【蛇は出てこない】福間健二 #k2fact242

福間健二 @acasaazul

言うこときかない冷たい石を根気よくあたためて、あたたかい石にした。できるのだ。黒い汗を洗いおとし、いまは十二月だけど、春の最初か冬の最後かという日の、やさしい詩人の目を思い出してからの、出発。十二時十一分までには、歩き、ＪＲ、歩きで、目的地に着く。（蛇は出てこない１）#k2fact242

福間健二 @acasaazul

頭のなかで音楽が鳴る。この一週間、探しものと相談ごとで疲れた心と体を休ませるために聴いた音楽。シューベルト、ブラームス、チャイコフスキー、シベリウス。みんな、天才だ。その音楽が頭のなかで鳴るぼくも天才。そういうことにしてくれそうな人に会いに行く。（蛇は出てこない２）#k2fact242

福間健二 @acasaazul

天才といえば、ぼくの父は中学生のころ、作文の天才。漱石みたいな文章を書くと先生に言われたらしいが、理科系に進み、いつも胃が痛かった。神田神保町。漱石の通った小学校のそばの、酒屋さんが経営するビルにある小さな出版社から、お腹をすかせた人が降りてくる。（蛇は出てこない３）#k2fact242

福間健二 @acasaazul

ちょっと贅沢した。ランチョンで、ランチビールと日替わりランチ。昔、この店がもっと小さかったとき、吉田健一をよく見た。原稿を胸の内ポケットから札束のように出して大声で笑った。点を打たない人。飲むのは仕事が片付いたからとかじゃなくていいってこと、学んだ。（蛇は出てこない４）#k2fact242

福間健二 @acasaazul

本が安くなってしまった。古本の話だが、英語の本も。怠け者の小人だったぼくを、突然舞いおりてくる大きな鳥のようにビクッとさせた詩人のコレクティッド・ポエムズがラーメンより安い。掘り出しものならの大島書店。駿河台下交差点沿いの、間口の狭い店。店主は女性。（蛇は出てこない５）#k2fact242

福間健二 @acasaazul

五十歳の岡崎清一郎は、大きな鳥でも小さな鳥でもない。たぶん英語の詩も読まない。十代には太平洋画研究所に通って絵を描いた。そのころはもう描いていない。蛇に会って「彩画も経済も気魄も／みんなみんなぶんどられちゃッた」。一瞬の、遠い過去からの木枯らし。（蛇は出てこない６）#k2fact242

福間健二 @acasaazul

総身でやってくる。なにか拾い、真剣な顔で飛ぶ。あっただけでうれしい岡崎清一郎の『韜晦之書』。一九五一年、原地社刊。表紙は川上澄生の版画。欄干のような模様の枠のなか、自転車の男が昔の東京を走る。こういうのはどの書店でも高い。ホテルの休憩代よりも高い。（蛇は出てこない７）#k2fact242

福間健二 @acasaazul

大きな鳥のことも書こう。天国にむかう彼の三十番目の年。子ども時代の自分を思いながら、世界がちがって見えてきた。戦争がまだ終わっていない。気になる。暁方の空襲で殺された者たちのなかに百歳の男がいたことなど。「彼は服を着て、出かけて、死んだ」。休憩なし。（蛇は出てこない８）#k2fact242

福間健二 @acasaazul

だれになんの用があるのか。片目でふりかえり、景色に落ちる袋の音を訝りながら、人に教えたいこと、教わりたいこと、両方たくさんあるよ、という顔だ。男の子。電車にひとりで乗るの、何度目だろう。急に暮れる、新しくなった御茶ノ水駅。二〇一九年十二月十一日だ。（蛇は出てこない９）#k2fact242

福間健二 @acasaazul

事実と名前など、急行で。やさしい詩人、ロン・パジェット。岡崎清一郎、反俗といえば彼と吉田一穂。大きな鳥、ディラン・トマス。男の子、旧名は錦華のお茶の水小学校を出てＪＲ中央線、四谷で中学生、新宿で高校生。いま、特快で三鷹をすぎるころ、まだ何者でもない。（蛇は出てこない10）#k2fact242