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ヘロデ大王は捕らえられたラビ達をエリコに送り、生きたまま焼いて処刑しました。その処刑の日の夜は月食であったとヨセフスは伝えています(『ユダヤ古代誌』17.146-167)。この月食は、天文学的計算によって、紀元前1年1月10日の皆既月食であったことがつきとめられています。
2020-01-02 20:39:10ラビの処刑を紀元前1年1月10日の皆既月食の時とすることについては、Jack Finegan,Handbook of Biblical Chronology,pp.298-301を参照。 amazon.com/Handbook-Bibli…
2020-01-02 20:53:25ラビを処刑したのち、ヘロデ大王は病気が悪化し、エルサレムを発ってカリロエに湯治に行きますが、その甲斐なくエリコで死亡しました(『ユダヤ古代誌』17.168-179)。
2020-01-02 21:05:20ヨセフス『ユダヤ古代誌』第十七巻によって伝えられているヘロデ大王の死の前後の種々の出来事については、次のようにその期間を概算することができます。 pic.twitter.com/lBXNnXWdee
2020-01-05 18:00:22ヘロデ大王の病状悪化は三人の博士達の来訪後です。なぜならヘロデはエルサレムで三人の博士達に会見しており(マタイ2:2)、病状悪化後は前述のように湯治でエルサレムを離れているからです。
2020-01-05 18:22:00三人の博士達はヘロデの所へ帰るなと夢でお告げを受けたのでヘロデに会わずに帰りました(マタイ2:12)。博士達が戻ってこないことに気付いたヘロデはイエスを殺そうとしてベツレヘム一帯の二歳以下の男の子をことごとく殺させました(マタイ2:16-17)。
2020-01-02 22:01:32ヘロデ大王によるこの幼子の虐殺は、マクロビウス『サトゥルナリア』2.4.11においても伝えられています。penelope.uchicago.edu/Thayer/L/Roman…
2020-01-02 22:18:55「ユダヤ人の王ヘロデの息子が、シリアにいる二歳以下の全ての男子を殺すことをヘロデが命令した時に殺されたことを聞いて、アウグストゥスは言った。『ヘロデの息子であるよりは彼の豚であるほうがましである。』」(マクロビウス『サトゥルナリア』2.4.11)
2020-01-02 22:20:44二歳以下の男子達と同時期に殺されたヘロデの息子とはアンティパトロスのことで、彼はヘロデ大王自身の死の五日前に処刑されています。ヘロデ大王が死んだのは過越祭(4月8日)の直前です(『ユダヤ古代誌』17.188-192)。
2020-01-02 22:30:05イエス誕生から三人の博士達の来訪までの期間はルカ福音書の記述に基づいて次のように概算することができます。 イエス誕生→四十日の清め期間→エルサレムに行き、戻る(三日)→三人の博士達の来訪 合計43日
2020-01-05 18:28:15「モーセの律法に定められた清めの日数が満ちると、両親はみどり子を連れてエルサレムに上った。」(ルカ2:22)「清めの日数」は40日です(レビ12:1-4)。
2020-01-02 21:51:30イエス誕生から博士の来訪までの43日に、ヘロデ大王の病状悪化から過越祭までの62日を加えると105日となります。紀元前1年4月8日の過越祭から105日遡ると紀元前2年12月25日となります。
2020-01-05 18:39:26以上のような根拠によって、イエス・キリストが実際に紀元前2年12月25日頃に生まれたであろうことを合理的に推認することが出来ます。
2020-01-05 18:49:34ルカによる福音書は、イエスの宣教開始は「三十歳になろうとしていた」(ルカ3:23)時の事であったと述べています。当時のユダヤ教のラビは三十歳に達してから公に教えたり弟子を持ったりすることを始めるのが習わしであったので、イエスもそれに従ったと考えられます。 dec25th.info/Unto%20You%20I…
2019-12-31 21:17:16「ローマ皇帝ティベリウスの第十五年」(ルカ3:1)つまり西暦29年に洗礼者ヨハネからイエスは洗礼を受け、荒れ野での試みに遭った後、宣教を開始しました。西暦29年に三十歳を迎える人は紀元前2年生まれですから、このことからイエスの誕生は紀元前2年であることがわかります。
2019-12-31 21:24:07古代教父達の大部分の証言もイエスの誕生を紀元前2年としています。 Jack Finegan,Handbook of Biblical Chronology,p.284参照。amazon.com/Handbook-Bibli…
2019-12-31 21:30:15サラミスのエピファニオスは『薬籠』(51.16.1)において、イエスの受洗の日付を11月8日としています。イエスの磔刑を西暦33年のニサンの月の15日としてイエスの公生活の期間(四十二か月)をそこから遡ると西暦29年のヘシュヴァンの月の15日であり、ユリウス暦ではその年の11月8日となります。 pic.twitter.com/LcHQV1NmiI
2019-12-31 22:09:09イエスが西暦29年11月8日に受洗し、それから荒れ野に導かれて四十日を過ごし(ルカ4:2)、更に悪魔の各種の誘惑を一週間受けたとすると、その期間が終わるのは同年12月25日となります。
2019-12-31 22:41:06イエスの誕生日が12月25日であったとすると、このスケジュールによればイエスは三十歳を迎えると同時に公に宣教活動を始めることができたことになります。
「ユダヤの王ヘロデの世に、アビヤの組の祭司で名をザカリヤという者がいた。その妻はアロン家の娘のひとりで、名をエリサベツといった。」(ルカ1:5) 「アビヤの組」とは祭司の二十四組のうちの一つで、各組は当番制で一週間ずつ神殿に奉仕することを繰り返していました。
2019-12-27 21:06:07洗礼者ヨハネがエリザベツの胎内に宿ったのは、ザカリアが神殿での奉仕を終えて家に帰ってしばらくたった頃のことです(ルカ1:23-24)。
2019-12-27 21:07:46ザカリアが属していた「アビヤの組」が紀元前3年にいつ神殿に奉仕していたかはエルサレム・タルムードの記録から逆算することが可能で、ユリウス暦に換算して9月5日から11日であったことがわかっています。dec25th.info/pdf%20books/Pr…
2019-12-27 21:15:19ザカリアが神殿での務めを終えてニ週間後にエリザベツが身ごもったとすると、それは紀元前3年9月25日となります。人間は受精から平均して266日で生まれてきますが、紀元前3年9月25日の266日後は紀元前2年6月18日です。
2019-12-27 21:25:37