カルロス・ゴーンは17年も日本にいて結局日本語を喋れなかった
日本が大好きと言いながらテレ東記者の日本語のインタビューに答えようともしなかったゴーンの性根が分かって来そうなものである。
喋れたとしても精々はじめてのおつかいに出て来る幼児達の商取引程度(おつかい)くらいだったのだろう(横流ししたお金で作らせた名前がシャチョー号だったりショーグン・インベストメントだったりビューティー・ヨットだったりするというアレっぷり)。
焼き鳥屋によく通っていたのも結局日本語が不自由で近くの馴染みのところにしか行けなかったという表れだったのではなかろうか。
(在日米軍の米兵も基地の施設に飽きて時々基地の外に出ることもあるのでゴーンも早い段階で単調な生活に飽きて外に出たのではないかと思われる)
日本人が外国で買い物や食事をしようとしても外国語が出来ずにファストフード店しか選べないようなものだろう。
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- kusamura_eisei
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