震災後、宮城・福島に行ったこと。

四月十一日から一週間、宮城・福島へボランティアに行った間のツイートをまとめました。
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稲田エイジ|BtoBのWebサイト制作/Web活用支援/コンテンツ支援/HubSpot @inada_h

@NEONHALL @yama_tani 報告遅くなってごめんなさい。実質、昨日が活動初日だったので、ボランティアの方たちとコミュニケーションとるのに終始していました。ぼくはカトリック団体の活動に参加させていただいて、宮城県石巻市の教会で寝泊まりしています。

2011-04-13 08:40:23
稲田エイジ|BtoBのWebサイト制作/Web活用支援/コンテンツ支援/HubSpot @inada_h

昨日は避難所となった小学校で一日お湯を沸かしては配っていました。学校は煮炊き禁止なので朝昼晩とお湯を求める方がポットを手に列をなします。配給されるパンやおむすびは温かいものではないので、お湯が喜ばれるようです。

2011-04-13 08:52:14
稲田エイジ|BtoBのWebサイト制作/Web活用支援/コンテンツ支援/HubSpot @inada_h

何より自分が好きな時にコーヒーやインスタントの食事がとれる「選択肢の自由度」を得られることが彼らにとって大きいのではないかとぼくは思います。お湯をもらいにきたおばさんが「贅沢いうみたいだけど地震前は普通にそうやって暮らしてたんだよね」といいました。贅沢でも何でもないとぼくは思う。

2011-04-13 09:10:17
稲田エイジ|BtoBのWebサイト制作/Web活用支援/コンテンツ支援/HubSpot @inada_h

あ、時間だ。これから個人宅のヘドロ撤去にいってきます。車の窓からは津波による家屋崩壊地帯が広がります。この崩壊地帯とそうでないエリアのギャップについてはまた後ほど。

2011-04-13 09:13:54
稲田エイジ|BtoBのWebサイト制作/Web活用支援/コンテンツ支援/HubSpot @inada_h

今日も終了。個人宅では床下のヘドロ撤去を。石巻工業港から1キロのこの家では道から2mの高さほど浸水。襲いかかる津波ではなく、驚く速さで海水が上昇したそうです。家を傷める床下のヘドロをシャベルで掬い、バケツで道路脇へ。道の物は市が撤去してくれるが、ここまでは個人。人手がいるのです。

2011-04-13 19:28:10
稲田エイジ|BtoBのWebサイト制作/Web活用支援/コンテンツ支援/HubSpot @inada_h

こう書くと粛々とのようですが、ご夫婦の人柄もあって和気藹々と。見に来た孫にも「長靴はいてきなさい」と薦めて一緒に作業し、午前で完了。別れ際に許可をもらって写真。シャイで甘いマスクのコテツは将来モテ男になる予感がぷんぷんなのだ。 http://yfrog.com/gyryihhj

2011-04-13 20:15:55
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ヘドロ撤去を終えてベースキャンプへ。昼食後に支援物資の仕分け。お茶漬けの素をひたすら開けて種類別にパッキング。これで冷たいおむすびが温かくいただけるようになるか、それはまだ不明。3時から時間を頂けたので、宮城県石巻市と同じく被害の大きかった女川町へ。女川原発まで向かうことにする。

2011-04-13 20:36:55
稲田エイジ|BtoBのWebサイト制作/Web活用支援/コンテンツ支援/HubSpot @inada_h

女川町は美しかった。津波の被害は想像を絶するほどで、津波を受けた集落はほぼ瓦礫と化している。いたるところで自衛隊が作業している。しかし、女川町は美しい。リアス式海岸特有の入り組んだ海と日本の山、人の手触りを感じるサイズの湾。その向こうに広がる海。日本人好みの完結した美しさがある。

2011-04-13 20:55:41
稲田エイジ|BtoBのWebサイト制作/Web活用支援/コンテンツ支援/HubSpot @inada_h

ぼくのような外来者は思わず女川町を被害の甚大さで語ってしまいそうになるが、ここは美しい港町なのだ。そこがどのような町で、どんな美しさを紡いできたかをぼくは知りたい。女川原発までの道々で小さな小さな湾がいくつもある。その度に車を停め、絶望的に壊滅した無人の、しかし美しい集落を歩く。

2011-04-13 21:15:20
稲田エイジ|BtoBのWebサイト制作/Web活用支援/コンテンツ支援/HubSpot @inada_h

鷲神浜から女川原発方面へ。高白浜、根浜、塚浜、名のわからない浜。車を停め歩く。五分で横断できてしまうような小さな港。両脇を山に囲まれ、正面には穏やかな海と美しい入江。ここで生きる人々は不自由さがありながらも、この風景と受ける恵みと営んできた暮らしを美しく思ってきただろうと思う。

2011-04-13 22:23:45
稲田エイジ|BtoBのWebサイト制作/Web活用支援/コンテンツ支援/HubSpot @inada_h

二三十戸ほどであったろう女川の小さな集落。子鯉の鯉幟が一匹だけ高い木の枝に飾られたかのようにはためいている。百戸ほどの集落では瓦礫の中に小学校だけが佇んでいる。ここに通う子たちは、鯉幟を飾られた子は今どうしているんだろうと思う。車に戻る度に自分の呼吸が浅くなっていたことに気づく。

2011-04-13 22:48:23
稲田エイジ|BtoBのWebサイト制作/Web活用支援/コンテンツ支援/HubSpot @inada_h

鷲神浜から女川原発までの壊滅した集落を歩きながら、「それでも、女川は美しい」とぼくはその度に思い、目の前の風景を見た。車に戻る度に息を戻した。女川原発が見えるポイントに着いても、何の思いも抱かなかった。ただの、人目につかない山奥にこそこそと作られた醜い建物にしか見えなかった。

2011-04-13 23:13:35
稲田エイジ|BtoBのWebサイト制作/Web活用支援/コンテンツ支援/HubSpot @inada_h

おはようございます。今日は寒くない朝。七時からのお湯の配給に合わせてテント前にはポットの列ができます。これからぐんぐん伸びる。通行のじゃまにならないように途中で直角に曲がっているのは自発的に生まれた皆さんのルール。 http://yfrog.com/hsgp7yoj

2011-04-14 06:52:16
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朝のお湯出し助っ人終了。親指をちょっと火傷した。夕方までのお湯出し班を残してベースキャンプの教会へ。一休み後は今日も石巻市個人宅の清掃。事前情報によるとお年寄りの女性一人暮らしで、屋内にはかなりのゴミや瓦礫が流れこんでいるらしい。大きな屋敷で居間には井戸があると謎の情報も。

2011-04-14 07:50:32
稲田エイジ|BtoBのWebサイト制作/Web活用支援/コンテンツ支援/HubSpot @inada_h

今日の個人宅は海から1キロ、北上川河口から徒歩30秒のSさん宅。津波が一階上部まで襲い、二階で愛犬と夜を過ごしたそう。高齢で一人暮らしなので、この一ヶ月何も出来ていませんでした。恐らくそういう方は何人もいるのでしょう。一階の壊滅ぶりは若いぼくらでも怯むほど。そもそも家に入れない。

2011-04-14 18:44:57
稲田エイジ|BtoBのWebサイト制作/Web活用支援/コンテンツ支援/HubSpot @inada_h

まずは玄関の瓦礫とヘドロを撤去して足場作り。何とか屋内に入るとヘドロにまみれた畳やテーブル、箪笥が山を作っている。それらを掻き分けながら遺影やアルバムなどを確保。きちんとしたご家庭のようでアルバム毎にタイトルが記入されている。 http://yfrog.com/hs818lfj

2011-04-14 21:00:21
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お子さんの大学入学や結婚式、飼い犬が家族になった日のことを丁寧に記入していた。そういうことを大切にしていた暮らしぶりが伝わる。掻き出したアルバムは五十冊近く。途中から強力な助っ人が三人登場して大物家具を全て出せ、劇的に瓦礫撤去が進む。一歩も入れなかった屋内に全部屋入れるように。

2011-04-14 21:12:54
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壊滅的だった一階部が全てフラットになり、アルバムや記念品を多く救い出せた。二階にいたSさんに一階部を震災後初めて見てもらう。見違えた一階に驚いていたSさんは、回る途中で「もういい」と言った。気持ちは分かる気がした。そこで得たことは、もうこの家には住めないという決定的な認識なのだ。

2011-04-14 21:39:59
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それでも、その場にいたスタッフは全員が思った。災害被害を個人で認識することはこんなにも辛く、しかし必要なことなのだと。全壊の行政判断を受け入れられなかったSさんは、被害状況を自分の目で見て「これじゃあダメだ」と何度も言った。Sさんはこれから「選択する」という次のフィールドに立つ。

2011-04-14 22:06:17
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「もう要らない要らない」と何度も言ってSさんは避難先の兄弟宅に戻った。悲壮にも聞こえるし、振り切っているようにも聞こえる。気になりつつベースに戻ると、Sさんの知人から連絡。震災後、ずっと参加しようとしなかった書道会に次は行くと電話がきたとのこと。Sさんはどんな声だったのだろう。

2011-04-14 22:21:10
稲田エイジ|BtoBのWebサイト制作/Web活用支援/コンテンツ支援/HubSpot @inada_h

しかしSさん宅の作業はハードだった。夕飯担当はぼくだったのだが、正直くたくたで「お前ら塩でも舐めてろ」と軽口を叩きつつベースに帰ると新しいスタッフが。なんと彼はヨーロッパの三ツ星レストランで勤務歴があるとのこと。初日で遠慮がちな彼を全力で口説いて、夕飯作りのメインになってもらう。

2011-04-15 05:44:09
稲田エイジ|BtoBのWebサイト制作/Web活用支援/コンテンツ支援/HubSpot @inada_h

別の新しいスタッフは元居酒屋経営者。色々な人が集まる。それじゃあと男三人でキッチンに並ぶ。三ツ星の彼主導でポトフ、ピザ風ポテト、ポーチドエッグサラダがどんどん出来上がる。楽しい。数日だけだが、被災地での「復旧する」作業をしていると、こうした「何かを作り出す」ことにとても救われる。

2011-04-15 06:06:53
稲田エイジ|BtoBのWebサイト制作/Web活用支援/コンテンツ支援/HubSpot @inada_h

おはようございます。宮城県石巻市でのボランティアも今日で最終日。いつもの避難所にお湯出しに来ると、顔見知りになった方から「今日までだっけか」と声をかけてもらう。うれしい。今日はお湯出し後、個人宅の清掃をしてベースから退出し、夕方から福島県に向かう予定。見れるものは全て見たい。

2011-04-15 06:51:39
稲田エイジ|BtoBのWebサイト制作/Web活用支援/コンテンツ支援/HubSpot @inada_h

昨日のSさん宅の二階を整理。津波は被らなかったが、地震で箪笥や家具が倒れて中身が散乱し足の踏み場がないのだ。九時にSさんと会うとその元気さにびっくりする。声に張りがあり、よく喋る。昨日の悲壮さが嘘のようだ。「もうこの家には住まない」と元気に宣言するSさんと色んな話をしながら作業。

2011-04-15 11:13:10
稲田エイジ|BtoBのWebサイト制作/Web活用支援/コンテンツ支援/HubSpot @inada_h

Sさん宅の二階終了。住めるくらいにきれいになる部屋と比例してSさんもぐんぐん元気なる。整った部屋で一緒におむすびを食べながらSさんの恋話や青春譚を聞く。昨日はもう見たくないと言ったアルバム五十冊も、玄関脇に移しておいてと指示を出される。これからコツコツきれいにしなくちゃと言う。

2011-04-15 15:02:01