渡邊教授(ynabe39)の「障害について・・その後」
- toshihiro36
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当事者として自分の幸不幸があるのでをあって、当人以外つべこべ出る幕じゃない。お節介。RT @ynabe39 むしろ逆に「障害が不幸であれば障害を持つ人の人生も不幸である」と決めつけているから「障害は不幸でない」とか「障害も個性である」といったレトリックが必要になる のではないか。
2011-06-13 09:08:07当人が幸不幸を考えられない場合、当事者とは誰ですか? RT @ramantya: 当事者として自分の幸不幸があるのでをあって、当人以外つべこべ出る幕じゃない。お節介。
2011-06-13 09:10:57一般論は障がい者の個別性を蹂躙するRT @ynabe39 自分の障害を自分の意思で「受容」し、そこからやはり自分の意思で前向きに「障害を克服」できる人は「障害者」のすべてではないし、それが当事者家族も含めた全員に強制されるべきでもないと思います。@noncoloab
2011-06-13 09:00:29あなた自身も「自分勝手な一般論」を語って、「自分の気に入らない一般論」に反発しているだけではないですか。 RT @ramantya: 一般論は障がい者の個別性を蹂躙する
2011-06-13 09:12:52私に反論したり私を論破したりしたところで、あなたがいまより幸福になるわけでも、誰かに幸福と認められるわけでもない。一体なんのために私にそれを言うのか。
2011-06-13 09:15:22無理なつなげ方は止めて下さい。少なくとも体験している者として自分の口で言っています。RT @ynabe39 あなた自身も「自分勝手な一般論」を語って、「自分の気に入らない一般論」に反発しているだけではないですか。 RT @ramantya: 一般論は障がい者の個別性を蹂躙する
2011-06-13 09:16:32あなたが体験している障害は、他の人が体験している障害とは別のものです。自分がこうだから他の人もそうと言うことはない。 RT @ramantya: 無理なつなげ方は止めて下さい。少なくとも体験している者として自分の口で言っています。
2011-06-13 09:18:09「自分の幸不幸を自分で決めたい」という願望と「自分の幸不幸は自分で決めるものだ」という現実とは別のものだ。自分の願望を他人に押し付けるのはやめて欲しい。
2011-06-13 09:26:49先生の言う「障害」には肢体が含まれないのであれば、障害を一括りにせずに、父親からみて自分の子の障害は親にとって不幸だ」と表記するべき。その方が誤解は減る。@ynabe39: ついに本音を言ったね。 RT @noncoloab: 知的は知らないが、肢体は受容した方がリハビリが進む
2011-06-13 13:36:10そうではなくて「あなたの知っている障害には中途の肢体以外は含まれていない」 のです。例外を一般化しているのはあなたのほう。 RT @noncoloab: 先生の言う「障害」には肢体が含まれないのであれば、
2011-06-13 14:34:23「自分は幸福だ」というために自分と同じ属性を持っている他の他者も全員幸福だと決めつける必要はない。「自分だけが幸福だ」といえばそれでいいはずだ。
2011-06-13 14:38:19わざわざそういう言い方するから溝が生まれるんじゃないですかね? RT @ynabe39 障害を受け入れるなんてことがあるわけない。受け入れさせられるんだよ。
2011-06-13 15:22:43現に溝はあるわけです。それを隠して知らんぷりするかどうかです。 RT @Kaname_Nagasawa: わざわざそういう言い方するから溝が生まれるんじゃないですかね?
2011-06-13 15:25:07"@ynabe39: 医学が進まず、特定疾患とも障害者とも認められないが、客観的に明らかな障害があり、社会生活にハンディをもって生きてる者も、健常者なのですか?私が見る限り障害認定者よりも厳しく、死にたくはないから、生きざるを得ない状況なのですが?教えてください。"
2011-06-13 15:32:46こちらの言葉足らずでしたが、肢体サイドからの話をしているつもりです。先にも「知的は知らない」といっています。先生はその例外も含めての話をしているのでしょ。あと先生の中には幸と不幸のみですか? RT @ynabe39
2011-06-13 15:50:22障害が不幸かどうかと「障害を持つあなたが不幸かどうか」は関係ないんですよ。健常者がみんな幸福ではないのと同様に。「障害は不幸ではない」と言ってる時点で「自分の幸不幸は障害によって決まる」と言ってるのと同じなんですよ。
2011-06-13 15:59:26たいていの「上手な表現」は自分を弁護し相手を否定するために使われる。もちろん相手もまったくおなじ表現を用いて自分を弁護し相手を否定することができる。
2011-06-13 16:13:17