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はくえー(帝国巡察使)@冬コミ日曜は西D52a @tomoshibi6o6o
この書式(横型)のシーランド爵位、もう販売されていないんだなぁ。ある意味レアなのかもしれない。 (販売って言っちゃった)
四号戦車🔞 @Panzer_04
よく考えたら"Principality of Sealand"の訳語としてシーランド"公国"って間違いとまでは言えないけどちょっとひっかかる訳になるよなー だから「シーランド公国の公爵」というものができてしまう twitter.com/tomoshibi6o6o/…
はくえー(帝国巡察使)@冬コミ日曜は西D52a @tomoshibi6o6o
モナコも公国と訳されてる(Principality of Monaco)から、当初に訳した人はそれに倣った可能性がある>シーランド公国の訳
リヒテンシュタイン🇱🇮好き @FL_gehen
@tomoshibi6o6o そもそもモナコのグリマルディ家ってイタリア貴族出身だそうですけど地位はどれくらいなんですか?一応公爵なんですか?
はくえー(帝国巡察使)@冬コミ日曜は西D52a @tomoshibi6o6o
@FL_gehen フランス語Wikiの称号だと初代フランソワがPrince de Monacoとされているので、公で良いかと。
はくえー(帝国巡察使)@冬コミ日曜は西D52a @tomoshibi6o6o
そもそも西欧世界における公爵として一般的なのはDuke(英語)。 ドイツだとHerzogだが、これは派生してErzherzog(英:Archduke)→オーストリア大公となった。 Großherzog(英:Grand Duke)もあり、これはルクセンブルク大公が該当する。 PrinceはDukeに比べ独立色の強い称号であり、旧神聖ローマ帝国諸侯→
はくえー(帝国巡察使)@冬コミ日曜は西D52a @tomoshibi6o6o
たとえばザクセン公やバイエルン公がこれに該当した。また英国王太子の称号ウェールズ公も、Prince of Walesとされる。これは中世半ばまでウェールズは独立を保ち、連合王国に編入されたという履歴を持つため。
はくえー(帝国巡察使)@冬コミ日曜は西D52a @tomoshibi6o6o
ややこしいのはオーストリアとスイスの中間にある君主国家リヒテンシュタインで、人によって「公国」「侯国」と訳が分かれる。 英語では「Principality of Liechtenstein」なので「公国でいいじゃん」となりがちだが、そんな簡単な話ではないのである。 そもリヒテンシュタインは→
はくえー(帝国巡察使)@冬コミ日曜は西D52a @tomoshibi6o6o
神聖ローマ帝国を構成する諸侯国家のひとつであった。 そのためドイツ語表記では「Fuerstentum Liechtenstein」となり、Fuerstは侯とされる。だが英語では該当する地位がなくPrinceと訳されてしまう。それが回って公国となってしまったが、原語を尊重するなら侯国とした方が正確かもしれない。
はくえー(帝国巡察使)@冬コミ日曜は西D52a @tomoshibi6o6o
実際、美術展などでは「リヒテンシュタイン侯爵展」と表記されることが多い。 西欧世界において、ドイツでは特に神聖ローマ帝国という特殊な国家が存在したため爵位が複雑化して、英語での訳が追いつかない(該当しない)という事情に陥っている。
はくえー(帝国巡察使)@冬コミ日曜は西D52a @tomoshibi6o6o
たとえば神聖ローマ帝国で有名な(?)「選帝侯(皇帝を選ぶ選挙権を有した諸侯)」は、ドイツ語では「Kurfürst」とされるが、英語では簡潔に「Prince Elector」と訳されている。
はくえー(帝国巡察使)@冬コミ日曜は西D52a @tomoshibi6o6o
神聖ローマ帝国における「伯」と付く称号は、ひとまとめにしてしまいがちだが 辺境伯→モラヴィア辺境伯(英:侯に該当) 宮中伯→ライン宮中伯 自由伯→ブルゴーニュ自由伯 方伯→ヘッセン方伯 城伯→ニュルンベルク城伯 これらは日本が明治期に採用した「公侯伯子男」の序列で考えてはいけない。
はくえー(帝国巡察使)@冬コミ日曜は西D52a @tomoshibi6o6o
辺境伯は以前RTしたように一般的に想定する伯爵以上の権限を有する一方で、城伯はそれよりも小さい。 宮中伯は元々宮廷内で君主の補佐をする役職であり、巡回統治を行っていた中世初期においては各領に存在したが、後世まで残ったのはライン宮中伯(プファルツ選帝侯)のみ。
はくえー(帝国巡察使)@冬コミ日曜は西D52a @tomoshibi6o6o
また自由伯とは、主君である神聖ローマ皇帝への臣従義務を免除されていたことからそう呼称される。この地位を世襲したブルゴーニュ自由伯は、西ローマ皇帝ベレンガーリオ1世の子孫であった。
はくえー(帝国巡察使)@冬コミ日曜は西D52a @tomoshibi6o6o
方伯も強力な諸侯であり、辺境伯に類する権威をもった。 皇帝への封建的役目を負う一方で、公や宮中伯の権威の及ばない地位とされた。中世初期においては解体された公領から出現した(テューリンゲン公→テューリンゲン方伯)。 その強大な権限ゆえ公への牽制も兼ねていたが、のちヘッセン方伯は→
はくえー(帝国巡察使)@冬コミ日曜は西D52a @tomoshibi6o6o
宗教改革の時代にプロテスタントへ改宗、プファルツ(ライン宮中伯)と並んで新教徒の盟主、旗手を担った。
おまけ

以前はくえー卿がツイートされたフランシュ=コンテ (ブルゴーニュ自由伯)についてのツイート

はくえー(帝国巡察使)@冬コミ日曜は西D52a @tomoshibi6o6o
カール5世ってフランス王国内にも土地を持ってたんだけど、これフランシュ=コンテという場所なのは知ってたけどなんで持ってたんだろう? という疑問が(たぶん)解決した。 これブルゴーニュ伯領のことだ。 pic.twitter.com/AkT35WtL1R
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はくえー(帝国巡察使)@冬コミ日曜は西D52a @tomoshibi6o6o
フランシュ=コンテとは「自由伯」という意味で、ブルゴーニュ伯は「ブルゴーニュ自由伯」とも呼ばれていたことに由来する。自由とは「臣従の義務が免除されている」ということ。 イタリア王だったイヴレーア家が王位の喪失後にこの地に定住した。 神聖ローマ帝国の領域であったが、皇帝には従属❌
はくえー(帝国巡察使)@冬コミ日曜は西D52a @tomoshibi6o6o
ブルゴーニュ公国の方はフランスに併合されたけど、伯国の方は元から神聖ローマ帝国な上に自由伯という、手に入れるとめんどくさい扱いの地域だったため、あとそんなにでかくないからと放任された?
はくえー(帝国巡察使)@冬コミ日曜は西D52a @tomoshibi6o6o
ブルゴーニュ公国(フランス王国に属する) ブルゴーニュ伯国(神聖ローマ帝国に属する) pic.twitter.com/Utea8yJUMd
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はくえー(帝国巡察使)@冬コミ日曜は西D52a @tomoshibi6o6o
(そもそも中世初期に宮中伯や辺境伯を置きまくった神聖ローマ帝国が悪いのではという投げやりな感想になってきた)

コメント

四号戦車 @Panzer_04 2019年12月16日
まとめを更新しました。
パンダは肉食獣 @j_inbar 2019年12月17日
なんか、まとめを読んでも余計に混乱するばかりだった。
Nishkama Bains @luwodakejuh 2019年12月17日
シーランド爵位、昔話題になったなーと思って久しぶりに見に行ったら、なんか値上がりした?
ながねこ @longcat17 2019年12月17日
神聖ローマ帝国が全部悪い!(世界史履修者並感)
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