- JunNakagawaWork
- 518
- 1
- 0
- 0
私は占い(星占い、血液型の性格判断など運命を予告あるいは決定する論)の類を信じない──「私の人生を他人に委ねて堪るか」という思いが私にはある。
2019-11-18 19:55:07事細かに定まった儀式のようなシナリオの未来を歩きたいと思う人など居やしまい──「己れの何物たるかをはっきりとは合点出来ない事が、僕等の生きるに必要な条件かも知れない」(小林秀雄、「山本有三の『真実一路』を廻って」)。
2019-11-18 19:55:27どうなるかわからないという未来(可能性)を歩いていかなければならないからこそ面白いのであって、シナリオを書くのは自分自身であり、しかも書いたシナリオどおりにはいかないのが人生ではないか。
2019-11-18 19:55:47相手を信じることなしに相手を真似ることはないでしょうね──相手への信心(信頼)が先にある。私のことを言えば、若い頃に、或る数学者の しゃべり方まで真似をしていたし、小林秀雄氏や亀井勝一郎氏の文体を真似て彼らの考えかたを身に着けようとしました。
2019-11-25 04:22:56こういう模倣は、若手タレント(たとえば、私の好きな東方神起)のファッションを真似るとか、流行(はや)りの思想・ファッションを真似ることとは違うでしょう。
2019-11-25 04:23:10相手に対する「憧れ」から真似して相手と「一体感」を持ちたいという意味では思想家を模倣することも若手タレントを模倣することも一過的には同じなのですが、自分の生活の根柢(生き方)を相手のそれに近づけるという意味では、ひとりの思想家を模倣することは自らの人生を賭している模倣です。
2019-11-25 04:23:24俳優(役者)は、このことを よくわかっているのではないかしら。彼らが演じる役柄にのめり込んで、のめり込んだが故に演技が終わってからも役柄から抜け出ることができないという役者の性(さが)[ 役者の冥利? ] を 或る俳優が雑誌で述べていました。
2019-11-25 04:23:39相手を熱烈に真似た挙げ句が相手は自分の成りたい実像ではなかったという不幸な愛に終わる場合もあるでしょう。幸いにも私には そうことはなかったのですが、もし そういう事態に終われば、長い年月を掛けて [ 賭けて? ] 真似したことが徒労であったとわかった時には空虚感に襲われるでしょうね。
2019-11-25 04:23:53ただ、厄介なことに、長い年月のあいだ真似してきたが故に、たとえ相手から離れても、相手は自分のなかに多少とも痕跡を残すでしょう。理性を失って相手にのぼせて真似ることも往々にしてあるけれど、醒めて熱中することは難しい。
2019-11-25 04:24:04親鸞聖人が信仰について仰った ことば 「たとひ法然上人にすかされまゐらせて、念仏して地獄に落ちたりとも、さらに後悔すべからずさふらふ」、この覚悟がなければ思想家を真似ることなどできないでしょう。「この定法通りに」進むしか思想を学ぶ手立てはないのではないか。
2019-11-25 04:24:21