大河ドラマ的な『枕草子』、映像記録者・清少納言 ~片渕須直監督の話

2020/8/15~8/16前後の片渕監督のツイートを中心に収録。
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holozoa @holozoa55

@katabuchi_sunao 趣味・嗜好が明確なキャリア女性がやっているツイッターだけが500年後に発見されたような感じなのでしょうかね。枕草子、一文一文は短いものが多く、ハッシュタグに対してtw を連投している感じを受けます。そして、ツイッターの性質上、前提となる事・当時当たり前すぎた事はいちいち書かれない。

2020-08-16 08:43:10
片渕須直 @katabuchi_sunao

@holozoa55 うん、そういうのでもないんですよ。「本来は分断されてないドラマ性のある物語を秘めた文章である」という側面をもうちょっと大事にしたいわけです。

2020-08-16 08:47:54
holozoa @holozoa55

@katabuchi_sunao もしかしたら、その「ドラマ性のある物語」の部分の草稿が執筆時はあったのかもしれないですね。まあ、こういう事言い出すときりがないですが、今残されているのが写本である事には変わりないので可能性はつい考えてしまいます。

2020-08-16 08:56:57
片渕須直 @katabuchi_sunao

@holozoa55 いずれにしても、そこは「無い」ので補わなくちゃならない。 と同時に、今伝わっている文章の中身も、「これは映像的イメージなんだな」と思って眺め直してみると、おもしろいわけです。

2020-08-16 09:02:24
ほし @s_leol3

昼ドラ感覚で。 twitter.com/katabuchi_suna…

2020-08-16 09:23:54
片渕須直 @katabuchi_sunao

「枕草子」を読む上で大事かも知れないのは、意外にも例えば 大河ドラマに求めるようなストーリーへの興味なのではないかと思ったりしてしまうのです。 かなり、通俗的な物語だと思って接することが出来るものだし、そうやって見えて来るものは、かなりおもしろい。通俗的に。

2020-08-16 08:14:12
ほし @s_leol3

@katabuchi_sunao あ、ツイートの内容を履き違えてしまいました💦 「大河」なんですね、枕草子は。ただ、「源氏物語」とかは昼ドラ感覚でもいいような気もします。間違っていたらすみません。。

2020-08-16 09:28:30
片渕須直 @katabuchi_sunao

@s_leol3 ええ、「源氏物語」は個人を個人としての範囲の中で描いた創作的ストーリーなのですが、「枕草子」は歴史的な社会全体の大きなうねりの中にいる人々のお話、実録ものなので、大河っぽいと思うんですよね。

2020-08-16 09:41:30
ほし @s_leol3

@katabuchi_sunao 枕草子をうろ覚えでいました💦 実録ものなので大河っぽい。なるほど。 ありがとうございます😊

2020-08-16 09:49:31
片渕須直 @katabuchi_sunao

@s_leol3 いえ、普通に読んだら「日常生活の切り抜きかな」と思っちゃうのは無理ないんです。肝心なところが書かれてないのだから。

2020-08-16 10:00:40
Bunzo @Kominebunzo

片渕監督の「国文学的解釈への不満」は批判とは違うんだよな。国文学の分野での解釈が史実と符合しない、といったことだけではなくて「こうやって見ないと、こう読み取らないと、そこからドラマが浮き上がって来ない」と言っているのだと思う。 twitter.com/katabuchi_suna…

2020-08-16 07:06:58
片渕須直 @katabuchi_sunao

昨日見せてもらった「『枕草子』は読解に、思索を要求し」という文のことはまだ頭に引っかかっています。清少納言という人はきわめて視覚的な人で、同僚からも「あんたくらいよ、そんな人が来てるものが何色と何色の重ねだったのかそんなに見てるのって」といわれている。その人が、

2020-08-16 06:35:02
片渕須直 @katabuchi_sunao

意外なフォーカスが合って浮かび上がってくるんですよね、ドラマというか人間の姿、ひとびとの情景。 twitter.com/Kominebunzo/st…

2020-08-16 07:27:24
Bunzo @Kominebunzo

枕草子を思索的哲学的に読んでいては見えないものが「通俗的」に読み取ろうとすると現れる、と片渕監督が主張するのは「感覚重視の読み方」を薦めているのではなくて、枕草子の想定する読者と作者の置かれた状況、意思、意図を汲んで謂わば「清少納言戦記」として読んでみる、という話なのだと思う。

2020-08-16 09:00:11

映像記録者としての清少納言

佐分利【奇士乃】敏晴 @Rainunderlight

生態心理学・アニメ学者。博士(教育学)。障害者。薬剤師免許💊持ち。教員免許持ち。早見沙織さん、石川由依さん、中田譲治さん、京田尚子さんのファン。アニメ+生態心理学+物理学の単著「今日を生き延びるためにアニメーションが教えてくれること」発売中。

https://t.co/1HwX6QJink

佐分利【奇士乃】敏晴 @Rainunderlight

@katabuchi_sunao 私の単著とは逆のことがまた真理でもある、ということでしょうか。 「枕草子」という「スナップ写真集」の「ストーリー」を「追う」ことによって見えてくる「生」と「環境」がある。 それは一枚ずつ「読み解く」ことによってではなく「想起」してその「配列」を「見る」ことで「知覚」される。

2020-08-16 09:36:56
佐分利【奇士乃】敏晴 @Rainunderlight

@katabuchi_sunao 枕草子を読み通したことは無いのですが、「ものづくし」「ものがたり」を「スナップ写真集」として味わうことができるかどうか、試してみようと存じます。

2020-08-16 09:40:22
片渕須直 @katabuchi_sunao

たとえば「ベトナム戦争の記録写真」を数枚見ても、その背後にある戦争のことを理解し、そのどこに当てはまるのか理解してないと、意味がよくわからないままだよね、ということです。 スナップという日常生活的な感じでなく、歴史的な出来事が連続して起こっている渦中なのだという理解が大切です。 twitter.com/Xushino/status…

2020-08-16 09:56:59
佐分利【奇士乃】敏晴 @Rainunderlight

@katabuchi_sunao 私の癖、立ち位置、姿勢が「グローバルからローカルへ」という方向になっていることの副作用ですね。生活には必ず土地と時代背景がある。「この一枚」に至る「ものがたり」は、「今、ここから見えるもの」だけではないのだと、その時間的、環境的広がりが必ずある、ということでしょうか。

2020-08-16 10:12:41
佐分利【奇士乃】敏晴 @Rainunderlight

@katabuchi_sunao そうか、「写真」ではないですね。視覚的であっても文章だから、写真ほどの情報量はなくて、だからこそ「この歌の背景は〜」と、情報収集と理解が必要不可欠になる。当時の「当然」が分かってないと世界と人生が知覚できない。知覚できないから、理解するくらいしかない。もったいないです。

2020-08-16 10:20:56
片渕須直 @katabuchi_sunao

@Xushino 極めてハイコンテクストなのものだから、文脈を手にれておかないと、ということですね。その先に認識論みたいなものが待ってるのかも知れないのですが、基本的には「まずは歴史分野のお勉強から」。

2020-08-16 10:20:08
片渕須直 @katabuchi_sunao

@Xushino 「文章だから『映像がなかった時代の映像』ではない」という前提で読まれてるのがもったいない、ということでもあるわけです。 ちゃんと読んでみれば、清少納言は視覚的記憶像を極めて重視しているのがわかります。 たまたま彼女には「言葉」しか「映像」を記録するメディアがなかった。

2020-08-16 10:41:23
片渕須直 @katabuchi_sunao

@Xushino 写真だから情報量がある、というのもちょっと疑問です。いつも古い写真を眺めては「撮影時期は? どこで何を撮った写真なのだろう?」と首をひねり考える身としましては。結局、日付とか、キャプション(という文言)がかなり大きな意味を持ちます。

2020-08-16 10:48:46
片渕須直 @katabuchi_sunao

@Xushino 『枕草子』はそうした「キャプション」よりも、ずっと大きく「映像」そのものの方に踏み出して記述している。ゆえに、写真・映像を欠きつつも、どれだけ言葉にのみによって視覚像を記録し得ているか、という研究対象にもなるのじゃないかと思うほどです。

2020-08-16 10:52:13