第27回AI美芸研「人工知能美学芸術展記録集出版記念」@美学校

【日時】 2020年02月09日(日) 15:00-18:45(開場14:30) ※終了後、懇親会(沖縄料理)(22:30まで) 【会場】 東京都千代田区神田神保町2-20 第2富士ビル3F 続きを読む
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フルヤアツシ @ves_telesterion

■これで第27回AI美芸研を終わります。 ありがとうございました! #AI美芸研

2020-02-09 19:12:30
AI美芸研(人工知能美学芸術研究会) @AIbigeiken

以上で全体討論を終わりにします。”AI美芸研 中ザワ:ぜひ本をよろしくおねがいします。

2020-02-09 19:12:35
AI美芸研(人工知能美学芸術研究会) @AIbigeiken

草刈:記号設置問題に関しては2月24日の3331で話そうと企画しております。 中ザワ:これにて第27回AI美芸研を終わりにします。 #AI美芸研

2020-02-09 19:14:29
カワムラ シュウイチ @cut_shimashita

カタログに載ってるQRコードで講演の動画に飛べるのすごい。#AI美芸研 pic.twitter.com/XcsbHw74MU

2020-02-10 01:12:27
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Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(AI1)昨日、私が翻訳でお手伝いさせて頂いた、中ザワヒデキさんと草刈ミカさんによる人工知能美学芸術展の図録の出版記念会があり、そこで中ザワさんが2003年頃から論じていた問題を久しぶりに考えたので、連投したい。

2020-02-10 11:31:49
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(AI2)中ザワさんは以前より、ビッドマップ形式のペイントソフトとベクター形式のドローソフトの違いに拘っており、それをデモクリトスの原子論的世界観(原子や画素のボトムアップ的帰納法)とプラトンのイデア論(トップダウン的演繹法)の違いだと位置付けた。

2020-02-10 11:32:14
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(AI3)そして人工知能における結合主義(コネクショニズム)とは、多数のノード間の結合力の差異からボトムアップ的に構築していく原子論的発想で、天与の方程式からトップダウン的にプログラミングしていくイデア論的発想の記号主義(シンボリズム)と繋がらない、と中ザワは述べる。

2020-02-10 11:32:36
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(AI4)結合主義と記号主義がつながらないことこそ記号接地問題の本質で、原子論とイデア論の相入れなさであると述べる中ザワは、これはソシュールの挫折に通じる所がある、と興味深いことを述べている。

2020-02-10 11:32:54
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(AI5)私は、ソシュールの「意味するもの(シニフィアン)」と「意味されるもの(シニフィエ)」の関係は、 大乗仏教の空(くう)=śūnyatāの概念、すなわち名づけるもの(signifiant)と名づけられるもの(signifié)の関係と一致すると考えている。

2020-02-10 11:33:18
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(AI6)般若心経の有名な下り「ギャーテーギャーテー」とは、二元論(方便)を越えて彼岸に行こうという意味である。またカントの構想力は、signifierによってsignifiedされるものが複数の人にとって同じである不思議を巡るものだが、これはまさに記号接地問題そのものだ。

2020-02-10 11:33:40
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(AI7)ものを指す(signifier)「コップ」や「テーブル」という言葉は、全て比喩に過ぎない。その比喩が、他者の比喩する所と重ね合わさった所に意味が生まれ、「コップ」が存在することになるけれど、その比喩を他者と共有することは、帰納法により始まり、演繹法に終わる。

2020-02-10 11:34:08
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(AI8)私は10歳の頃、母に「今晩何が食べたい?」と聞かれて、急に言葉が話せなくなってしまったことがある。それは、母が言う「今晩」「何が」「食べたい?」という言葉の持つ意味がバラバラになり、自分の意味する「今晩」や「食べる」という行為と一致するか、確認できなかったからだった。

2020-02-10 11:34:56
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(AI9)私は3ヶ月ほど日常会話ができなくなってしまい、酷く悩んだ。しかしその時、再度母が「今晩何が食べたい?」と聞いてくれて、すかさず「カレー」と答えると、その日の晩にカレーが出て来て、「ああ、これでいいんだ!」と納得したことがあった。10歳の私はカレーを経験的に帰納し、演繹を導いた!

2020-02-10 11:35:22
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(AI10)つまり「カレー」という言葉が指す(signifier)「カレー」という食べ物(signified)が一旦帰納法的(ボトムアップ、述語的)に確認されると、そこから「カレー」のイデアが一般化され、そこからは演繹的(トップダウン、主語的)に導くことが可能になる。

2020-02-10 11:35:53
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(AI11)しかしAIには意識(mind)はあっても、他者と繋がった無意識(魂=soul)がない、つまり本来的な意味でのボトムアップ、すなわち生命が連続することで培ってきった、生得的に得られている普遍文法(チョムスキー)が欠けていると私は考える。

2020-02-10 11:36:17
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(AI12)ライプニッツは理性真理こと公理からの演繹を「述語概念が主語に含まれる」、事実真理こと総合的命題を「述語概念が主語に含まれない」と上手いことを言ったが、これは主語が「名付けられたもの(Nominativ)」、つまり公理化されたものだからだろう。

2020-02-10 11:36:39
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(AI13)つまり本来的には「名付けえぬもの」である「わたし」を、デカルトのコギトが公理化して、近代的主体としての「わたし」として位置付けた。しかしこの「わたし」は述語概念を主語に含むことができないから、その外部に矛盾律としての齟齬を生む。これは記号接地問題と一致する。

2020-02-10 11:37:19
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(AI14)ライプニッツの「述語は主語に含まれる」に対して、西田幾多郎の「主語は述語に含まれる」や、木村敏の私とは場所である=述語的であるとの考えは、自由意志として成立する私(能動)を、受動意識的に成立する私(受動)と重ね合わせて解決しようとする試み、記号接地問題の解決の試みでもある。

2020-02-10 11:38:32
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(AI15)これを美学において考えると、東山文化の時代に発生したわび、さびの美学とは、内的なもの(述語中心の中動態的発想)=侘(わび)、外的なもの(主語中心の能動的発想)=寂(さび)すなわち自己と自然を重ねることで記号接地させる道教的(禅的)美学とは言えないだろうか。

2020-02-10 11:39:11
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(AI16)さらにドイツ的なエンパシー(感情移入)と日本的シンパシー(同情)の違いは、英雄叙事詩によって確立した西欧の主体的言語と、ものごとが「もの」(signified)と「こと=言葉」(signifier)とに分かれて成立した万葉集以降の日本語における間主体、場所や述語感との違いと言える。

2020-02-10 11:39:44
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(AI17)まとめると、ボトムアップとトップダウン、述語と主語の一致が記号接地問題の本質で、そのヴァリアントが、ビッドマップのペイントソフトとベクターのドローソフト、デモクリトスの原子論とプラトンのイデア論であり、これら全ての演繹法は帰納法の一部だと結論づけられるだろう。

2020-02-10 11:40:37
マリコム @maricomxxxxx

ああ。。AI美芸研行きたかった。。

2020-02-11 03:51:39
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