- uchida_kawasaki
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「社会的通念(通俗道徳・引用者注)は独立化し、人々を通念の網のなかに閉じこめてしまう。他方、この幻想の職業的な宣伝家や礼拝者もあらわれ、現実的諸関係から人々の眼をそらし、幻想の中に全ての現実的なものの根拠を見るように人々を説得し、一つのイデオロギー的支配体制をつくってゆく」(安丸)
2020-03-01 15:17:55「「通俗道徳」論の射程距離はもう少し大きいんじゃないかな、と考えるようになってきた。最近では明治二〇年代で決着が付くんじゃなくて、それはむしろ出発点で、そういう生活規範が日本人の生活の中に広く深く浸透していくのはそれから後だというふうに考えている」(安丸)
2020-03-01 18:03:03「例えば明治の末頃はかなり重要視しています。「通俗道徳」は、最近は農村でいえば地方の村落支配層、あるいは中農上層とかそういった社会層に受容されやすかったと思うけれども、明治の末頃からそれがさらに下層の民衆へまで浸透していくようになったと思っています」(安丸)
2020-03-01 18:03:56「例えば地方改良運動というものがありますが、そういうものの中では「通俗道徳」的な生活規範の樹立が重要な意味をもっていた、と思っています。こうした運動を通じて最下層のさまざまな社会層もそうした生活規範の中に巻き込まれていくんだと考えているわけですね」(安丸)
2020-03-01 18:07:22「地方改良運動」の政策主体と社会背景 伊勢弘志 m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstre… 「地方改良運動」によってもたらされた「道徳的」で「家族主義的」な説得手法や,規律化と時間支配による「国民平準化」が「恩賜的イメージ」
2020-03-01 18:58:15安丸は通俗道徳の教化が期初に唱えた明治20年のブースター説だったのを、晩年には明治末期から大正に、特に地方改良運動に求めてるのか。地方改良運動は「「山縣閥」を政策主体老とする自治が皇室権威と相補関係にあった「国民統合政策」」(伊勢2004)
2020-03-01 19:01:39@seki33 読ませますね。山縣閥の地方自治への容喙を「武官一辺倒から文官としての一面の獲得に乗り出そうとして,自己転換」という動機だけではなく、徴兵制、つまり軍制と不可分な地方自治と捉えていて参考になります。
2020-03-01 19:06:16「日露戦争後の地方改良運動などを通じて一般化され、明治末年以降に中下層の民衆にまで広く受容されるようになったと考える方がよいように思う。報徳社や青年団運動などの企図的組織化、小学校における修身教育や校庭に建てられた二宮像などは、そうした動向について考えるさいのヒントである」(安丸)
2020-03-02 00:19:57地方改良運動である戊申詔書(「忠実業ニ服シ勤倹産ヲ治メ」)から三教会同(神道・仏教・キリスト教の各教団に地方自治の精神涵養と時代風潮の健全化に協力するように求めた)について安丸は何か書いてるのかしら。全集がねえからわかんねえw
2020-03-02 00:26:14