中国・日本の人口と食料生産事情についてのメモ

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儀狄@パブリックエネミー @giteki

@futaba_AFB 話が完全に飛んで古代中国になりますが、古代中国は人口面ではピークが3つあります。前漢後期と、後漢後期と、唐後期です。このあたりで人口6000万くらいになって頭打ちになります。詰まるところ、古代の技術での窒素循環はその辺が限界だったのではと言われています。

2011-05-30 23:39:58
儀狄@パブリックエネミー @giteki

@futaba_AFB これが五代十国の戦乱を経て宋王朝の頃になると、人口が6000万の壁を突破し、1億近くになります。肥料としての(家畜及び人の)糞尿の使用が始まったこと、燃料として石炭の使用が始まったことが原因だとされます。

2011-05-30 23:42:50
儀狄@パブリックエネミー @giteki

@futaba_AFB 明を経て、清の中期頃までは1億ほどで頭打ちになります。康煕・雍正・乾隆の間に人口が爆発的に増えて3億くらいになるのですが、この原因はよく分かっておりません。新大陸産作物(トウモロコシ、サツマイモなど)の影響ではないかと推測されますが、確定ではありません。

2011-05-30 23:47:34
儀狄@パブリックエネミー @giteki

@futaba_AFB 肥料の話に少しだけ乗っかって日本の話。江戸時代に入って日本は爆発的人口増加をするのですが(江戸時代初期に1200万?→享保期に3000万。以降江戸時代はだいたいそれで終始)、そっちは土木技術の進歩で沖積平野を耕地にできるようになったのが主な理由です。

2011-05-31 00:22:18
儀狄@パブリックエネミー @giteki

@futaba_AFB ですが、江戸時代には肥料の種類が増え、享保あたりからは生活の質が向上します。なので、もし仮に江戸時代のGDPを測る方法があったら江戸時代を通じて伸びていると推測されます。以前からあった堆肥や下肥の他、油粕や干鰯などが使われるようになります。

2011-05-31 00:24:25
儀狄@パブリックエネミー @giteki

@futaba_AFB ですが堆肥や下肥が主だったのは確かで、この影響で江戸時代の野菜などは寄生虫まみれだったそうです。もっともこれは江戸時代に限った話ではなく、明治以降も変わりません。野菜が寄生虫に犯されなくなったのは戦後になってからです。

2011-05-31 00:26:09