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現在のアイコンはパーントゥのお面。不思議なことが好きです。増えたり減ったり。 ブログ ameblo.jp/nankuru28/ note.mu/nankuru28
私は思うんだけど。 「幸せになりたい」って思うんなら、最初に、そして最後に、絶対的に必要なのは 「幸せだなぁを感じる」ってところなんじゃないか? って。 「自分にとって、これが幸せ、嬉しい、楽しい、を感じる機能がゼロなら意味なくない?」だ。
2020-05-27 20:43:54変人ほど幸福度は高い
水木しげるは「フハッ!」ってなる時が、幸せなんだろうなって言ってて、その感じは私はなんとなーくわかる気がする(^◇^)「へえええ!すごいね!」なる時、すごい幸せだよなぁ興奮しちゃってるわ私!ってなるもんね。 つまり、私は河原で石ころ拾って幸せになれる人、だ。
2020-05-27 20:46:50水木しげるの研究によると、変人の幸福度は高いらしいんだが、だよねーって思う(^◇^) 他の人の評価とか関係なく、自分の興味や興奮するものを追求したら、そりゃ、あなた「変人」と呼ばれますって。 他者の評価が欲しい、があって、それが得られたら、また次、もっともっと!なるよな。
2020-05-27 20:49:51評価と称賛と愛は混ぜるな危険
他者の評価が欲しいの場合、気をつけないといけないのは、「人間って、多様なんで。理屈はどうにでもつけられるんで」なので、一枚岩の賞賛!なんて、一瞬あるかどうか、だからなーってとこだ。 評価と賞賛と愛と、そこらへん混ざっても危険だよなーもあるし。
2020-05-27 20:51:51満足とか、幸せとか、私はそういうのが欲しい。 そいで、そっち目指してる途中のあれこれは、苦労とか不幸とか呼ばない。努力ってのは、欲しい何かのためにするものであって、苦痛が多いから近づけるってものでもないだろうと思うしな。
2020-05-27 20:54:01「自分の感じる、楽しい、うれしい、幸せを、感じることを邪魔してるものはなんだ??」ってのも、大きいわけで。 ベキベキベッキーとか、金がねー!とか、理不尽な罵倒とか、そういうあれこれが「邪魔してる」と、私はどれが好きだったっけ?が見えなくなったり、するもんな。
2020-05-27 20:56:05幸せのための選択力
「あれが嫌だった!だから、あれに合わないように行く!」ってルート選択もあるんだけど、私は割と「あれに合わなければ、幸せって言えるわけ?」ってな問いが浮かぶので、欲しいものがあるのは、どっち?で選びがち。 よく迷子になる(^◇^)
2020-05-27 20:59:26快不快反応のように、二択の感情論から始まる人間だからな。「嫌だ」「痛い」と「うれしい!」や「楽しい!」をしっかり掴んでおかないと、その基盤が脆弱になるのは当然のことだ。 脆弱な自我は違いに痛みを感じ、防御的攻撃体勢に入りがち。だから最初はやっぱり「幸せの感じ方」から、だ。
2020-05-27 21:02:55つまり、バカでも貧乏でも、幸せな気持ちを味わうは可能だが、賢くて金持ちだからと言って必ずしも幸せな気持ちで居られるわけではない、ってことだ。 私はやりたいことしかしない(^◇^)めんどくさいことは常に「その先の欲しいもののために」だからなぁ。
2020-05-27 21:08:35@nankuru28 僕も幸せとは「感じるもの」だと思っていますが「安全・安心な状況」そのものが幸せであるという考え方もあるようです。 「食べられるから幸せな状況」「五体満足だから幸せな状況」というような。 そうでない人と比べて相対的にということなのかもしれません。
2020-05-27 20:49:24@tsutomu_kageura ああ、そうでしょうねぇ!父は言ってましたもん!「食べるものを選べるのは、幸せだ」って。戦後の食糧難の経験者はそうなるますよねぇ。 そうでない人と比べて、なのか、そうじゃなかったあの頃の自分と比べて、なのか、そこも、違いがありそうな気もしますね。
2020-05-27 21:19:08