「宮台真司-ポスト震災の意味論」を解説してみた。
- yusukeskinjp
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んー…なかなか難しいなぁ。分かりやすく言えば「誰かと、何かと一蓮托生にならならい人生なんてカラッポだ!」ということかな。 @consaba 宮台真司-ポスト震災の意味論(2011.0702 朝日カルチャー新宿教室での講義要旨http://t.co/muNJVKm #miyadai
2011-07-08 14:14:04分かりやすく解説してみよう。前半部分「未規定な人間」とあるが、これは「本能が壊れた動物=人間」ということ。我々の一生は鮭の一生とは違う。川を下って、海を泳いで、また川に戻ってくる。これは簡単な鮭の一生だが、鮭の本能が壊れていれば、海にとどまってみようなどと考えたりする。
2011-07-08 14:26:12しかし、鮭の本能は壊れてないから必ず川を登り産卵する。本能が壊れているが故に我々は悩み苦しむ(楽しむ、喜ぶ)。本能が壊れている我々がちゃんと川をさかのぼるように、あるいは海にとどまってもそこで生きていけるように、いずれにせよ本能の変わりにシステムを用いる。
2011-07-08 14:34:51システムにもいろいろある。我々が幸せになる為のシステムを選びたい。それは「主体(我々)に対し「選べない与件」として現れるが、徹底して「恣意的」なものであると。
2011-07-08 16:38:04どれが正しいかわからないけど判断せざるを得ない時、我々の判断を左右するのが「情動の越えられない壁」だ。そして「情動の越えられない壁」は「近接性」と関わりが深い。その証拠に「デブ」を線路に突き落とす、という選択肢を我々は考えにくい。
2011-07-08 14:58:07しかし、デブが他人で線路の先にいるのが家族ならどうだろう?もちろん答えはわからない。より「近接性」が感じられるものを我々が守ろうとする傾向にあるのは確かだろう。
2011-07-08 15:02:27このような人間関係は如何なる状況下で育まれるかのか?それは、システムが「「主体(我々)に対し「選べない与件」として現れるが、徹底して「恣意的」」である条件下で育まれる。
2011-07-08 15:22:47ここで土地の話し。どのような土地がこの条件に当てはまるだろう?それは我々が選択出来ない土地である。そして、別に我々にはその土地であらねばならない理由等ない(恣意的)。
2011-07-08 15:29:21近接性の高い関係として親子を引き合いにだしてみよう。親子はお互いに選択できない関係だが、お互いの関係は偶然の産物である。
2011-07-08 16:33:14彼が言う幸せな人間関係とは以下の部分を見ればわかる。「心底心配してくれる他者がいる人/いない人。心底心配してあげる他者がいる人/いない人。もう一つは、子供の疎開先を見つけられる人/見つけられない人。」
2011-07-08 16:45:13「一蓮托生」とはそういうこと。大袈裟に言えば「その人と(その事柄)と心中出来る」関係でなければ「絆」は生まれない。そのような関係を生み出す条件が「選択肢なし&恣意的」。
2011-07-08 15:42:51