- uchida_kawasaki
- 1988
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「その結果,客分意識と仁政観念との関係,幕末から明治初期の一揆評価,独特の運動論,民権運動や困民党事件の評価,祝祭や戦争と国民化の関係,学歴社会化・都市化と国民化の関係,米騒動評価,仁政観念からの福祉国家認識など,本稿では言及しえない数多くの刺激的な論点が引き出されている」(松尾)
2020-06-05 02:25:36「牧原氏には「民衆はたんに『される』存在ではない」という“信念”がある。この信念は,“民衆が歴史をつくる”といったような,単なる民衆の主体性の賞賛ではない」(松尾) 本邦のリベラルは近代史の大家にすでに蹴り入れられてかw
2020-06-05 02:28:06「「易々と<国家>にからめとられてしまった......民衆の主体責任を歴史内在的に明らかにしたい」との,さらには民衆の生活世界のなかで「<被害者が加害者になる>悪循環をいかに断ち切るか」との問題関心を背負ったものである」(松尾)
2020-06-05 02:29:15「こうした“民衆の主体責任を問う”という視座が,国民国家論が日本史学界に流行する以前からそれに着目させ,昨今溢れる国民国家論と本書とを分け,客分という新たな政治主体の発見をもたらしている」(松尾)
2020-06-05 02:30:33「今も昔も放火は大罪。私(たち)は簡単にこう思いこむ。だが,1880(明治13)年前後の新聞を丹念に読む牧原氏は,放火の記事が多いことに目をとめ,記事の論調に「放火をつよく非難する気配をよみとれない」ことを不思議に思う」(松尾)
2020-06-05 02:32:30「ここから,放火が,米価高騰を引き起こす強欲な商人や米価安定に努力しない地域社会の有力者,ひいては「おかみ」への制裁の意味を持っていたことが明らかになる」(松尾)
2020-06-05 02:33:32「この「制裁としての放火」の背後には,「焼カル丶モノハ不徳ナル者」とする社会的合意が存在し,その合意は「治者・富者には『仁』『徳』がなければならぬという意識」に支えられていた。これが「治者の責務とかお裁きといった意味あいを内包した『政事』」という「民衆の政治観念」である」(松尾)
2020-06-05 02:34:39「ところが,「『仁恵にみちた政事』いわゆる『仁政』」を明治政府は拒絶した。「自由な市場経済の展開を保障する政治=経済システム」(229頁)を選択した近代国家としては当然である」
2020-06-05 02:35:36「これに対する民衆の反発が客分の異議申立てとなって表れる。つまり,「赤髭が威張ろうが,共和政治だろうが,徳川の世だろうが,なんでもいいからともかく貧乏人を恵むような政治をやってくれ」というわけだ」
2020-06-05 02:36:36「福沢らが払拭しようとした国家との一体感を持たない客分意識,その「根底には貧乏人への仁恵を拒絶した政府への隔絶感が厳然と横たわっていた」。牧原氏は,安易な一般化を警戒しつつも「明治初年の民衆の政治意識」を上のように描き出した」
2020-06-05 02:38:04「客分意識のつよい民衆が,『われわれ日本国民』という意識を『教え込まれたもの』ではなく『自発的に獲得したもの』と観念するには,どのような回路・媒介環が必要だったのか」(松尾・カッコ内は牧原の著書あとがき)
2020-06-05 02:48:41「客分の発見は,鬼畜米英からアメリカ万歳にころっと変わった“民衆”の意識を,より“民衆”に即して理解することを可能にする」(松尾)
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