高度だった。しかしこの時点で当該海域の脅威は敵潜水艦であり、これは実質的に対潜哨戒であった。 哨戒機の高度は、生存者を発見するには高すぎた。
2019-10-15 11:15:598月2日1125、通常の哨戒任務中の陸上双発機が油膜を発見した。機長グウィンはすぐにコースを変更し、30名の生存者グループを発見した。これにより救助活動が始まった。
2019-10-15 11:24:29最初に到着したのは海軍のカタリナ哨戒機で着水して救助活動に当たった。同機はこれによりひどく損傷し離陸できなくなったが、応急処置を実施し後続の救助船に引き継いだ。
2019-10-15 11:24:35午後遅くには陸海軍の水上機と重爆が到着し、救助捜索に当たった。 夜中には4隻の駆逐艦、4隻の護衛駆逐艦、3隻の高速軽輸送艦を中核とした大規模な救助隊が到着した。 捜索は8月8日に中止されるまで、半径100マイル圏内に対し徹底的に行われ、生存者が見逃される可能性はなかった。
2019-10-15 11:38:27インディアナポリス艦長チャールズ・B・マクベイ大佐は軍法会議にかけられた。退艦命令が遅れたことでは無罪とされ、ジグザグ航行を行わなかったことでは有罪とされた。 彼は大幅な減給処分とされ、軍務に復帰となった。
2019-10-15 11:48:05また以下の懲戒処分が行われた。 グラヌム大佐:Letter of Reprimand(最も軽い サンチョ中佐:Letter of Admonition(二番目に軽い ギブソン中佐:Letter of Reprimand(最も軽い
2019-10-15 11:52:05