富田倫生さん「青空文庫創世記」

富田倫生さんが青空文庫1万冊登録を記念して、ボイジャーと出会ってから青空文庫の設立に至るまでの秘話をツィートされたものをまとめました。
50
富田倫生 @aobeka

今日は、青空文庫の作った公開ファイルが1万に達した、節目の日です。 http://bit.ly/jjOwLl 「私と文庫」ネタで、つぶやきませんかということで、まず私から。野口さんも、ハッシュタグお願いね。連投するので、うるさければ外してください。 #aozorabunko

2011-06-08 10:50:03
富田倫生 @aobeka

①私にとっての青空文庫への道を、振り返ります。 #aozorabunko

2011-06-08 10:53:12
富田倫生 @aobeka

②1990年代のはじめ、ボブ・スタインさんのVoyagerが、HyperCardを本に見立てた、Expanded Bookを作りました。同社はもともと、レーザーディクによる映画やマルチメディア作品の提供を行っていて、本家パイオニアとつながりがありました。 #aozorabunko

2011-06-08 10:54:08
富田倫生 @aobeka

③パイオニアで、レーザーディクにデジタルメディアとしての可能性を見ていたのが、萩野正昭さん率いるチームです。作業協力を通じて、同士的絆が芽生え、彼らは独立して、姉妹会社のボイジャーを日本に作ります。 #aozorabunko

2011-06-08 10:55:40
富田倫生 @aobeka

④チームには、祝田久さんというプログラマーがいました。パイオニアでデジタルメディアの可能性を探っていた時期、雑誌で「裸眼3D」の開発者として取り上げられているのを鎌田純子さんがみつけ、「面白そう」と紹介。萩野さんがたずねたのが出合いでした。 #aozorabunko

2011-06-08 10:57:56
富田倫生 @aobeka

⑤ぼろアパートで、「これです」と見せられても全然3Dにみえなくて、萩野さんはそのまま帰りたくなったそうです。でも、アップルⅡの互換機やPC-9801などで埋まった部屋で、デジタルメディアをパソコンでコントロールするという、共通の話題がみつかりました。 #aozorabunko

2011-06-08 10:59:09
富田倫生 @aobeka

⑥ボイジャーで、祝田さんはまず、Expanded Bookを日本語化します。これを使った、日本語電子書籍も同社から出ました。ただ祝田さんには元々、自分なりのHyperCardを一から作りたいという希望があったんです。ビル・アトキンソンをぶっとばせ! #aozorabunko

2011-06-08 11:01:46
富田倫生 @aobeka

⑦その祝田さんの願いが、縦組み横組み双方可能、ルビ表示、マルチメディア埋め込み可能のエキスパンドブックを作る、ツールキットⅡとして結実します。1990年代半ば、孤軍奮闘の態で、ボイジャーは日本語電子書籍を押し進めました。 #aozorabunko

2011-06-08 11:03:16
富田倫生 @aobeka

⑧当時はまだ、紙の本は、揺らいでいませんでした。それでも、電子のボイジャーに、ファンがつきました。出版の世界に手がかりをもてなかった一握りの「弱者」が、もう一つの、身近な出版の夢を、デジタルにかけたんです。 #aozorabunko

2011-06-08 11:05:22
富田倫生 @aobeka

⑨「ボイジャーには、病人と貧乏人ばかりがよってくる」当時の萩野さんの、歴史的名言です。言われてみれば、確かにそう。事実私は、両方の条件を満たしていました。 #aozorabunko

2011-06-08 11:06:35
富田倫生 @aobeka

⑩森高歌うところの「ライター志望」で、パソコン誌、科学誌の乱立に乗じて仕事をわけてもらうようになりました。はじめて書いた本は、NECの事業の黎明期を描いた「パソコン創世記」で、1985年に旺文社文庫からでました。 #aozorabunko

2011-06-08 11:11:08
富田倫生 @aobeka

⑪ところが、旺文社の文庫からの撤退とどんぴしゃ重なって、この本がシリーズの棚ごと書店から消えます。事情を知って買い取りを求めたときには、裁断済みでした。そろばん勘定に合わなければ、本は消えると、身を以て知りました。 #aozorabunko

2011-06-08 11:16:42
富田倫生 @aobeka

⑫それでも、物書きとして紙の世界で生き残ってやるとあがいていた1990年、アシモフさんとの打ち合わせを終えて、ニューヨークからとんぼ返りしたところで、起き上がれなくなりました。 #aozorabunko

2011-06-08 11:20:54
富田倫生 @aobeka

⑬C型肝炎。世話になっていたソフトバンクの出版責任者が、「是非この病院にかかれ」といってくれたところの見立てでは、すでに肝硬変。今までの仕事は無理。若いのに、お気の毒だけれど、と言い渡されました。38歳でした。 #aozorabunko

2011-06-08 11:25:16
富田倫生 @aobeka

⑭長期入院が続き、連載が維持できなくなりました。数年のうちに、仕事が途絶えます。久しぶりの文春で、使ってもらっていた編集者から、「まだ生きてたの」と驚かれたのは、誰がお陀仏情報を流していたのかな、わかるけど。 #aozorabunko

2011-06-08 11:32:25
富田倫生 @aobeka

⑮ここに、紙の世界から落ちこぼれた、ライター崩れが誕生します。その目の前に、電子書籍の蜘蛛の糸が…。本としての姿を、ほとんどとどめられなかった「パソコン創世記」をせめて自分でデジタルにすれば、この世に残せると、ベッドで思いました。 #aozorabunko

2011-06-08 11:33:58
富田倫生 @aobeka

【番外】本編がなかなかはじまりませんが、東京での約束の時間が近づいてきました。夕方、戻ってから、せめて青空文庫のスタートまでは、たどりつきたいと思います。じゃあ、いったんお休み。 #aozorabunko

2011-06-08 11:37:38
富田倫生 @aobeka

⑯降りてきた糸に結んで、せめて天に遺したかった初代「創世記」は、TK-80から8001あたりの話です。98も出てきません。インターフェロンの副作用で、ブックにテキストを流し込むことしかできないけれど、せめて後書きでその後の流れに触れようと思いました。 #aozorabunko

2011-06-09 11:19:37
富田倫生 @aobeka

⑰萩野さんが、「創世記」をボイジャーで出そうと言ってくれました。ところが、骨組みをかためぬまま、霧のかかった頭で書き始めると、分量だけがかさんで、後書きは轍をなしません。原稿用紙換算で200枚ほども書いたところで、使えないと見極めがつきました。 #aozorabunko

2011-06-09 11:20:08
富田倫生 @aobeka

⑱使用制限ぎりぎりで使ってきたインターフェロンが、気持ちと体を疲れさせ、打ち切りとなりました。残念だったけれど、短期的には副作用が消えて、少し楽になりました。渡辺さん、後藤さん、浜田さん、西さん、古川さん。再取材をお願いし、関係者を回り始めました。 #aozorabunko

2011-06-09 11:21:42
富田倫生 @aobeka

⑲後書きだったはずのものは、Windows戦略の先駆けとして構想された、半導体部門のPC-100対、情報処理本流のPC-9801の社内競合を描いた、別の物語りになりました。松本さんという、新しい主人公を軸に書き上げたときには、2年が過ぎていました。 #aozorabunko

2011-06-09 11:22:16
富田倫生 @aobeka

⑳この間に祝田さんは、自分のHyperCardを作り上げ、エキスパンドブックは、日本語の組版要求にかなり応えた上で、マルチメディアも盛り込める、本物に生まれ変わっていました。電子版「パソコン創世記」は、1995年にこれで作りました。 #aozorabunko

2011-06-09 11:22:56
富田倫生 @aobeka

㉑本物になったエキスパンドブックを、自分で作れるツールキットⅡが売り出されました。絶版本をよみがえらせよう。自分史を、自分の小説を、旅行記を、ミニコミを電子化しよう。動く絵本を作ろう。もう一つの出版を求める、多くは弱者達が、色めき立ちました。 #aozorabunko

2011-06-09 11:24:08
富田倫生 @aobeka

㉒電子化で、本作りは確かに身近になりました。でもフロッピーやCD-ROMをやり取りする流通は、旧態依然。できあがったものをどこで見せるか、どこで売るかという問題が、立ちふさがっていました。そう、インターネットの大波に洗われるまでは。 #aozorabunko

2011-06-09 11:24:53
富田倫生 @aobeka

㉓インターネットが社会基盤となると確信した時、配布の問題はすでに解けてみえました。時間さえかければ、回線速度は改善する。すべての電子本を、ここでやり取りできる。電子書店と、電子図書館の時代がくると直感しました。 #aozorabunko

2011-06-09 11:26:06