映画『ランボー』時代を超えた名作のストーリーとテーマを解説(ネタバレ有り)

シルヴェスター・スタローン主演『ランボー』についてのレビューです。 ベトナム帰還兵の苦しみを描いた社会派作品としても評価の高いシリーズ第一作ですが、そのテーマには時代を超越した普遍性があります。 ホラー映画の名作、1931年版『フランケンシュタイン』との類似性についても解説します。  ※『ランボー』『フランケンシュタイン』の両作について大いにネタバレを含みますので、未見の方は注意
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狂猫病 @kyobyobyo2

1931年の傑作ホラー映画『フランケンシュタイン』は、原作小説の「人間によって創造される生命」「造物主との対立」といったテーマからさらに一歩踏み込み、「社会から疎外される『怪物』」というモチーフをまざまざと映し出した このモチーフを別の形で描いた作品の一つが、1982年の『ランボー』だ

2020-04-05 22:33:29
狂猫病 @kyobyobyo2

『ランボー』と『フランケンシュタイン』の相似はシルヴェスター・スタローン本人がDVDのコメンタリーでも言及しているようだが、『ランボー』のストーリーを追っていくだけでも十分に読み取ることができる そしてこのベトナム帰還兵の物語には、40年近い歳月を超えて今も観客の胸を打つ力強さがある

2020-04-05 22:38:35
狂猫病 @kyobyobyo2

まずは『ランボー』の物語を三幕構成で分解してみよう エンドロールを抜いた本編は約90分となっている 第一幕:戦友の実家(0分)~ 警察署からの逃亡 山中へ(21分) 第二幕前半:山中での逃亡(21分)~ 追跡チーム撃退(44分) ミッドポイント:トラウトマン大佐の登場(45分)

2020-04-05 22:42:08
狂猫病 @kyobyobyo2

第二幕後半:トラウトマンとの通信(48分)~ 廃坑からの脱出(69分) 第三幕:トラック奪取(69分)~ 逮捕(90分) 以上のように、第二幕は山中におけるランボー対警察、州兵との攻防戦となっている 第一幕の舞台であった街へと戻る第三幕において、この作品のテーマがはっきりと表れてくる構造だ

2020-04-05 22:47:59
狂猫病 @kyobyobyo2

冒頭の湖畔における戦友の実家のシーンと、山中での逃亡・追跡劇は、『フランケンシュタイン』にほぼそのまま出典を求めることができるだろう 「怪物」が唯一、心を通じ合わせる少女と出会い、悲劇の発端となる舞台がやはり湖のほとりである pic.twitter.com/7MGpvdkhHP

2020-04-05 22:57:35
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狂猫病 @kyobyobyo2

山中に逃亡したランボー(=怪物)を追い詰めるのは武装した市民、つまり警察や州兵である そしてその追手には、自らの造物主であるトラウトマン大佐(=フランケンシュタイン博士)も加わっている 両作が大きく異なるのは、その結末に至る過程の部分だろう

2020-04-05 23:04:10
狂猫病 @kyobyobyo2

風車小屋で為す術もなく焼き殺される怪物とは違い、現代戦における戦闘マシーンとして造り上げられたランボーは、逆に街を焼き、破壊し、市民を恐怖に陥れる さらには造物主トラウトマンに対しても、自らの心情を爆発させてみせる 『ランボー』という作品のテーマが、明確に表れてくる瞬間だ

2020-04-05 23:15:00
狂猫病 @kyobyobyo2

両作に共通するテーマは、「社会からの謂れなき疎外」だ 怪物もランボーも、市民(警察)から理不尽な迫害を受ける 彼らが犯した暴行や殺人は、自衛あるいは過失によるものであり、観客の視点からすれば無罪または十分に情状酌量の余地があるものだろう

2020-04-05 23:22:25
狂猫病 @kyobyobyo2

彼らが社会に受け容れられない理由はただ一つ、「自分たちと異なる者だから」だ 怪物は、醜い容姿に加え、犯罪者の脳を移植されたという「烙印」が押されている 一方のランボーには、当時のアメリカの社会問題であった「ベトナム帰還兵」という名札が付けられている

2020-04-05 23:28:21
狂猫病 @kyobyobyo2

怪物が生まれた理由は、フランケンシュタイン博士の「生命を創造する」ことへの執着と虚栄心、そして知への好奇心によるものだ トラウトマンがランボーを造り上げた理由はもちろん、戦争での勝利のためだ 彼らの誕生の理由に共通しているのは、文明社会・市民社会のエゴイズムだと言える

2020-04-05 23:34:09
狂猫病 @kyobyobyo2

目の前で友人が死んでいく悲惨な戦場から帰還したランボーを待っていたのは、自分を殺人者と罵る市民たちだった 国家によって強制的に殺人マシーンに造り上げられた彼が守っていたはずの市民生活から疎外され、ランボーは孤独を深めていた 警察からの迫害は、その哀しみと怒りが爆発する契機となった

2020-04-05 23:42:24
狂猫病 @kyobyobyo2

追手の少年と遭遇するに至り、ランボーは安穏とした市民生活そのものを「敵」として認識する たとえ敵であっても末端の兵士を決して不必要に殺そうとしなかったランボーはそれゆえに、第三幕で街を焼き破壊しようとするのだ 市民生活の場を戦場に変えることこそが、ランボーの戦いの目的だ

2020-04-05 23:52:46
狂猫病 @kyobyobyo2

山中を自らの「戦場」として支配するランボーは、市民たちに反撃の刃を突きつける pic.twitter.com/78qQKL7KOL

2020-04-06 01:03:00
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狂猫病 @kyobyobyo2

廃坑にランボーを追い詰めた州兵たちの会話に、市民生活のエゴが表現されている 予備役である彼らは、ランボーのような鍛え上げられたプロフェッショナルと異なり、仲間のために命を賭けようとはしない 危険な役目を互いに押し付けあった末に、安全な距離から過剰な火力でランボーを抹殺しようとする

2020-04-05 23:57:40
狂猫病 @kyobyobyo2

この文明エゴイズムの最も極端な現出が、トラウトマン大佐というキャラクターだろう 彼はランボーに同情する味方のようでありながら、その実、非常に狡猾で冷淡だ ランボーとの会話からわかるように、大佐は退役した部下たちのその後にはまったく興味がなく、多忙を理由に電話に出ようともしない

2020-04-06 00:03:12
狂猫病 @kyobyobyo2

国防総省で働く大佐が作中で象徴しているのは、アメリカ政府そのものだ ランボーのような兵士を造り上げ酷使しておきながら、その後の彼ら自身の幸福などには無関心で放り出している 作中で保安官ティーズルが大佐への苛立ちや嫌悪を隠さないのも、帰還兵問題に多くの市民が不満を抱いていた表れだ

2020-04-06 00:11:30
狂猫病 @kyobyobyo2

前線で戦う過酷な役割を一部の人間に押し付け、自らは安穏な生活を享受する それだけでなく、そうした兵士たちを社会から阻害し、反撃されれば過剰な攻撃でもって報復する これが『ランボー』の作中で描かれている市民生活のエゴイズムであり、どの時代においても理解され共感される人間社会の恥部だ

2020-04-06 00:17:29
狂猫病 @kyobyobyo2

ラストシーン、ランボーの心情の吐露を受けて、トラウトマン大佐は瞳を潤ませ、悔恨の表情を浮かべる 怪物を焼き殺してしまった『フランケンシュタイン』の群衆のようにではなく、『ランボー』という作品は国家と市民への強い自省を、時代を超えて求め続けている

2020-04-06 00:31:39