パオロ・バチガルピ『ねじまき少女』感想について、上田早夕里先生によるtweet、リツイートからの派生(2)

「パオロ・バチガルピ『ねじまき少女』感想について、上田早夕里先生によるtweet、リツイートを中心にまとめ。」 http://togetter.com/li/144576 上記まとめの派生で、上田早夕里(Ued_S)先生からの問いかけへの返信をまとめました。
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おひっぷ @ohip_up

@Ued_Sさんのご意見を待って投下しようと思って書いていたものを、ここからまたちょっと書かせてください。http://togetter.com/li/99697を読んで@Ued_Sさんのご意見について腑に落ちた部分があったので。

2011-06-08 13:57:11
おひっぷ @ohip_up

おそらく、書き手が特定の定義を前提に置いていない場合、@Ued_Sさんは「(小説の)倫理」をこういう意味で読んでいるのではないかという認識から始めます。違っていたらご指摘ください。http://twitter.com/Ued_S/status/35895349201604608

2011-06-08 13:57:35
おひっぷ @ohip_up

わたしの出した「エシカルな」(カギカッコつき)は、多くの場合「フェアトレード/エコロジーの観点で一定の正しさをパスするかどうか」といった、限定的かつ現代的な価値判断を指しています。やや現代のトレンドを<批判する意味合いで>書いています。

2011-06-08 13:57:44
おひっぷ @ohip_up

「倫理的な=最も一般的に言う生活道徳的な」「エシカルな=限定的な意味での現代的環境倫理」この言葉の使い分けについて、もう少し説明が必要でした。すみません。さらにいうと、わたしは作品における生活道徳としての倫理についてはあまり重視していません。

2011-06-08 13:57:52
おひっぷ @ohip_up

ここで最も重視しているのは「繊細さ」です。もちろん、単に丁寧で細やかであるということだけでなく、生活道徳的な倫理や政治性からはみ出す「不穏なもの」をも豊潤に扱いうる力のことを指しているつもりです。

2011-06-08 13:58:09
おひっぷ @ohip_up

@Ued_Sさんの挙げられた「豊かに反逆しつづけるものの、悪の倫理、悪の華」とある程度通じるのではないかと思います。

2011-06-08 13:58:12
おひっぷ @ohip_up

もしもこの繊細さが発揮されれば、それは同時に小説の普遍的な倫理(といって狭ければ一定の強度)を果たしたことになるのではないか、と。 http://twitter.com/ohip_up/status/77214532384210944

2011-06-08 13:58:21
おひっぷ @ohip_up

@Ued_Sさんが「エシカルなんて軸にしない」とおっしゃった理由は、わたしの「政治的妥当性なんかいらない、繊細でさえあれば」という主張と、大きくコンフリクトするものではないのではと感じます。違っていたら申し訳ありません。

2011-06-08 13:58:29
おひっぷ @ohip_up

しかし、悪の華を豊潤なまま扱いうる繊細さを獲得する、ということは、ときにうんざりするほど平たい「エシカルな」ことがらをも、繊細に(つまり十全な残虐さで)扱う強度を求められるということではないか、とも思うのです。

2011-06-08 13:58:37
おひっぷ @ohip_up

バチカルビの短編などから受けた印象に「エシカルな退屈さ」を挙げたのは、「うんざりするほど平たい、商業的に消費されやすい要素」がストレートに・素朴に・疑いなく・わかりやすさそのままにすっと盛り込まれている、と感じていた部分があります。

2011-06-08 13:58:46
おひっぷ @ohip_up

「悪をも豊潤なまま扱う繊細で残虐な手つき」で環境や食料エネルギー問題を盛り込んだら、こうした問題を一度要素としては殺しきる、ということになるかもしれない。そういう残虐さの尺度において、バチカルピには「正しすぎるし優しすぎる」と感じていたのです。

2011-06-08 13:58:58
おひっぷ @ohip_up

これらの問題に対して真摯につきあってるんだな、と思うと同時に、ちょっと疑いがなさ過ぎるんじゃないかという懸念もときどきあったのです。

2011-06-08 13:59:09
おひっぷ @ohip_up

たとえば、わたしたちがエコカーのポスターを眺めたとき、バチカルピを読んだあとでは全く違って見えてくるような揺さぶりが、もっと強く欲しかったということではないかと思います。あるいは、エコカーのポスターが貼られている町の風景そのものが違って見えてくるとか。

2011-06-08 13:59:19
おひっぷ @ohip_up

まさに、@Ued_Sさんのいう「道徳や倫理が変容する瞬間」を、本を通して体験したいと。乱暴かもしれませんが、SFの読み手は多かれ少なかれ、そういう瞬間を求めてSFを読むのではないかと思うのです。

2011-06-08 13:59:33
おひっぷ @ohip_up

そういう変容の瞬間をたくさん得ることで、ひょっとしたら多様さを<自分ごと>(にかなり近づいたもの)としてまざまざと思い描くことができるのかもしれないと。

2011-06-08 13:59:40
おひっぷ @ohip_up

基本的には、バチカルピの「環境問題そのものを扱うにあたって、ちょっとぐらぐら感が足りない、殺しきっていない」という印象は、「ねじまき少女」で「いやいや、けっこうぐらぐらきたかもよ」という印象に変わってきています。

2011-06-08 14:00:02
おひっぷ @ohip_up

それでも若干疑いがないように思えるけれど、前よりはずっとぐらぐらきている。ここをいいぞ!と評価したのです。

2011-06-08 14:00:05
おひっぷ @ohip_up

「ねじまき」には、バチカルピに「このヒト絶対もっと不穏なトコあるやろ、もっと出せるやろ」と思っていた悪のドライブする瞬間を感じた、ということです。

2011-06-08 14:00:15
おひっぷ @ohip_up

ただし、具体的な「エシカルな要素」については、まだ現代的価値観から無傷のまま、疑いなく残されている部分もあると感じています。そこをきっちり殺しきってほしい、無傷のままじゃ退屈だよ、という思いが「エシカルな退屈さ」といったら伝わるでしょうか。

2011-06-08 14:00:24
おひっぷ @ohip_up

@Ued_Sさんのご意見には、誰かが倫理といったらまず一番に「生活道徳的な価値判断にパスするかどうか」が問題にされているのだ、という前提があると思います。

2011-06-08 14:00:47
おひっぷ @ohip_up

しかし、たとえば演劇評論や文学・思想系の周辺では、「悪をも豊潤に扱いうる繊細にして残虐な力、生活道徳を変容させる価値としての倫理」ということも、十分に理解され流通していると思います。

2011-06-08 14:00:51
おひっぷ @ohip_up

@Ued_S これはバチカルピの問題から離れてしまいますが、そこのところは「読み手を信頼してください、読み手もがんばってますので」とメッセージを送りたいと思います。

2011-06-08 14:01:10
おひっぷ @ohip_up

@Ued_S SFジャンルとしての評論の内部でこういう基準が採用されているから、というのは重要かつ切実な基本問題だとは思うのですが、それこそさまざまなジャンルを<流動>していて、一定の(あくまで一定の)多様さを持った読み手がすでにスタンバイしているような気がします。

2011-06-08 14:01:40
おひっぷ @ohip_up

@Ued_Sさんがおっしゃる「作品はどうあるべきか」という基準、それに照らしての評に関しては、基本路線として同じような思いを感じているにもかかわらず、いまひとつ伝わっていない最大の理由は、わたしのフワフワした書きようがあるとおもうのですが→

2011-06-08 14:06:14
おひっぷ @ohip_up

→ @Ued_Sさんがときおり、「読み手は悪をも豊潤に扱える力のことなんかめったに考慮してくれないのだ、倫理といったら現代的常識的な生活道徳のことしか思い至らないのだ」という思いを強くもたれているように見えることは、少し寂しく思います。

2011-06-08 14:11:28