「大仏鉄道」神話のウソを暴く PART2
- sarukame999
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昨年末に発行された「奈良のトリセツ」という本にも、「大仏鉄道」=関西鉄道の大仏駅を経由した路線のことが取り上げられている。木津川市のHPから「大仏鉄道の利用客」(大仏駅の乗降客?)の数字というのも取り入れられている。
「奈良のトリセツ」、鉄道関係は、Part2のP40~P49で、「大仏鉄道を阻んだ急勾配」「奈良県に乗り入れていないJR奈良線」「五条市と新宮市を結ぶ五新鉄道計画」「日本一の私鉄になった近畿日本鉄道」「なぜ、王寺町が鉄道の町になった」の五本。近鉄や関西鉄道がらみでは、突っ込みどころがあるな。 pic.twitter.com/nRWKzrgimc
2021-01-04 08:43:09大前提として「大仏鉄道」という表記は、議論を混乱させるのでホント避けてほしいのよね。そういう単独の鉄道会社は存在しなかったし、あくまでも主体は「関西鉄道」。草津~四日市を皮切りに路線を広げ、官設鉄道(東海道本線)と対抗して、名古屋と大阪を結ぶ急行列車を走らせた鉄道の話なのだから。
2021-01-04 08:43:10「大仏鉄道」とタイトルを立てた時点で、加茂から大仏・奈良(加茂~大仏1898/4/19,大仏~奈良1899/5/21)の話に切り縮めてしまい、その前の京都~木津~奈良1896/4/18とか、さらに前の王寺~奈良1890/12/27が吹っ飛んでしまう。つまり「大仏線」以前に、奈良にも木津にもすでに汽車は走っていた。
2021-01-04 09:01:44さらに言えば、関西鉄道は、加茂~大仏開通の1898年の11/18には、前年買収した浪速鉄道の路線も使い、加茂~新木津~長尾~放出~網島の路線を開通させ、5時間から6時間で名阪間の急行列車を走らせている。 「大仏鉄道」の名前は、あたかも大仏参詣客ばかりが関西鉄道の目的のように惑わせてしまう。
2021-01-04 09:01:45そして、大仏線が奈良まで乗り入れた1899年の翌年、1900年の6/6には大阪鉄道を合併した関西鉄道は、昼間の名阪連絡急行を、大仏線経由で名古屋~奈良~湊町で運行している。(人が押さねばならないような路線で、官設鉄道と対抗する急行列車など運行するわけがない)
2021-01-04 09:12:04「トリセツ」が準拠した木津川市のHPだけど、観光協会がこちら 0774.or.jp/spot/daibutu/i… 木津川市の「広域の取り組み」がこちら city.kizugawa.lg.jp/index.cfm/8,39… 後者では「人が押した」記述は載っていない。 いずれも「ナスミスウィルソン製の機関車」ということで、磨墨号(870型1B1タンク機関車)と特定。
2021-01-04 09:26:00絵本「イナヅマごうがやってきた」の電光号(実物は、急行牽引用のダブス製7850型1Cテンダー機関車)ではないことは確か。「機関車が二両ついているときはまだいいが、一両だと途中でとまってしまう。」という記述の「二両」というのはテンダー機の電光号(写真左、右が磨墨号)のことではと思われる。 pic.twitter.com/j8mtSrb7Xf
2021-01-04 09:26:01終着駅が、網島(現在の地下鉄鶴見緑地線京橋駅近く)と湊町(JRなんば)で違っていますが、遠回りの片町線より急勾配の「大仏線」で奈良経由の方を関西鉄道としては選んだということ。 1902年には、名古屋~奈良~湊町を大仏線経由で5時間を切った急行を運行し官線と運賃競争しています。
2021-01-04 09:45:10しかし、1905年2/7に奈良鉄道(京都~木津~奈良~桜井)を合併し、現在の奈良木津間の関西線ルートを入手して、1907年8月21日、加茂~木津~奈良を本線として、大仏線は廃止されます。その10月には、大私鉄となった関西鉄道も国有化され、官設鉄道との「スピード&運賃競争」は終わります。
2021-01-04 09:45:11「トリセツ」のP41には、「大仏鉄道利用客数」というのが載っている。木津川市HPにあるものと同じだけど、この数字、一日か一か月か年間かがわからない。 city.kizugawa.lg.jp/index.cfm/8,39… ただ最盛期と思われる1899,1900年の数字でも、乗車客数が降車客数の2倍前後になっている。 pic.twitter.com/d1YIwvOgEL
2021-01-04 10:08:00これ、汽車旅がまだまだ贅沢で、しかも「マッチ箱客車」の明治30年代と考えれば、やはり年間の乗降人員と考えるのが妥当かな。1899年(M32)で乗車142人/日、降車58人/日、1900年で122人と66人。1901年(M34)50人と47人1902年で36人と38人、大仏参拝客で「賑わった」というほどの数字じゃないね。 twitter.com/sarukame999/st…
2021-01-08 11:29:11参考に言えば、近鉄奈良駅の2018年11/13の一日乗降客が、55330人、乗降合わせて三桁どまりなのは、近鉄では吉野線の大和上市、吉野神宮、吉野で、400人から700人が一日乗降客。(秋の11月なので桜見物ではない)
2021-01-08 13:03:01「古老」(に見えるが実際に見ていたわけではない人物)が語るような「(大仏駅が)遠方から大仏参詣に来た客でにぎわった」というのが事実なら、もっと降車客の方が多くないとおかしいのではないかな。「帰り道だ」というのかもしれないが、現実は近辺の地元民が乗っただけではないのだろうか。
2021-01-04 10:08:00彼らが言うように、大仏駅=「大仏殿に近くて便利な駅」というのが事実(実際は奈良駅と距離はそんなに違わないし旅館も多い三条通り最寄りの奈良駅の方が便利)であったなら、まず大仏駅で降りて、大仏殿へ直行したはずだけど、この数字はそうではないことを示しているのではないかな。
2021-01-04 10:13:38むしろ、佐保川に近い大仏駅のメリットは、水運とのリンクにあったかもしれない。
2021-01-04 10:52:25↑は追加分。
ここから↓が、最初にまとめた内容です。
1964年の五輪聖火リレーの時は、関西鉄道が作った「黒髪山トンネル」は健在だった。
五輪聖火リレー、前回1964年の時、日が暮れた黒髪山で、引き継ぎがあったんだよね。あの時は、もうドリームランドはオープンしていたけど、関西鉄道の黒髪山トンネルはまだ健在で、「関」の文字をモチーフにしたトンネルポータルの下を、バスがおそるおそる通り抜けていた。
2020-02-24 08:12:29やすらぎの道>県道奈良加茂線に並行して、ドリームランドのゲート上を通る道が通された(「ドリームランド循環」のバス路線があった)のも、黒髪山トンネルでバスが行き違い出来ないためだったのだろうか。まあその道のおかげで法蓮佐保山1丁目の立派な住宅街が出来たようなものだけど。
2020-02-24 08:12:29前のまとめ
「大仏鉄道」神話のウソを暴く
Googleマップ「大仏鉄道公園」のリンクは、木津川市観光協会のサイトに。
Googleマップの「大仏鉄道公園」のところ、Webページとして、0774.or.jp というリンクがある。これクリックすると、木津川市のサイトに飛んで、「観光スポット大仏鉄道」というページが開く。
2020-02-24 09:18:47ここでは、「現在の関西本線の前身で明治の5大私鉄の一つとうたわれた「関西鉄道(かんせいてつどう)(株)」が名古屋方面から大阪への進出を目指し、「加茂駅」から現在の奈良駅北1.1kmの所に仮設的に作った「大仏駅」間を結ぶ8.8kmと、翌年に開通した奈良駅までの通称です。」と、全体像は正しく記載。
2020-02-24 09:18:48「黒髪山で止まった機関車」は、ナスミス・ウィルソン製?