スピットファイアができるまで

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ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

突発で、スピットファイア誕生の歴史みたいなのを・・・部屋を掃除したばかりで本がいくつか行方不明だったり、ミッチェル技師について詳しく書いた本って邦訳ではないみたいで、多分間違っているでしょうけど

2011-06-09 23:02:42
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

スピットファイアが誕生のキーポイントはシュナイダーカップとミッチェル技師が有名ですが個人的にはロールスロイスとレディ・ホウストンも付け加えたいところです。

2011-06-09 23:05:24
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

スピットファイアを開発したスーパーマリン社は飛行家だった、ノエル・ペン・バートン・ヒリングが趣味のヨットと飛行機を合わせた「空飛ぶボート」を作れないか?というヒラメキがきっかけで1913年に数名のスタッフからスタートしました。

2011-06-09 23:07:44
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

WW1がすぐ勃発してしまい、スーパーマリン社は飛行艇の製造や海軍飛行隊機の設計を行っていました。後にスピットファイアを作ることになるミッチェル技師は1917年にスーパーマリン社に入社します。

2011-06-09 23:09:44
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

ミッチェル技師は高校卒業後、蒸気機関車工場の設計員として働きながら夜学に通って機械工学などを学んだ叩き上げで、21歳の時に製図員としてスーパーマリンに転職します。

2011-06-09 23:11:56
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

さて、WW1が集結してしまうと、それまでの仕事が無くなってしまいピンチに、ちょうどその頃海の向こうの大金持ちが、これからは水上機の時代!(キリッ!)と先見性があるのだか無いのだかわからない考えのもと、水上機の発展のためレースを開くことにします。

2011-06-09 23:14:10
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

当時はまだフラップなどが未発達で陸上機よりも滑走距離に制限のない水上機のほうが性能を追求しやすかったのです。飛行機の時代になることを予測したのは先見性があったとは思いますが、フラップなどの発達により水上機はWW2以後急速に廃れていきます。

2011-06-09 23:15:46
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

レースの人気はどんどん加熱していき観客は最終的には50万人にも登ったとか、ちなみに1918年の世界人口は20億人前後だそうで、すごい人気です。さらにメーカー同士の戦いから徐々に国威発揚の場へと変わっていくことになります。

2011-06-09 23:18:40
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

余談ですがこのころイタリアやドイツは様々なレースに力を入れており、イタリアではSC付き250CC4気筒のレーサーが開発されたり、ドイツのシルバーアローなんかは今でも有名ですよね

2011-06-09 23:24:42
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

という訳で、競争は激化!イタリアではムッソリーニの指導のもと国策でレーサーの開発が行われ、アメリカではドゥーリトル駆るカーチスが圧倒的な技術力で殴りこみ、三連勝上げたものに送られる永久トロフィーをかけて一進一退の攻防が続きました。

2011-06-09 23:28:50
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26年にアメリカが脱落し、27年からミッチェル技師が設計者となりシュナイダーカップはイタリアとイギリスとの一騎打ちに、1931年二連勝をあげトロフィーに王手をかけた、スーパーマリンに危機が訪れます。政府からの援助が受けられず、資金不足に陥り新型機の開発ができなくなってしまいました

2011-06-09 23:32:27
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

そんな中名乗りを上げたのが未亡人レディ・ホウストンで、彼女は10万ポンドの寄付と、以後請求書は全部渡しのところへ持ってきなさいとタイム誌で宣言、これにより完成したS6Bは見事優勝、トロフィーの栄誉は永遠にイギリスのものとなります。http://t.co/dR6DUwM

2011-06-09 23:36:18
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S6Bに搭載されたエンジンがスピットファイア誕生の布石の一つになるのですが、それはまた後に。

2011-06-09 23:38:01
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

このころの技術進歩はとても恐ろしい物だったのですが具体的にエンジンの馬力を見ていくと、初期の傑作機の一つタウベhttp://t.co/haGWJjhが100馬力前後。のちのスパッドなんかが300馬力も行かないくらいなのですが、S6Bにナルト2350馬力にもしなります!

2011-06-09 23:42:53
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シュナイダーカップで実用化された新技術に過給器や特殊燃料などがあるのですが、80年代のF1みたいな感じだったのでしょうね

2011-06-09 23:44:47
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

シュナイダーカップを制したスーパーマリンにまたもや危機が訪れます。(ワンパターンですが・・・)世界大恐慌によって優勝したらまた今度はお仕事が無くなってしまったのです・・・そこでスーパーマリンは戦闘機の開発に乗り出すことにします。

2011-06-09 23:46:12
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スーパーマリンが社運をかけた初めての戦闘機は要求仕様書F.7/30をもとに作られたType224 http://t.co/uRlNwDu になります。 世界の駄っ作機の愛読者にはおなじみの阿鼻叫喚の要求仕様書です・・・

2011-06-09 23:50:02
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この要求書には、ゴスホークエンジンを使ってね♡と書かれていたのですが、当時としては優秀なカタログスペックだったゴスホークエンジンはHe110でも有名な蒸気冷却システムで、かなり信頼性がアレなエンジンで、Type224自体処女作ということもあり低性能で採用を逃してしまいます。

2011-06-09 23:53:00
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

崖っぷちに立たされるスーパーマリン社、そんな中シュナイダーカップの時に一緒にS6Bを作ったロールスロイスから、同じく社運をかけたあるエンジンが提示されます。これが完成したばかりのマーリンでした。

2011-06-09 23:55:07
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

ロールスロイス社はシュナイダーカップでの経験から近代的な一体鋳造されたエンジン、過給器、2000馬力級の高出力エンジン、これらの経験をもとに大恐慌のなか航空エンジンに生き残りをかけ自社開発でPV.12という液冷V型12気筒のエンジンの開発を始めます。後のマーリンです。

2011-06-09 23:57:34
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

もっとも、ゴスホークもロールスロイス製なんですけどね(よそ見をしながら

2011-06-09 23:57:59
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

社運をかけた新型戦闘機がポシャり、主任設計のミッチェル自身も後に命を落とす大腸がんが発見されたどん底の時期、Type224の経験からより高速で高い上昇力、優れた空戦性能、そして多銃装備した新しい戦闘機の構想、ロールスロイスから提示された新型エンジン、怒涛の巻き返しです。

2011-06-10 00:03:58
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

34年の秋には大まかな設計が出来上がり、これが全開の驚異の駄作機祭りで困っていた空軍の目を引き、スーパーマリンへ1万ポンドの資金提供とF.37/34の要求仕様書を提出、1935年8月、いよいよType300もしくはK5054と呼ばれる原型機の制作が始まります。

2011-06-10 00:07:35
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

1936年2月にはついに原型機が完成。テストの真っ最中の6月2日にスピットファイアの名前を与えられたType300は320機の発注が決まり、スーパーマリンは倒産の危機を脱します。 http://t.co/j9tBRsN

2011-06-10 00:11:58
ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

ちなみにスピットファイアの採用が決まるまでのスーパーマリン社の19年~36年までの生産数は137機だったそうです

2011-06-10 00:12:57