「親の顔が見たい」という舞台がある。ちょうど一年ほど前、その舞台に出演する知人の招きで、通し稽古を見学させていただいた。2週間後に本番を迎えるタイミングで、その日がキャスト全員そろって初めての通しだったそう
2020-09-18 18:52:56お忙しい先生たちがセリフを完璧に頭に入れておくのが難しいのは仕方のないことで、プロンプタに助けられながらの通しではあったけど、物語そのものには深く引き込まれた。僕、ずいぶんと険しい表情で見ていたようで横にいた妻に「これお芝居だよ?ホントの話じゃないよ?」と心されたぐらい(苦笑)
2020-09-18 19:16:24※誤解されるとよろしくないので断っておくと、以下は演出家の方への批判でもなければ出演された役者さんへの批評でもありません。舞台のクオリティは掛け値なく高いものでした。
2020-09-19 14:48:55終了後の反省会、演出の方が「レスポンス」と盛んに言われた。その役として舞台で生きることができていれば、発せられるセリフのひとつひとつに、役者自身が自然と反応する筈だと。セリフはセリフではなくなり、そう発話せざるを得ない自分のことばとなるはずだと、そういう方法論なのだと思う。
2020-09-18 19:19:19そういう、役になりきるというアプローチの一方で、平田オリザ氏のように、役者の内面は基本的に関係ない、表現する意思も必要ない、ただ、「そう見える」ことだけが重要で観客は役者の内面を見ているわけではないのだとするアプローチもある。
2020-09-18 19:20:18チューリングの開発した人工知能もオリザ的方法論。人工知能は本当の意味での「知能」である必要はないということなのだろう。役者が「べき」をこなすだけで観客には「ざるをえなさ」が立ち上がるからそれでよいのだというロジックは非常に興味深い
2020-09-18 19:22:08さて劇中では、何度か「反省」という言葉が繰り返される。子供たちは本当に反省しているのか?と。では反省とはいったいなんだ。僕たちはどうやっても他人の心を覗くことはできず、どうやったって本来的な意味で分かりあうことなど不可能だ。
2020-09-18 19:23:02いじめを行った子供が「ごめんなさい」と言い、涙を流しながらあなたの手を握ってきたとして、その裏側でぺろりと舌を出して、「これでうまく騙されてくれるかな」と思っていないという保証はない。見ていればわかる、という人もいるかもしれない。けれど、そんなことはない。
2020-09-18 19:23:17一方で、そのうわべだけの涙を信じることで、いじめられた側が立ち直ることができ、いじめた側も「飽きたからもういいや」って止めただけだったとして、それは問題が解決したことになるのだろうか?表面的には完全に解決し、被害者が救われてさえいるのに、それでもそれは「解決」と言えるのだろうか?
2020-09-18 19:23:53同じようなことを、いじめだけではない、さまざまなことに感じる。ひととひとが分かり合える前提で分かり合おうとするひとたちは、いったい何を「わかりあい」「解決」した気になっているのだろうか?
2020-09-18 19:24:22そして、うわっつらであってもそれが実際に「救い」として機能してしまったとき、それをどう受け止めればよいのだろうか。無自覚に「同じ人間同士、助け合わないとね」という言葉が繰り出され実際に助け合ってしまえているとき、でもそれは「同じ人間」ではない人間をも生み出してはいないか。
2020-09-18 19:25:11それなら、僕はむしろ、チューリングや平田氏のように、「同じかどうかは関係ない」というところからスタートしたいと思うのです。永井均氏の哲学を追い続けているのもそれが理由。そういうことをずっとずっと考え続けています
2020-09-18 19:26:08sympathyはどこまでも一方通行であることを知らない態度。ゆえに越権的で独裁的。一方、compassionはその一方通行を知り届き得なさを知っている。ゆえに共苦的で独在的。 twitter.com/hitoshinagai1/…
2020-09-05 12:13:35何をおっしゃっているのか理解できませんが、ひょっとすると compassion をすでに現実に存在する sympathy のようなものと混同されたのかもしれません。compassion は決して sympathy ではないということこそがこの問題の根源ですが…。 twitter.com/charis1756/sta…
2020-09-05 10:46:02と言いながらcompassion=sympathyな方々は多そう。「私にはあなたの気持ちがわかる」なんて人ばっかり。気持ちがわからなければ苦しみはスルー?
2020-09-05 12:46:32むしろ気持ち(内容)は理解できなくても苦しみ(存在)には寄り添うべきなんじゃないかしら。善悪を超えてとにかく在ることが祝祭となるのと同じように。
2020-09-05 12:48:26@MuhoNoelke そこだけを切り取ると確かに怪しいんですが笑、If 共感が得意と言うのなら、then 内容に関わらず苦しみに寄り添う「べき」という文脈ですね。“共感”を売りにする人たちへの懐疑的な眼差し、と受け止めていただければと。あなたたちの言う共感って自己憐憫なんじゃないの?という。
2020-09-05 14:55:56