明治初期の女性の『断髪届』について、結髪の流行動向について少し

明治初期、男性の断髪令のあとで出された女性の断髪禁止布達、断髪届についてと、その後の柳宏の動向など。
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逆名 @sakana6634

維新直後から男性の断髪が進み、明治4年に追認する形で太政官令、所謂「断髪脱刀令」が出された。女性は依然として維新前と同じく日本髪を結っていたが、断髪する女性も出て問題視され、東京府布達では明治5年に女性の断髪を禁じ、翌6年には尼僧など特別な理由のある者には免状を付与するとした。 twitter.com/HuffPostJapan/…

2020-06-29 20:12:17
ハフポスト日本版 / 会話を生み出す国際メディア @HuffPostJapan

明治時代、女性は髪を切るのに「断髪届」。届け出しないと罰も 千葉の民家で発見 市教育委員会の戸谷敦司・学芸員は「女性に伝統的な美を守らせたいという、当時の価値観を示すとみられる貴重な資料」と話している。 huffp.st/S756u88

2020-06-29 18:09:04
逆名 @sakana6634

太政官令第399(明治4年8月9日) 『散髪制服略服脱刀共可爲勝手事  但禮服ノ節ハ帶刀可致事』 dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid… pic.twitter.com/xjs9HkSs5p

2020-06-29 20:34:04
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逆名 @sakana6634

明治5(1872)年4月東京府布達 『婦人斷髪ノ儀ニ付伺 散髪ノ儀ハ勝手次第タルベキ旨先般御布告相成右ハ専ラ男子相限候處儀ニ可有之候處近來婦女子ノ中ニモザンギリ相成候者往々相見畢竟御趣旨ヲ誤了致シ候儀ニ可有之哉。抑婦人女子ノ衣髪ハ素ヨリ男子トハ區別ノ御制度ニテ

2020-06-29 20:54:13
逆名 @sakana6634

海外諸州ト雖モ自ラ區分別判然タル儀ハ衆庶ノ目擊スル處ニ候間御趣旨誤了不致様布告可仕哉右ハ一般ノ御制度ニ關係候儀ニ付一應此段奉伺候也』 (「日本結髪全史」に引用されていたので出典を探してみた。ただこの文書自体は質疑であって禁止の布達ではない…?) digital.archives.go.jp/das/meta/M0000… pic.twitter.com/43i8jpXNlH

2020-06-29 20:54:14
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逆名 @sakana6634

一応こちらで 『「ヘアカットの日」は、明治5年(1872)4月5日に、東京府が女性はみだりに髪を切ってはいけないという「女子断髪禁止令」(東京府達32号)を出したことにちなんでいます。』と有。 4月5日は「ヘアカットの日」 あの日の公文書 | 国立公文書館ニュース Vol.13 archives.go.jp/naj_news/13/an…

2020-06-29 20:56:15
リンク www.archives.go.jp あの日の公文書 | 国立公文書館ニュース Vol.13 国立公文書館ニュースは、当館の活動内容を国民の皆様にお知らせするための広報誌です。特別展、企画展などの催しや、保存資料の修復など、当館が取り組んでいる内容をご紹介いたします。 4
逆名 @sakana6634

明治6年2月19日 東京府布達坤第二十七号 婦人断髪ノ儀ニ付布達【免状を申請せよ】 『婦人斷髪の儀註違罪目第三十九条ニ掲示候處右區別ノ為ノ謂有断髪セシモノ或ハ尼ノ蓄髪スルモノ且既ニ決放ノ者トイヘトモ免状ヲ願出候ハヽ(中略)早々同所ヘ願出候様可致此段相違候事(後略)』 digital.archives.go.jp/das/meta/M0000… pic.twitter.com/WF7yKX9jet

2020-06-29 21:10:13
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逆名 @sakana6634

散髪ノ儀ハ勝手次第タルベキ旨、の『勝手』とは、任意でとか自由にとかの解釈でいいと思う。 ザンギリ頭は新しい時代や自由の象徴であったかもしれない。 ただ、それは男性だけに許された自由だった。

2020-06-29 21:18:01
逆名 @sakana6634

ただ男性の断髪も地方都市では抵抗がある者が多く、一向に丁髷が改まらず、断髪しない者から罰金や税金を徴収したり、愛知県では警邏の巡査に丁髷者を見つけ次第切り落とさせたという。なおこの辺りはタイムスクープハンターで取り上げられた事があった(S4#7「走れ!散髪ポリス」)

2020-06-29 21:28:55
逆名 @sakana6634

女性の髷も、京風など地方色のあったものが東京風に一元化されていったらしい。また、断髪を拒みながら日本髪も旧弊として否定し、上げ巻、下げ巻、イギリス結び、マガレイト(マーガレット)など和洋折衷の束髪を推奨する運動も興った。ここで日本に三つ編みが(再)導入されたのである。

2020-06-29 21:36:22
逆名 @sakana6634

束髪といえば鹿鳴館のイメージだが、明治20年代頃には勢いがなくなり、日露戦争の勃発によって和洋折衷の風が疎まれ、再興してきた日本髪に取って代わられた。 画像:「鬘附束髪図會」より kosho.or.jp/products/detai… pic.twitter.com/aVDgiELrjj

2020-06-29 22:03:11
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逆名 @sakana6634

画像(「よそおいの民俗誌」より)は明治35年以降に女学生を中心に流行した結髪で、日本髪と違い前髪と鬢を分けずに膨らませている。庇のように突出したので「庇髪」といい、高く結い上げたもので時世柄「二〇三高地髷」と名付けられた型もあったが→ pic.twitter.com/lLvxqmMeNu

2020-06-29 22:10:38
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逆名 @sakana6634

まるで巻き貝のようだと 「イヤダイヤダヨハイカラさんはいやだ 頭のどてっぺにさざえの壺焼きなんて」 などと揶揄する唄もつくられた。 大正に入るとふくらみをなくした「女優髷」や「耳かくし」などの本格的な洋髪が流行し、大正末期になってモガが登場してようやく断髪が日の目を見ることになる。

2020-06-29 22:14:59
逆名 @sakana6634

話が前後するが、明治5年3月「新聞雑誌」より女性の断髪へのバッシングの例を挙げる。 『近頃府下にて往々女子の断髪する者あり、固より我古俗にもあらず、又西洋文化の諸国にも未だ曾て見ざることにして、その醜態陋風、見るに忍びず、女子は柔順温和を以て主とする者なれば、

2020-06-29 22:34:42
逆名 @sakana6634

髪を長くして飾りを用ゆるこそ万国の通俗なるを如何なる主意にや、あたら黒髪を切捨て開化の姿とか色気を離るゝとか思ひて、すまし顔なるは実に片腹痛き業なり。』 『多くは煎茶屋の給仕女にて、たゞに奇を好むのみならず、書生、兵員の寵愛を計るか或ひは自負の強き不徒教輩(おてんば)である。』

2020-06-29 22:34:42
逆名 @sakana6634

筆者はさぞかし草葉の陰で腹痛に悶え苦しみもんどり打っていることだろうな。様ァ見ろと言える時代に生まれて本当によかった。

2020-06-29 22:44:12
逆名 @sakana6634

なお、明治5年正月の「開化新聞」には、金沢あたりのモダンな女性の話として 『女の断髪は櫛や笄の虚飾と油や元結等の冗費を去るのだ。序に袂を切り袖を細くして袴を穿いたら着物も短くて済み、幅広の帯も要らずに大層の節約だ』 という経済面からの擁護があったことも一応付記しておく。

2020-06-29 22:45:59
逆名 @sakana6634

参考資料: 「日本結髪全史」(江馬務/東京創元社/1960再版改訂 「日本の髪型と髪飾りの歴史」(橋本澄子/源流社/2001) 「黒髪の文化史」(大原梨恵子/築地書館/1988) 「よそおいの民俗誌 化粧・着物・死装束」(国立歴史民俗博物館編/慶友社/2000)

2020-06-29 22:50:47
逆名 @sakana6634

古き良き伝統が~云々をさておいてしまい、文明開化を気取ってるだの色気づきやがってだの、給仕女風情が媚びを売るだの自負が強いだの『賤しく小賢しい悪女』に仕立て上げるしぐさ、148年経っても大して変わってない気もするな。 twitter.com/sakana6634/sta…

2020-06-29 23:00:49

コメント

みゆう @MinamidaYminami 7日前
男性は明治になってすぐに洋服を着られる様になったのに、女性は大正になっても和服&日本髪のままという (;=´人`=)
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Tsuyoshi CHO @tsuyoshi_cho 7日前
ほーう、そして「そういや男子は断髪を強行させられてた」のもこれ読んで思いだすなど
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