新アニ-ある日の風景
@dokutuki @dokutuki 個人的な経験になってしまうけど、やっぱり自分でシナリオを書くと、年齢性別にかかわらず自分になってしまうところがある。そういう意識のない人も、なにか物語上の障害にぶつかっときは、自分ならどうするということは必ず考える羽目になる。
2011-06-17 21:39:25@dokutuki それはすごいっすね、たしかに誰かの視点からの物語より それぞれの人物(個)になりきりそれらから物語が展開するならばそれは面白いでしょうね だが、しかし難しそうだ
2011-06-17 21:40:26@uman110 @private_john 小説家は登場人物全員になりえますよ、ジャンルを問わずそういう小説ほど面白いものです。想像を超えての個という制限からの解放は性別という制限の解放より難しいと思われますが
2011-06-17 21:32:48@uman110 僕はどちらかといえば百合ですが、女の子になって中に入っていることが多いです。あくまでも意識的なレベルでの話ですが。
2011-06-17 21:23:05そういえば俺の記憶が正しければ、小学校二年生の時から、突然名前の順が男女一緒になった。もちろん始めは違和感バリバリだった。しかし、そのせいで性別を自覚する機会が減ったのは事実。体育とかは別だったけど、そういう教育方針の変化が今日の腐女子天国を産んでるのだとしたら!!
2011-06-17 21:21:22@private_john 第三者視点で眺めること楽しみを得るのか、どちらかに自分を投影するのか 百合系が好きな男子とかは前者の気がする
2011-06-17 21:18:29しかしホモネタは穴の有無にかかわらず男と男のパターンだ。そこで男に行くのは何故だろう。性差を超えた中性的なキャラクターがいてもいいのでは。根本的にはあくまでも男男、百合の場合は女女。性別にこだわっている。
2011-06-17 21:06:45BLを書いている友人の本を買って読んだ時からずっと持っている疑問です。どっちでもいい。そもそも区別する理由さえない。これが答えなんじゃないかと思ってますが。
2011-06-17 21:04:16@dokutuki だから、地方によっては性差そのものが歴史的にルーズな土地柄があったりするのかもわからない。だから村とか田舎の社会が舞台になった作品が存在するのかも、なんてな。
2011-06-17 21:11:39例えば一人称が僕の女の子がいたとする。僕というのは一般的に男の子が使うものだ。行為に及ぶ彼女の脳内での性認識は女の子なのか。それとも穴の空いた男なのか。
2011-06-17 21:03:11原因はわからないが、外見と中身(そもそもこの考え方自体深いテーマだが)の性別、時と場合によってチェンジする性別はあるのか。性別の定義すら掲げてないので、ここは仮に特徴的行為、特徴的感情ということにしておこう。
2011-06-17 20:58:06@private_john そうですね、私はカップリングが好きなので!夢小説が好きなタイプの子は自分がその世界に入りたいんじゃないですかねー?
2011-06-17 21:33:00