国語記述式の採点が極めて難しいことを、日本語学的観点(「同義語」という観点「だけ」から)から説明( @yhkondo 氏)

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yhkondo @yhkondo

国語記述式の採点が極めて難しいことを、日本語学的観点から少し説明したい。言語の表現には「ゆれ」が必ずある。例えば、「賛成だ」と書きたい場合、「同意する」でも「同じ意見だ」でも問題ない場合が多いだろう。では「よく理解できる」「すごく共鳴する」ならどうだろう。

2019-11-03 13:34:59
yhkondo @yhkondo

意味はややずれるものの「同意」という実質は同じだ。このように考えると、実は、言葉にはひじょうに大きな「ゆれ」があることがわかる。「頷ける」「賛同する」「賛意を示す」「肯定的である」「歓迎できる」「支持できる」「良しとする」と、バリエーションはほぼ無限である。

2019-11-03 13:34:59
yhkondo @yhkondo

また、文法的に同じ意味を示す表現も可能だ。「反対しない」「反対できるはずがない」「同意せざるを得ない」など、語彙レベルではなく、このような文法レベルでの「ゆれ」もあり、これもまた無限である。表記レベルの異同もある。「さんせいだ」とか「OKだ」などはどうだろう。

2019-11-03 13:35:00
yhkondo @yhkondo

実際の出題時には、これを制約するために、字数制限したりする方法があるようだが、それでもゆれは避けられない。他の手段としては「文章中から抜き出せ」というタイプがある。しかし、ここまで行くと「記述式」とは名ばかりになってしまう。

2019-11-03 13:35:00
yhkondo @yhkondo

本格的な記述式の正答の「ゆれ」に対応するためには、採点者が、基準を随時修正しながら、正解の範囲を決定していく作業が必須なのがわかると思う。これは、言語の本質的な性格によるものなので避けられない。また、正答の範囲を決定する作業はアルバイトの学生などにできることでもない。

2019-11-03 13:35:00
yhkondo @yhkondo

「同義語」という観点「だけ」から、記述式を50万人の答案に適応させることが不可能なことを説明してみた。本格的な記述式は、少数のエキスパート採点者が採点できる、二次試験のような環境でのみ適応可能なものなのである。(以上の見解は、国会質疑の参考資料として、議員の方にもお送りしました。)

2019-11-03 13:35:00