'11.06.24 Clunio氏呟き

RT @Clunio 日本人が西洋史の典型をイングランド史に見出そうとすると、その試みは確実に錯誤に陥るでありましょう。イングランドは歴史上徹頭徹尾『策源地国家』としての道を歩んでおり、土着内発的な歴史の歩みを全くといっていいほどしてないのであります。
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村山茂樹 @Clunio

で、チューダー朝ってのはウェールズ人がイングランドを支配した王朝で、その次のスチュアート朝ってのはスコットランド王家がイングランドを支配した王朝ですな。いわゆるイングランドの絶対王政というのは、グレートブリテン島のケルト系の国がイングランドを支配した二つの王朝に当たるのです。

2011-06-24 01:56:44
村山茂樹 @Clunio

スチュアート朝のスコットランド王家による支配はイングランド、スコットランドにまたがる同時多発内乱を制したイングランド議会軍清教徒派部隊による軍事独裁の中断を経て、オランダ軍による軍事占領、オランダとの同君連合下に併合されることで終焉を迎える。

2011-06-24 02:03:25
村山茂樹 @Clunio

そして、オランダ傘下でスコットランド、ウェールズを強力に支配下におさめたイングランド=ブリテンは、次にオランダ君主とも縁戚関係にあるドイツのハノーファー君主たるブラウンシュヴァイク=リューネブルク家に相続される。これが今のブリテン王家である。

2011-06-24 02:09:25
村山茂樹 @Clunio

実は、イングランドというのはウエセックス(ウエストサクソン)王国による統一の原初期を除くと、イングランドの土着勢力に発する王室を抱いたことがついぞなかったのですよね。しかも、多くの場合その王国の『本国』はイングランド外にあり、イングランドは王室の『本国』の強力な策源地であり続けた

2011-06-24 02:15:48
村山茂樹 @Clunio

そうそう、イングランドの『首都』はロンドンだと思っておられる方が多いかもしれませんが、歴史的に言うと、そうじゃない。そうですね、この問題は、『博多』と『福岡』の関係に酷似している。

2011-06-24 02:18:28
村山茂樹 @Clunio

ブリタニアがローマ皇帝クラウディウスに征服されたときに建設された都市ロンディニウムはローマ文明の伝統を引き継ぐ都市として維持され、商都として栄え続けた。

2011-06-24 02:31:10
村山茂樹 @Clunio

そして、支配地を巡回しつつ貢納を受ける王がロンドン近郊で拠点としたのはロンドン西郊に王の聖堂として建設された『ウエストミンスタ』とその周囲に建設された施設群。つまり、『ウエストミンスタ』こそが事実上の王都であり、それに対面する東側の『ロンドン(=シティ)』は商都。

2011-06-24 02:33:13
村山茂樹 @Clunio

黒田家藩主の居城と城下町である福岡と、古代からの港湾都市で商都でもある博多との対比が実にこれと酷似する。

2011-06-24 02:35:07
村山茂樹 @Clunio

日本人が西洋史の典型をイングランド史に見出そうとすると、その試みは確実に錯誤に陥るでありましょう。イングランドは歴史上徹頭徹尾『策源地国家』としての道を歩んでおり、土着内発的な歴史の歩みを全くといっていいほどしてないのであります。

2011-06-24 04:17:07
村山茂樹 @Clunio

夏目漱石は黒船以降の日本の現代史を内発的にあらざる外発的なるものとして凝視し、その歩みのあり方に心を痛め続けました。事実、明治日本は香港、上海、ハルビンに張り付いた列強諸国の支援のための策源地国家として投資受け、開発された側面が非常に強かった。

2011-06-24 04:22:09
村山茂樹 @Clunio

しかし、当の列強諸国の代表ともいえるブリテンの中核、イングランドこそ、オランダやハノーファーといった欧州大陸諸国の策源地国家として歴史を刻んできた、正に『外発的』なる歴史を歩みし国家であった事は、意外に多くの人が気がついていない。

2011-06-24 04:24:54
村山茂樹 @Clunio

むしろ、現在のグローバル化やそれによる歪み、それを受けた日本や米国、フランスの国内問題のきしみは、イングランドを策源地国家として活動してきた諸国の歴史の中に萌芽が見出せるのではないかと愚考するのであります。それを掘り下げるためにも今までの歴史の枠組みを一度リセットする必要がある。

2011-06-24 04:30:00