批評の公平性と利害関係

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@drawinghell

最近、立て続けに知り合いの展示を見る機会が続いた。自分の場合、知り合いの展示や作品についての感想はツイッターでは書きにくい。人によって使い方は異なるのであくまで「自分にとっては」の話なのだが、この「書きにくさ」から見えてくるものもあるように思える(以下連投失礼)。

2011-06-20 22:08:45
@drawinghell

知り合いの展示には、知り合いの展示であるがゆえの価値がある。「一般的な評価」とはまた異なった基準で、励まされたり、嬉しくなったり、見てヨカッタと思ったりする。「客観的評価」とはまたべつの、そうした個別の事情に応じた観賞体験というのも重要だと自分は考えている。

2011-06-20 22:13:20
@drawinghell

しかし多くの見知らぬ他人の作品に対しては、それとは別の価値基準(「客観的」評価)に基づいて、日頃あれこれ勝手なことをツイートしているわけだが、では同じ場で知り合いの展示について書くとなると、自分はいかなる態度でそれに臨むべきかと悩んでしまうのだ。

2011-06-20 22:14:38
@drawinghell

「知り合い」の部分を切り捨て公平性を保ち「客観的」に書くというやり方もあるのかもしれないが、伝えたいことは「それ」じゃなかったりするわけだし、そもそもそれら二つ(私心と「客観的」評価)を完全に分離することが可能かも、あるいは必要かどうかも、よくわからなかったりする。

2011-06-20 22:15:32
@drawinghell

一方、ツイッターにおいては(DM機能は別にして)完全に閉じた関係内における私的な感想というのは、なかなか難しいという現状がある。衆人環視が前提となったプラットフォームのなかでは、常に第三者の目を意識しながらの「公的な私信」にしか成り得ないからだ。

2011-06-20 22:18:21
@drawinghell

まー、特定の相手にだけ伝えたいのであれば対面やメールでいいし、公平性に疑問があるならば知り合いの展示については一切ツイートしなければいいだけの話なのだが、しかし面白いのは、それと同じような逡巡を次第に「ツイッター上での知り合い」にも感じるようになってくることなのである。

2011-06-20 22:19:04
@drawinghell

つまりフォローやRTといったものが一種の利害関係にもなるツイッター独特の関係性において、現実にはなんの面識のない相手に対しても、無意識的な「贔屓目」が入っているのではないか?という疑念が沸き起こったり、あるいはそのように邪推して読まれるのではないか?と懸念したりするのだ。

2011-06-20 22:22:49
@drawinghell

たとえば展覧会で偶然見かけた作品を気に入りその旨をツイートしようとしたところ、実はその作者が自分のフォロワーだったと気付いた、ということがある。するとその途端に「書き辛く」なってしまうのだ。気を回し過ぎて疑心暗鬼に陥り、気付く前に書いた感想なのに投稿できなくなってしまった。

2011-06-20 22:25:29
@drawinghell

もっと神経質になるならば、接点は何もなくとも「ツイッター上にいる」と知っただけで、その人に関する感想が書きづらくなるといったことも起こりうるかもしれない。そもそも純粋な「私信」も、あるいは「私心なき公平性」も、人間関係を丸見えにするツイッターの設計思想とは相反するのだから。

2011-06-20 22:26:49
@drawinghell

裏を返して受け手の立場に立てば、作品や展示の評判の信憑性をツイートから読みとるためには、高度なリテラシーが必要となる。発言者の日頃のツイート態度や人間関係を鑑みて、文意をくみ取らなければならないからだ。しかしそこがまた、ツイッターの面白いところでもあるのだけれど。

2011-06-20 22:27:45
@drawinghell

ところで一般的な批評の場合は、どうなのだろう? 例えば美術界のような狭い業界では批評の書き手とその対象が知り合いはおろか、利害関係になることも稀ではないだろう。実際、権威のある批評家が雑誌の展評欄で身内の経営する画廊の看板作家を手放しで誉めちぎる光景が「当たり前」だったりもする。

2011-06-20 22:28:41
@drawinghell

つまりそこでは「利害関係にある作家や画廊については書かない」というモラルは存在しない(らしい)。しかしツイッターのように背後の人間関係が(業界人でもない限り)読み手に詳らかにされているわけでもない。では、どのようにして批評の「公平性」は保たれているのだろうか?

2011-06-20 22:29:59
@drawinghell

愚察するに専門家による批評の場合は、ツイートのように背後の人間関係まで鑑みて読むというよりは、対象との利害関係への疑義など一抹も挟ませないテキストであることこそが第一義とされる点が、なによりも決定的に異なるのだろう。果たしてそれが実践されているかどーかはともかくとして。。

2011-06-20 22:32:44