メモ:型の話

型を無批判に受け入れるのはいかがなものかというところから始まった議論。
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@themisutake

日本の伝統には型を重んじるものが多く、伝承の際に弟子は師匠の教えを無抵抗無批判に受け入れるよう教育される。そこに弟子の意思や主張は介在しない。先程私がある学校で受けてきた教育が日本の伝統と同質の構造をもつことに気付き嘲笑してしまった。日本の不効率極まりない公教育は伝統だったのだ!

2010-04-20 22:56:57
@themisutake

高等教育機関に於いて物事を教える時は、これから教えることを有機的に結合することによって、どのようなパースペクティブを得られるのかも兼ねて教えるべき(自主的に学ぶ時も同じなんだけど)。さらに教えたことに対して議論ができれば良いのだけど、公教育でここまでする余裕はないだろう。

2010-04-20 22:57:06
next49 @next49

型を重んじない習い事ってあるのかな。ヨーロッパのサッカークラブではどうしてそうしたのかを説明しないとコーチも選手も納得しないらしいけど QT @themisutake 日本の伝統には型を重んじるものが多く、伝承の際に弟子は師匠の教えを無抵抗無批判に受け入れるよう教育される。…

2010-04-20 23:04:53
next49 @next49

守・破・離は結構な真理だと思うけどなぁ。

2010-04-20 23:07:14
つぼっち @hide_tsubo

伝統工芸で商売している会社は少ないと思うが。。今となっては高度経済成長時代の遺産も、工芸品になるのかもしれないけど。RT @next49: QT @themisutake 日本の伝統には型を重んじるものが多く、伝承の際に弟子は師匠の教えを無抵抗無批判に受け入れるよう教育される。

2010-04-20 23:08:44
ミギ(隙あらば自分語り) @mig189

んだんだ。同意を RT @next49: 守・破・離は結構な真理だと思うけどなぁ。

2010-04-20 23:08:58
next49 @next49

役に立つものだけを習う、覚える、聞く場合、それを知らないときにどうやってそれが役に立つことを知るのか?年長者の意見?周りの評判?専門家の評価?この矛盾はどうやって解消すれば良いのか?

2010-04-20 23:09:13
kaeru3 @ruckatz3

@next49 ないと思いますが、日本ではその型の意味をあまり言葉を尽くして語らないかもしれませんね。それにまた型が役立つのは、実力が拮抗した時のわずかな差とか異分野に手を出した時とか、日常では感じにくい場面にあることがしばしばですし。

2010-04-20 23:09:53
@themisutake

”どうしてそうしたのかを説明する”ことの重要性を主張したかったのです。もし私が型を重んじることに対して批判していると解釈されたのならば訂正させてください。 (無批判に型を重んじることに対しては否定的です)RT @next49: 型を重んじない習い事ってあるのかな。ヨーロッパ(略)

2010-04-20 23:10:47
つぼっち @hide_tsubo

納得できるまで、調べる、人に聞く、外に出て人を捜す。RT @next49: 役に立つものだけを習う、覚える、聞く場合、それを知らないときにどうやってそれが役に立つことを知るのか?年長者の意見?周りの評判?専門家の評価?この矛盾はどうやって解消すれば良いのか?

2010-04-20 23:10:51
next49 @next49

価値基準は試行錯誤的に構築していくもので、私の考えでは最初の価値基準は、他人からの借り物であることが多いと思う。それを運用してみて、他の自分が既に持っている価値基準との整合性や実用性などを勘案して、新たに獲得した基準を修正していくのだと思う。

2010-04-20 23:11:40
田中実(28歳、マッドシティ在住)インフルエンサー @k4403

元ボスもことあるごとに「守破離」を例示にあげて話をしていました! RT: @next49: 守・破・離は結構な真理だと思うけどなぁ。

2010-04-20 23:12:12
Pino @pinotalbot

@next49 型をどう捉えるかでしょうね。覚えるべき定石と捉えるか、大リーグボール養成ギプスと捉えるか。私は後者だと捉えているので、型があるから不自由という発言はナンセンスだと考えています。

2010-04-20 23:14:21
next49 @next49

この発想に基づくと、守の段階で他人の価値基準を理解し、借りる。破の段階で借り物の価値基準の不都合な部分を改定する。離の段階で、元の価値基準にとらわれず自分の価値基準に基づき行動するとなる。

2010-04-20 23:14:46
kaeru3 @ruckatz3

@next49 学習とはまさに模倣により始まるわけですが、しかしある程度学習してしまった者は、その端緒において多分に模倣をし、ほとんど無批判に型を受け入れていたことをえてして忘れがちになるものでしょう。

2010-04-20 23:15:32
next49 @next49

多分、問題なのは「破」以降を許さない指導者がいることだと思われる。

2010-04-20 23:15:54
next49 @next49

「型に入り、型より出でて、最後には型無しに至る。」って誰の言葉だっけ?

2010-04-20 23:17:25
マレーグマ @fujii_takashi_

@themisutake ちなみに型を重んじない習い事といえば美術、ではなくて芸術。芸術は型を学ぼう、慣れようと思ったら終り。その人の芸術は終り。それはただの素人自慢だと思う。

2010-04-20 23:17:43
つぼっち @hide_tsubo

それもあると思います。ただ、守、破、離を同じ組織ですることが、非常に困難と思われます。教えた、教育した、と自負がある方々が、そー簡単に、破を受け入れるとは思えない。RT @next49: 多分、問題なのは「破」以降を許さない指導者がいることだと思われる。

2010-04-20 23:18:07
つぼっち @hide_tsubo

破をしたくてうずうずしてそうな人がいたら、適当(適切に当てはめて)ローテーションしてあげれば、うまく回る気もします。私は自分で勝手にローテーションしてしまったから、3社目です。。。

2010-04-20 23:19:58
@themisutake

なるほど、確かにそれは問題ですね(笑) 「守」を強要する指導者も散見されます…組織によっては致し方ない場合もありますが(例えば、軍隊)。 RT @next49: 多分、問題なのは「破」以降を許さない指導者がいることだと思われる。

2010-04-20 23:22:33
next49 @next49

型の意味を知って、その上で不都合だから、非合理だから、実用的でないから型を変える、あるいは、その型をなくす。論文では以前は受動態で書くのが推奨されたらしいけど、それだと意味がとれないことがあるので能動態もOKになり、今や結構推奨されるようになってきているらしい。型は変わるもの

2010-04-20 23:23:59
Kohji Dohsaka @k_dohsaka

@next49 世阿弥の風姿花伝に「ものまねをきはめて、そのものに、まことになり入りぬれば、似せんと思ふ心なし」という一節があるようです。

2010-04-20 23:27:49
@themisutake

@fujii_takashi_ そうなの?どんな偉大な芸術家も最初はなんらかの作品や人物の影響を受けて、模倣や破壊のサイクルを繰り返しながら独創的芸術家として大成するものだと思ってるけど。まぁでも今君と話している内容は結局、ポリシーの問題なのかもしれませんね。

2010-04-20 23:38:15
next49 @next49

確かに。そこいらへんが以心伝心文化のよろしくないところですね。 @ruckatz3 ないと思いますが、日本ではその型の意味をあまり言葉を尽くして語らないかもしれませんね。

2010-04-20 23:43:26