屠畜紀行を読みながら、(…人の肉を食べない理由はなんだ?)(死後、自分の肉を身内に食べてもらっては?)とか考え出してよくわからなくなってきている。そのモヤモヤをきのう家人に話したら、さいしょうまく説明できなくて、ちょっと腹を立てられた。わたくし頭がわるいし気遣いもたりない。反省。
2011-06-19 14:13:14@mosanjin 谷川健一著「日本の神々」のなかに、沖縄で昔そういう風習があったと書いてあった記憶があります。 それと、わたしの母の実家のあたりでは葬儀の際に、墓をみんなで囲んで、白い味のないだんごを1粒ずつ食べます。わたしは祖母の葬儀のとき、それを祖母の肉と思ってたべました。
2011-06-21 00:17:00@wasaco 身内に肉をたべてもらうことについて、Pさんも思いをはせたりしていたのですねえ。モヤモヤ感に包まれますよね。このことについてはじっくり考えてみたいなーと思います。『日本の神々』Amazonで見てみました。気になる!探して読んでみよう!ありがとうございます◎
2011-06-21 08:59:48@wasaco お母さまのご実家地域の風習についても、興味深いです。そういう実体験があることが、ちょっとうらやましかったりもします。あ、そういえばキリスト教では礼拝のときにキリストの血と肉のかわりに赤ワインとパンを口にしますよね。(通じるものがあるのかなあ?)
2011-06-21 09:04:03小1くらいのときにひいじいちゃんが亡くなって、初めてお葬式に出た。で、火葬場でひいじいちゃんが入った棺に釘を打った瞬間と、狭い場所に押し込められてそこに火がついて燃えている時間が、すっごくこわかった。
2011-06-21 09:08:34もしとちゅうで目が覚めたとしたら、ひいじいちゃんが死んじゃう、て思ってとても焦った。それから、わたしも死んだらあの中に入らなきゃならないんだとしたら、死にたくない、と思った。んだった。
2011-06-21 09:11:42その記憶がいまもあるから、あー火葬場で焼かれるより、死んだあと近しい人にわたしの肉を食べてもらえたらそっちのほうが幸せだし安心して死ねるなあ、とかってなことを考えた。実現はしないでしょうけど、そういう欲求がこれからもずっとあるような気がするのです。
2011-06-21 09:15:11わたしのことを好きだった男の人が、わたしの写真や生前身につけていたアクセサリーを形見にして肌身離さず持ち歩くことよりも、わたしの肉を食べたらどうだろうとふわーんと思った。
2011-06-21 12:16:15「こゆり、意外とうまかった」って言われたい。なんとしてでもそう思われたい、そう思った。あれは本当にうまかったなあ、二度と食えねえけど。と何回か思い出されたい。
2011-06-21 12:19:03ふと描くと、3人くらいの人が思い浮かぶ。わたしを食べる男。同じテーブルで食べてくれてもいい。「何これ、かけて食うの?」「かけないと味しないんじゃないすか?」「あいつ味薄そうだし」とか言いながらもぐもぐと食べてくれてもいい。
2011-06-21 12:27:56現実にはわたしは野菜と果物とお菓子類ばかり食べているので、食用の肉としてはおいしくないだろうなあ、と思うとちょっとつまらない。(なにが「現実には」だかわかんないけど)
2011-06-21 12:30:11でも、写真や生前身につけていたアクセサリーを形見にして肌身離さず持ち歩いたり、「彼女を忘れないようにしよう」とがんばって記念日を作って思い出の場所に行ったりする彼らを想像するよりも、なんとなく、ありがと、って気持ちに近いようなおかしなおかしな感覚なんだ。
2011-06-21 12:36:06(って、言葉づらからふわふわんって空想したっておはなしでした。もともとのその言葉が登場したニュアンスとかは全部おいといてそうやって字面だとかからほわーんって旅に出ちゃうとき、たまにある)
2011-06-21 12:59:14@mosanjin リプライ遅くなってすみません! 母は岩手なんですが、同じ風習?の土地がどの範囲なのかとか、知りたいな、て、思ってます。言われてみると、キリストのぱんとワイン、そうですね!わたしの体験はそれに近いのかも。他の参列者はきっと肉だと思っていなかったはずですが。笑。
2011-06-21 23:55:14@mosanjin それで、こゆりん( @koyulic7 )が、この話題から連想したとツイートしていた内容に共感したのですが、なんだか、意識して故人を思い出してもらうよりも、もっと気楽で深い結びつきができるような気がする、て、わたしも妄想しました。笑。
2011-06-21 23:59:49