ライトノベル作家・扇智史のつぶやき掌編「あのバカの長き不在」
- mizunotori
- 1673
- 0
- 2
- 0
「……まあいい」目の前の彼女はそれを分かっているのかどうなのか、丼の最後の一口を食べ終えて丁寧に手を合わせる。わたしはうっかりあの時のことを思い出したせいで食欲が衰えかけていたが、食べ進めるのをやめない。何よりも優先して、栄養は蓄えるべきだ。
2011-06-04 00:05:21「食い終わったんならとっとと出てって、神社で木刀でも振ってろよ」わたしが邪険に言ってやると、「茶ぐらい飲ませろ」と彼女は湯呑みをかたむける。「それに、あいつがいないと、一人で振っててもつまらない。お前と茶飲み話してる方がまだましだ」
2011-06-04 00:07:03「老け込むには早えよ」言って、わたしは具のなくなった味噌汁を飲み干した。時計を見ると、与太につき合って尚いつもより昼食のペースが早い。普段、いかにあいつに邪魔されてるかってことだ。
2011-06-04 00:08:35と、彼女は湯呑みの向こうからわたしの顔を見すえている。「んだ?」「その気があったら、ちょっとつき合え。たまには、違う相手と手合わせするのも面白いかもしれん」……よほど、暇を持て余しているらしい。あるいは、さっきの一撃で性根を入れ替えたか。
2011-06-04 00:10:07彼女はまだ腫れの残る右手で、湯呑みを脇に置いた。「無理にとは言わんがな」言い残して彼女が去っていくと、テーブルはまた静けさを取り戻した。食堂の喧噪は衰えないが、わたしの周りは凪いだように物音もない。わたしはちゃっちゃと、残った白米を食べ終えた。
2011-06-04 00:11:22……時間は有り余っている。ほんとに稽古につき合ってやろうかと思ったが、やめにする。今日くらいは、昼休みを落ち着いた資料読みにでも使っておきたい。わたしがしっかりしなければ、部隊が立ち行かない。週末の試合で部隊を勝たせることは、気まぐれにつき合うよりよっぽど大切だ。
2011-06-04 00:13:02それに、どうせ明日になれば、あのバカがロングバケーションから帰って来るんだ。刀より強い体術があるんだと思い知らせるなら、二人いっしょの方が手間がかからなくていい。
2011-06-04 00:14:25ひとりほくそ笑むわたしの顔は、あの雪山で、あのバカに見せたのとそっくりのはずで、だから絶対に他の誰にも見せられない。あいつらが思ってるほど、わたしは自由じゃない。「――あのバカ、早く帰ってくればいいのに」
2011-06-04 00:15:15