竹富島のショーロ、アンガマ

竹富島のお盆、ショーロについてアンガマについて
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たけとみ @tktaketomi

竹富島のお盆の特徴は、アンガマと呼ばれる覆面仮想した集団が現れて、仏壇の前でアンガマ踊りを披露して先祖を楽しませることにあります。

2011-06-25 09:56:05
たけとみ @tktaketomi

実は八重山地方のこのアンガマ集団には2通りあります。一つは石垣島の登野城などの、仮面のウシュマイ(爺)・ンーミ(婆)を先頭にした集団で、もうひとつは竹富島がそうであるように、爺・婆が登場しない離島によくみられるアンガマ集団です。

2011-06-25 09:57:11
たけとみ @tktaketomi

爺と婆を先頭にしたアンガマ集団は座敷で歌い踊りますが、爺と婆が登場しないアンガマ集団は庭先で歌い踊ります。そのことから、前者のアンガマは八重山士族の広い家でのアンガマで、後者は庶民のアンガマであっであろうことが推測されます。

2011-06-25 09:58:09
たけとみ @tktaketomi

さて、「アンガマ」とはどういう意味かというと、アン(母御)+ガマ(愛称の接尾語)で、「親愛なる母御」の意とする説と、アンガ(行脚)+マ(愛称の接尾語)で、「行脚僧のニンブチャー(念仏者)の意とする説があります。

2011-06-25 09:59:12
たけとみ @tktaketomi

もう一つ、アンガマの意味で考えられるのは、沖縄本島のアングヮーモーイ(姉ッコ舞い)のアングヮー(姉ッコ)+マ(愛称の接尾語)として、「マ」を東北地方の「お茶っコ」「酒っコ」と同じ、愛称の接尾語の「ッコ」として、「姉ッコ」と考えることもできます。

2011-06-25 10:09:06
たけとみ @tktaketomi

要するに、アンガマの語源についてはいろいろありますが、そのアンガマ集団は先祖の霊を慰めるためにお盆に限って「あの世」からやってきた芸能集団であるとされているということです。

2011-06-25 10:09:38
たけとみ @tktaketomi

しかし、戦後の竹富島では、アンガマの道中行列の後ろから子供たちが囃すわらべ歌があり、その内容は、ショーロペーノ、アッペト、ミシュカイトゥリティ、ホッタトゥ(お盆のアンガマたちが、味噌を盗んで食べたそうな)というものでした。

2011-06-25 10:10:32
たけとみ @tktaketomi

その歌詞に則って考えるならば、観念的建前的に、アンガマたちはあの世から来訪した集団であるが、現実は乞食のように放浪するニンブチャー(念仏者)たちであったということになります。

2011-06-25 10:10:52
たけとみ @tktaketomi

このようなアンガマを迎える竹富島の盆行事は、お盆初日の夕方には、門の両脇で藁束の迎え火を焚いて先祖を迎え、その夜から3日3晩先祖をもてなします。朝・昼・晩の3度の食事はもちろんのこと、午前10時と午後3時にはおやつを仏壇に供えます。

2011-06-25 10:11:23
たけとみ @tktaketomi

また、お盆の日は、先祖だけではなく、あの世の亡者や餓鬼たちもこの世を訪れ、先祖に供えたご馳走を横から盗み食いするので、それをさせないための施餓鬼の料理も用意することになっています。

2011-06-25 10:11:51
たけとみ @tktaketomi

夜にはアンガマ集団を迎えて歌舞音曲で先祖をもてなしますが、この世の子孫たちは先祖を歓待するだけでなく、親戚縁者のご先祖への挨拶回りをするので、大忙しとなります。

2011-06-25 10:12:47
たけとみ @tktaketomi

そして、3日目の夜の12時を境として、家の外の道近くの適当な場所で、ご馳走を供え、紙銭を焼いて、ご先祖を見送って終わります。

2011-06-25 10:13:29
たけとみ @tktaketomi

ご先祖の中でも、若くして亡くなった者は力もあるので、ご馳走を天秤棒で担いで帰ると言われていて、その天秤棒となるのがサトウキビで、サトウキビはお盆の間、仏壇の両脇に立てかけて置かれることになっています。

2011-06-25 10:13:47
たけとみ @tktaketomi

竹富島のアンガマは、アンガマ踊りだけではなく、沖縄本島の盆踊りのエイサーが踊られることもあり、種子取祭の奉納芸能とは一味違った趣があります。機会があれば、ぜひ、竹富島のショーロのアンガマを見にいらしてください。

2011-06-25 10:14:01