パターナリズム・卓越主義、そしてリベラリズムの限界を探る。
仮に誰にとっても”わかりやすい説明”がいつでも可能なら、入学試験など必要ない。個人に関わらず、”分かりやすい”説明を教授が常にすればよいわけだから。常に誰にでも分かりやすい説明ができると信じている人がいるのならば、是非、幼稚園児にフェルマーの定理を”分かりやすく”教えて頂きたい。
2011-03-17 13:08:49当然楕円曲線など使わずに。我々がわかりやすい説明が可能と信仰しているのは実はある特定の背景知識、関心、価値観において、許容できる特定のレイヤーの人同士でしか、通じてないということに気がつく。マンションに例えれば、1階の住人は一階の住人の話しか分からない。各階も同様。
2011-03-17 13:13:42それで、私が一階に住んでいたら二階の美しい女性と話をすることができない。さてどうするか?一階に降りて来いと、話をさせて頂きたい私が言うのは合理的だろうか?否なぜなら嫌だといわれれば会うことさえできない。ではどうするかエレベータを使おう。このエレベーターというのが学習にあたります。
2011-03-17 13:20:59エレベーターつまり、話をしたい対象の相手の住んでいる階まで行けば少なくとも話はできる。こちらの方がよっぽど合理的、0%の確率が0.何パーセントかにでも、なれば最適戦略といえるだろう、社会心理学的にも物理的近接性と親しみやすさには相関がみられるようなので。
2011-03-17 13:24:24大切なことは、分かりやすく話せ、と要求することではなくて、私が勉強してどうかあなたの許容レベルまで努力しますから、その努力の方法を教えて頂けませんか?と問うことだと思う。わかりやすく話せは、自分の知識の拡大にはなりません、分かった気になるだけです。それはadhocにすぎません。
2011-03-17 13:26:19なぜなら、adhocな知性というのは、相手がわかりやすい説明を嫌がらなく且つそういう能力を備えている人間で」あれば対処可能だが、そうでない人が来たら無力になる。しかし、自分が勉強して知的理解力を」高めるのならば、相手によらず、理解確立を高めることができうるどちらが合理的だろうか?
2011-03-17 13:29:12私は後者を選ぶ、そして自分の知性により理解力を高め偏見偽命題からなるべく自由でいたいと思う。「無知の知」とは何も知らない愚か者ではなくて、知る可能性を肯定する人だ、分かりやすさを要求するより、私は知らない、故に知りたい、と考えた方がはるかに豊かで自由な生活を送れると私は考える。
2011-03-17 13:32:27そうですねそれを理解していて且つ相手が仮に自分の価値観において「わかりやすく」説明できなかったとしても、その聞いた責任を聞いた側が負い「分かりやすくない」ことの責任を説明側に転嫁しないという前提ならばですねRT@suishess 御意。それが分かった上で要求するのはありだと思う。
2011-03-17 13:55:14故に、私にとって知とは自由であり解放である。私はより自由で他者の思考に対して常に能動的判断(それが是であっても非であっても)を批判的合理的に下せる為に勉強する、それだけだ。
2011-03-17 14:03:53「自由は知の砦」それがなければ、それを表明することさえ許されない。狡猾な権威主義者が牙を剥き、手ぐすねを引いて待っているかもしれない。悪意ある知識人の”善意”により攻撃されるかもしれないしかしそれに耐えられる要塞を構築した者のみに知の砦は自由を穏やかに育んでくれる、揺り籠の様に。
2011-03-17 14:11:38知はプライベートジェットではなくて、家なのだ、前提なのだ自由にとって。知が価値を失った社会の民主主義は堕落する。
2011-03-17 14:13:54ええ、矛盾はしませんが、そうなるとサンデルら卓越主義者に近くなります。私は卓越主義も権威主義も認めない、ロールズ的自由・個人主義者です。(笑)RT @yujinyoshimura @lunticy 「パターナリズムにも一定の理解がある個人主義者」は矛盾しないですよね?
2011-03-18 09:32:03そうなんですか。私は個人のどんな自由な価値も尊重します、それが他の個人の自由の実現機会の平等を奪わない限りは。だから権威主義も卓越主義も差別も反対です。RT @yujinyoshimura @lunticy ぼくは元卓越主義者です。最近はマイノリティからクィアに移行中です。
2011-03-18 09:40:07私はそこは善いではなくて、合理的といいます。サンデルとロールズの違いですねw。RT @yujinyoshimura @lunticy しかし、ぼくが他人に「もっと多様性を受け入れて、違いを認め尊重することがいい」と説いているあたりは卓越主義的な面がまだ残っているのかもしれませんw
2011-03-18 09:48:28「知」が価値を失ったら、民主主義の堕落どころか、生物として終わってしまいます。科学知でもローカルノレッジでも、人を構成する基本要素だから。 QT @yutakioka:知はプライベートジェットではなくて、家なのだ、前提なのだ自由にとって。知が価値を失った社会の民主主義は堕落する。
2011-03-18 10:30:07そうですね、最終的にはそうなりますね。RT @NY_Kari 「知」が価値を失ったら、民主主義の堕落どころか、生物として終わってしまいます。科学知でもローカルノレッジでも、人を構成する基本要素だから。
2011-03-18 10:33:24それは知的・精神・発達障害者が人間じゃないどころか、生物として終わってると言ってるようなもの。卓越主義に反対するロールジアンが言っていい言葉じゃない RT @yutakioka @NY_Kari 「知」が価値を失ったら、民主主義の堕落どころか、生物として終わってしまいます。
2011-03-19 03:02:08RT @kogemayo: それは知的・精神・発達障害者が人間じゃないどころか、生物として終わってると言ってるようなもの。卓越主義に反対するロールジアンが言っていい言葉じゃない RT @yutakioka @NY_Kari 「知」が価値を失ったら、民主主義の堕落どころか、生物として終わってしまいます。
2011-03-19 03:11:06誤解されていませんか?知というのはIQや定量的な知ではありません。外部世界と内部世界をつなぐあり方についてです。情報収集に対する志向性を指しています。RT @kogemayo それは知的・精神・発達障害者が人間じゃないどころか、生物として終わってると言ってるようなもの。
2011-03-19 03:39:03(@yutakioka)私はそもそも知的・精神・発達障害者という言い方が気に入らないわけです(私自身もそうなのですが)がそもそもいわゆる障害者と言われる人でも知の価値=情報に対する志向性は失われていません。RT @kogemayo @NY_Kari 卓越主義に反対す...
2011-03-19 04:34:47なるほど! RT @yutakioka :|知というのはIQや定量的な知ではありません。外部世界と内部世界をつなぐあり方についてです。情報収集に対する志向性を指しています。 RT @kogemayo :それは知的・精神・発達障害者が| http://bit.ly/gd4zuE
2011-03-19 04:59:14知の絶対量ではなく「知的好奇心」とか新しい情報への態度を指しているのでしょうが、それにしたってたとえば少しでも「いつもと違う」刺激を受けるとパニックを起こしてしまうような自閉症者はどうなりますか? RT @yutakioka IQや定量的な知ではありません。情報収集に対する志向性
2011-03-19 14:12:41RT @kogemayo: 知の絶対量ではなく「知的好奇心」とか新しい情報への態度を指しているのでしょうが、それにしたってたとえば少しでも「いつもと違う」刺激を受けるとパニックを起こしてしまうような自閉症者はどうなりますか? RT @yutakioka IQや定量的な知ではありません。情報収集に対する志向性
2011-03-19 14:14:22これについてはなかなか140字では言い難いですが、「ある人の個性が『障害』になるのは、どこまでも社会の都合であり、社会の側がそれを手当てするのは当たり前」http://bit.ly/5gR7TVなんです。 @yutakioka 知的・精神・発達障害者という言い方が気に入らない
2011-03-19 14:23:29それも、異なります。情報収取に対する志向性=知とはDaseinがSeinとして主観的存在者の存在として世界に自己開示する為の手段を表します、つまり、障害の有無など全く関係ありません。自己措定の了解方法ですから。RT @kogemayo 新しい情報への態度を指しているのでしょうが
2011-03-20 02:24:20