テニミュのメタ:脚本⇔アドリブ/演劇としての⇔共時性のある/キャラクター⇔キャスト
@ast6s2 日替わりは原作から外れる部分だから割と自由度が高いかな、と(^▽^)非公式的な…。でも脚本は原作ありきだから基準が厳しくなる気がする
2011-06-29 00:31:44@tranta_ 発言的にはメタなことにはかわりないけれど、それを聞く私たちの状況の違いっておおきいんじゃないでしょうか…M1は観に行けばその回数だけ聞くけれど、千秋楽~はどうあがいたって大楽とCD、DVDでしか聞けないものですし…ましてや生で聞くのは千秋楽一回きりなので…
2011-06-29 00:25:50@tranta_ あ、それもありましたね…でもそれもやはり私たちが新年だっていうことを認識したうえで観に行ってる状況ありきな気がします 私はあまりM1に違和感は無かったのですが、もし違いがあるとすればそこはもう自分の意識・認識な気がして…
2011-06-29 00:29:55@tranta_ 突然すみません。私は三が日に見に行ったのでマッチポイントは全て『あけましておめでとうございまーす!』と入っていました。一瞬ポカーンとしましたが、正月だから特別なのかと遅れて納得。その『特別』というのがM1~との違いなのではないでしょうか…?
2011-06-29 00:29:46@tranta_ 二者の違いを作るのは台詞単体ではなく演目の位置付けではないでしょうか。後者は当時「泣いても笑っても最後のテニミュ」でした。最後の初日最後のお正月公演最後の千秋楽、全てに最後が付き纏うがこれらは本編と無関係。即ち、決勝後編公演そのものがメタだったのではないかと。
2011-06-29 01:34:18決勝後編の「全てに最後が付き纏い一挙一動がイベント化する現象」は、まさに高校三年生の一年と重なった記憶。友人と一緒に「これが最後の体育祭だね」「これが最後の部活だね」と日々確認し合いながら噛み締めたものは、「メタ的に捉えた学園生活」そのものだったんだろうな。
2011-06-29 01:43:08@tranta_ マッチポイント前の掛け声はまさにテニミュラストへのカウントダウン「イベント」だったと思いますね。だから個人的に不快というよりは次は何を言うんだろうという楽しみが優ってたし、本編と切り離して考えていた。まあ切り離せたのも本当に冒頭部分だったから、なのかもですが。
2011-06-29 01:59:55あっちなみに、客入れ後に幕の裏で大声出すというテニミュの文化は、もちろん最初からあったわけではないですよね。雄弥が座長の頃だから…どこだ(^^;)? その頃のバクステで、円陣組んで「大声出してもいいですか?」ってスタッフ?に確認を取る様子が映ってるのがあったはず。
2011-06-29 00:26:01@tranta_ @Turishuten 突然失礼します。山吹楽バクステです。 しろたが「大声だせないけどー」 ゆうや「いや出しちゃお」で確認とって ってしてます
2011-06-29 01:17:54テニミュの基本的なメタ発言って、外というか劇の外の話しをそのままひっぱってきてるものがおいのかな あけおめだったり季節だったり千秋楽だったり
2011-06-29 00:32:52