映画『ローマの休日』奥深い名作のストーリー構成を解説(ネタバレ有り)

ウィリアム・ワイラー監督、ダルトン・トランボ脚本作品『ローマの休日』についてのレビューです。 映画ファンなら誰もが知っている名作ですが、そのストーリー構造には類似作品を寄せつけない奥深さがあります。 今回は主人公ふたりの内面性からの解説を試みました。  ※大いにネタバレを含みますので未見の方は注意
映画 サメ映画 映画レビュー 三幕構成 ローマの休日 オードリー・ヘップバーン
59
狂猫病 @kyobyobyo2
アマプラから、サメ映画のおともにはやっぱりコレ!と薦められた『ローマの休日』、いい機会ですので簡単に構成の解説やります すでに何度も観ていた作品ですが、構成を調べていくと色々な発見がありました
狂猫病 @kyobyobyo2
まずは例によって三幕構成で時間配分の確認 第一幕:ニュース、謁見(0分)~ ブラッドレーの部屋で就寝、王女急病のニュース(30分) 第二幕前半:正午に目覚めるブラッドレー(30分)~ 金を貸して別れる、市場から美容院へ(58分) ミッドポイント:美容院で髪を切る(59分)
狂猫病 @kyobyobyo2
第二幕後半:外へ、階段で冒険の提案(59分)~ 川から上がってキス(91分) 第三幕:ブラッドレーの部屋(92分)~ 記者会見(118分) 幕の時間配分は1:2:1でミッドポイントも完全に中央 きれいな対称形で、王道的な三幕構成だ
狂猫病 @kyobyobyo2
表面的なストーリーとしては「高貴な生まれの者が下界で様々な体験をして帰還する」貴種流離譚である このよく知られたタイプの物語に、主人公ふたりの内面性の問題と、当時のヨーロッパにまつわる政治事情が深みを加えている
狂猫病 @kyobyobyo2
メインの主人公がアン王女とブラッドレーのいずれであるかは難しいところだが、実は内面性の問題は共通している それは、「精神性が子供のまま、大人になりきれていない」ということだ つまり『ローマの休日』は、主人公ふたりが一日の冒険の中で成長し、大人へと変貌する物語であると言える
狂猫病 @kyobyobyo2
物語前半でアンが子供として描かれているということについては見えやすいだろう ・謁見中にハイヒールに馴染めず靴を脱いでしまう ・侍女から就寝前にミルクを飲まされ寝かしつけられている ・出会ったばかりのブラッドレーは酒を与えることを拒否する いずれもアンの幼児性を強調している描写だ
狂猫病 @kyobyobyo2
一方、ブラッドレーの未成熟な部分は若干わかりにくい 彼は物語を通じてきわめて紳士的に振る舞うし、体格も立派で、記者として仕事もしている だが、物語前半での彼は明確に「子供」だ 根拠となる描写を挙げていこう
狂猫病 @kyobyobyo2
ブラッドレーには二名の「親」がいる 支局長ヘネシーと、大家のジョヴァンニだ 彼らはまず借金というかたちでブラッドレーの金銭面を管理しており、ブラッドレー自身も彼らの好意に甘え依存している ジョヴァンニに部屋を見張ってもらう場面などは、そうした要素をコメディとして巧みに示している例だ
狂猫病 @kyobyobyo2
作中のオブジェクトとしての子供たちも、物語前半で繰り返し描かれている ブラッドレーの部屋前の階段でたむろする子供たちと、トレヴィの泉で観光する女子学生たちがそれだ(後者の場面では、ブラッドレーは女子生徒からカメラを強引に奪おうとまでする)
狂猫病 @kyobyobyo2
ブラッドレーの未成熟性は、メインストーリーにおいて「王女のプライベートをすっぱ抜くことで手柄を上げようとする」というエゴイズムとして立ち表れてくる これはもちろんアンの「王室としての任務を放擲し脱走する」というエゴイズムと、精神的な部分で重ね合わされている
狂猫病 @kyobyobyo2
アンが髪を切る場面がミッドポイントとして機能しているのも、こうした「子供」の部分を捨て去り、「変身」するという意味があるからだ 椎名誠の『続 岳物語』でも描かれているが、自身で髪を切る決断をするというのは、自己の身体性の決定という点で大人になることの一種の象徴だろう
狂猫病 @kyobyobyo2
髪を切ったアンは、積極的に大人の世界を体験する タバコを吸い、シャンパンを飲み、二人乗りしたベスパを自ら運転して街中を疾走する このようにアクティブに大人になろうと行動するアンに対し、ブラッドレーは終始受動的だ 彼の「真の大人」への変貌は、アンの成長を見守ることで成し遂げられる
狂猫病 @kyobyobyo2
第二幕の後半では、ふたりの「大人」になるための冒険に対し大きな問いが投げかけられる 一つは、「真実の口」によるふたりの「嘘」への問いだ 彼らの冒険はあくまで身分を偽った欺瞞に基づくものであり、長続きのしない『休日』であることを意識させられる
狂猫病 @kyobyobyo2
もう一つの問いは「祈りの壁」によって示される、彼らの使命の重さだ アンは王室の一員として大戦後のヨーロッパ各国融和に努めることを、そしてブラッドレーは記者としてそれを報道することを仕事としている 平和を願う人々の想いの強さにアンは圧倒され、ブラッドレーもそれを意識することになる
狂猫病 @kyobyobyo2
第二幕のクライマックス、船上パーティでの乱闘から川に落下してずぶ濡れになったふたりは自然に口づけする 言うまでもなくこれは最後の禁断の果実、「暴力」と「性」だ
狂猫病 @kyobyobyo2
ブラッドレーの部屋に戻ったふたりは完全に脱皮し、大人の姿に変貌している 同じく着替えにまつわるシーンとなっている、第一幕最後の場面と対比するとわかりやすいだろう pic.twitter.com/8u1JYa5DtO
拡大
拡大
狂猫病 @kyobyobyo2
第一幕とは異なりブラッドレーは自分からアンに酒を勧める ふたりが不可避である別れを自覚し、最後の時間を共有するのはブラッドレー自身が運転する車の中だ これもまた、第一幕でブラッドレーの部屋に来たふたりが乗っていたのがタクシーであったことへの対比になっている
狂猫病 @kyobyobyo2
物語のラストシーンは、大人らしく「仮面」をかぶったアンとブラッドレーの想いを内包した記者会見の場面だ 一般的にありがちな仮面を「脱ぐ」物語ではなく、あえて仮面を「着ける」物語であることが、『ローマの休日』を非凡な作品にしている理由だ
狂猫病 @kyobyobyo2
このラストシーンでは、各国からの記者がそれぞれ自分たちの言葉でアンに挨拶の礼をとる 主人公ふたりの溢れ出る想いを描きつつ、ヨーロッパ融和への強い願いが込められている 平和主義者にして、内心の自由を作品の中で訴え続けた脚本家、ダルトン・トランボの想いが伝わってくるようだ

狂猫病 @kyobyobyo2
私のとこのアマプラは『シャークネード』観終わったあと執拗に『ローマの休日』を薦めてくるので困る pic.twitter.com/hOOJXXCokJ
拡大
狂猫病 @kyobyobyo2
グレゴリー・ペックが真実の口に潜んでいたサメに襲われるシーンで、本当に食いちぎられたと思っちゃうオードリー・ヘップバーンがいつ見ても可愛いですよね pic.twitter.com/SrsK0C3uCi
拡大

コメント

スゥ。ニャオロン(似鳥龍オルニトミムス) @_2weet_sue 13日前
宇宙世紀0096年になってもリバイバル上映されてる名作中の名作wしかもミネバはUC作中でバナージに会うより以前に鑑賞してるってことなンだけど…いつごろ観たのかなぁ?
フルバ @furubakou1 13日前
>サメ映画のおともに なんか狂気を感じるんだが…
ブラキストン線の向こう側 @cupsoup2 12日前
真実の口からサメが飛び出してくるシーンは圧巻だったよね(混ぜるな危険
むう @nyal1999 12日前
cupsoup2 ふざけて「噛まれた」とか言ってたらマジでがぶっと噛み千切られちゃうのはさすがにびっくりしますよね
ティルティンティノントゥン @tiltintninontun 12日前
ローマの休日で、二人はやったのかやらなかったのかって議論があって。http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2010/02/post-e3fe.html
Tの人@アホの子 @Aho_The_T 12日前
サメ映画を名作で汚すな
marumushi @marumushi2 11日前
nyal1999 あれはグレゴリー・ペッグのアドリブだったそうなので、そりゃオードリーもビビるわけだわ
佐渡災炎 @sadscient 11日前
tiltintninontun なんで議論になるのか全く意味がわからない。やってるに決まってるじゃん…。
ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする