- xiongmao53
- 1638
- 10
- 0
- 0
大体、学会の関係者でもない素人が、上のような15年(2018年1月時点)に及ぶ厚真町での発掘調査結果を反映しないような古い著書の記述を元に、《擦文からアイヌへの移行過程は「ミッシングリンク」》だと主張しても、全く話にならないのである。
2020-01-05 08:57:29歴史学者(極東民族史)・天野哲也氏の所論をめぐって
アイヌの先住性を否定する為、下の天野哲也の記述を元に、《アイヌ文化と擦文文化の集落形態は連続していない》などと両者に連続性がないことを印象づけようとしているが、天野自身《そこで集団の交替が起きたわけでもなく言語が変化したわけでもない》と、擦文〜アイヌ文化への連続性を肯定している。 pic.twitter.com/fxRndWI9Ht
2020-01-23 20:09:11《全体として、擦文時代は一般には集落全体で生産をするという、共同性が基本的に強く、道東部ではそれが階層化の方向に進みつつあった。次のアイヌ時代になると、そういうものはなくなって、集落は河川沿い、海岸域沿いにどんどん広がっていく。つまり、各世帯で得られるものはどんどん得てしまうという、個別的な生産が展開されていく。》
※天野哲也『考古学から見たアイヌ民族史』、榎森進・小口雅史・澤登寛聡編『エミシ・エゾ・アイヌ』(2008)所収。37頁。
《アイヌ文化は交易を基盤にしてできたものであり、「交易を基盤にして物質的には内地化し、物質的なものを基盤にして精神的には独自のものをつくりあげていった」といえる。内地からの輸入品は多様だが鉄鍋と鉄鋼製品・衣類・漆器・米などが主要な品目であった。これらの物資を手に入れるための対価はそれまで、すなわち擦文時代の生産体制・組織では十分に得られなかった。この新たな生産体制・組織の確立を時代的な画期と考え、アイヌ文化が形成されたとみる。もとよりそこで集団の交替が起きたわけでもなく言語が変化したわけでもない。》
※前掲書29頁。
「引用」もなく言い切っている場合
《その1》
「引用」もなく言い切っている場合は、ほぼ《独自研究》=トンデモ、というか口からの出任せ。 例えば下、 【現在、北海道で確認されている最も古い人類の足跡は、約2万2000年前の後期旧石器時代です。それに加えて、西暦零年に大寒波でリセットされた事が確認されています】 matome.naver.jp/odai/215780524…
2020-01-11 17:03:39【西暦零年に大寒波でリセット】とは、続縄文〜擦文への連続性も否定するトンデモ。 定説は《北海道では続縄文文化(弥生・古墳時代)、擦文文化(奈良・平安時代)、「アイヌ文化」(鎌倉時代以降)へ遷移したが、この間に断絶は見られない。》 note.com/xiongmao53/n/n…
2020-01-11 17:08:08《その2》
《東釧路貝塚出土の東釧路人を近世の道東アイヌのものと一致》という釧路博物館の記述を「異常展示」と決めつけているけど、無知のなせる業。北海道縄文人とアイヌの類似性は専門家の指摘する所。 ※東釧路貝塚=繩文時代早期から晩期以降に渡る遺跡 bunka.nii.ac.jp/heritages/deta… matome.naver.jp/odai/215780524…
2020-01-12 13:17:03なお釧路博物館の《東釧路人の墓》と題する人骨展示の解説には、「人骨のもつ特徴のほとんどが、近世の道東アイヌのものと一致しているという。」ある。 それにしても、素人が博物館の展示を「異常」などと決めつける身の程知らず。 twitter.com/xiongmao53/sta…
2020-01-12 20:30:42まあ、「無知のなせる業」というよりも、この人の場合、「アイヌの先住性の否定」という政治的意図があって、上の百々幸雄の記述を読んで知っていても、「知らんふり」をしているのかもしれない。 twitter.com/xiongmao53/sta…
2020-01-13 11:56:28訂正:「上の百々幸雄」→「下の百々幸雄」。
《筆者らの研究によれば、アイヌの身体的特徴は、はるか昔の縄文時代まで遡る。国内外を含め、北海道アイヌと縄文人の身体的特徴に共通性があることを明らかにした論文は、戦後だけでも50編を下らないであろう。》
※百々幸雄『アイヌと縄文人の骨学的研究』(2015)70頁。