真珠湾 開戦前 ハルノート拒否通告 遅延関連資料

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数学史研究者 @redqueenbee1

直チニ自動車デ国務省ニ向ハレタ」 横山一郎駐米海軍武官 「在ニューヨーク陸軍監督官新庄健吉大佐の葬儀があるので,私も服を着換えに帰らねばならぬと思っていたところ,奥村書記官が一階の書記官室から二階の海軍武官室に息せき切って駆け上ってきて,真珠湾空襲が始まったというラジオ放送を

2018-04-06 09:23:24
数学史研究者 @redqueenbee1

伝えたので,私は彼と共に駆け降りてラジオ放送を聞いた.私が気になったのは,何も知らずに葬儀を執行している陸軍武官のことである.すぐに葬儀所になっていた教会へ電話して彼を呼出しニュースを伝え,葬儀が終了したらすぐに大使館に来るようにと話した.彼は少佐と大尉の米陸軍将校が参列して

2018-04-06 09:23:37
数学史研究者 @redqueenbee1

いるがまだ何も知らない様子だから,何もなかったような顔をして葬儀を済ませてしまう積りだと答えた.次に気になるのは国務省へ行った野村,来栖両大使のことである.間もなく両大使が帰ってきたので飛んで行って真珠湾空襲のニュースを伝えた.それからすぐ武官室に帰り嘱託で英語に堪能な佐々木勲一

2018-04-06 09:24:12
数学史研究者 @redqueenbee1

君を呼んで,大使館の正門の鉄扉を閉鎖し米人の群衆や新聞記者を門内に入れないように指令した」 海軍武官輔佐官寺井義守は大使館三階で聴取していたラジオから「突然,ハワイ空襲が報ぜられ,オクラホマが転覆したとか,ウイスコンシンが爆発したとか,つぎつぎと空襲の状況がはいってくる.そのうち

2018-04-06 09:25:05
数学史研究者 @redqueenbee1

報道管制があったとみえ,戦況の報道は中止された.私は二階の事務室にきてみると,横山武官がおられ,野村大使は国務省に出かけられたとの話であった」 昼食から戻った海軍武官輔佐官実松譲は大使館の状況からゴルフに行く事を取止め,「書類と暗号書などは焼却カマに入れ,暗号機械は分解して,機密

2018-04-06 09:26:27
数学史研究者 @redqueenbee1

の部分は大使館構内の糸杉の木立の間に運ぶ.これらの処分は,一時間もたたな いうちに,いともスムーズに終わった」,「三十名ほどの報道関係者が,開戦時の日本大使館の様子を取材するため,無断でドヤドヤ構内に入ってきた.そのとき,ちょうど大使館の暗号機械を処分しているところだった.構内の

2018-04-06 09:27:01
数学史研究者 @redqueenbee1

糸杉の木立の間から,処分のときに出る白い煙が,もうもうと立ちのぼっている.この煙は,かれらに異様の感じをあたえた.「いったい,あの煙は何ですか?」たまたま,その場に居合わせた海軍武官室の佐々木勲一嘱託は,機転をきかして大使館のスポークスマンになりすました.彼は,大正の初め,鳥取県

2018-04-06 09:27:14
数学史研究者 @redqueenbee1

の倉吉農学校を中退して一家でアメリカに移住,カリフォルニア大学ロス分校に学んだので,アメリカ人との応対は堂に入ったものだった.「あの煙ですか,あれはラブレターを焼いているところです.グリーンの煙は恋文で,イエローは断交(日米交渉断絶の意)の悲恋の炎ですよ……」と,巧みな英語で,

2018-04-06 09:27:26
数学史研究者 @redqueenbee1

いとも鮮やかにやってのけた」 8日4時5分,ハル国務長官は野村・来栖両駐米大使の訪問を受けた 「両大使は二時五分に国務省に現われ外交官応接室に通された.ちょうどその時大統領がホワイト・ハウスから私に電話をかけて来た.大統領の声は乱れてはいなかったが,早口だった.大統領はいった.

2018-04-06 09:29:02
数学史研究者 @redqueenbee1

「日本が真珠湾を攻撃したという報告が来た.」私はたずねた.「その報告は確認ずみですか.」 「まだだ」と大統領は答えた.われわれはおたがいに,恐らくこの報告は本当だろうと思う,という意見を述べたのち,私は日本大使とこれから会うことになっていることを考えて,この報告は確かめさせる

2018-04-06 09:29:17
数学史研究者 @redqueenbee1

ように大統領に進言した」 8日4時20分,野村吉三郎・来栖三郎駐米大使は,ハル国務長官に覚書を手交した. 野村吉三郎大使 「余より「午後一時此の囘答を貴長官に手交すべく訓令を受けた」と申したところ,國務長官は「何故一時か」と訊ねたるも「何故なるを知らず」と答へた.我方の囘答を一讀したる

2018-04-06 09:31:16
数学史研究者 @redqueenbee1

上,非常に激怒したる面持にて「自分は過去九箇月常に信實を語つて居つた.斯の如く僞りと歪曲に滿ちた公文書を見たことがない」と述べた.余は長官の手を握つて別れを告げた」,「眞珠灣攻撃が始まるのだと云えば,僕の方だつてその積りで一時に行くんだが,そうは思わんかつたのだから…….そこは,

2018-04-06 09:31:37
数学史研究者 @redqueenbee1

勘の違いだろうと思う.向うは各方面の情報を集めていたのだから勘も良いだろうが,こつちは聾桟敷に居た様なものだ.何しろ前の晩に,支那料理屋かなんかで,送別會をやつたぐらいなんだからな」 ハル国務長官 「私は両大使を呼ばせた.野村と来栖は二時二十分に私の部屋に入って来た.私はひややか

2018-04-06 09:32:31
数学史研究者 @redqueenbee1

な態度で彼らを迎え,イスをすすめることもしなかった.野村はおずおずした様子で,政府からは午後一時に文書を手渡すように訓令されていたのだが,解読に手間どっておそくなった,といい,日本政府の通告を私に手渡した」

2018-04-06 09:34:04
数学史研究者 @redqueenbee1

8日4時30分頃,駐米武官輔佐官矢野連は,新庄健吉大佐の葬儀場にいた.在留邦人2,30人と,アメリカ陸軍省の少佐と大尉が出席していたが,野村大使・来栖大使や横山一郎海軍少将は到着していなかった.ここで,磯田三郎武官に電話があり,戻って来た磯田は「開戦だ」と矢野に囁いた.葬儀は30分程度で

2018-04-06 09:34:57
数学史研究者 @redqueenbee1

終わり,磯田は「いよいよ日米関係は最後の事態に達したと思います.名誉或る挙措で終始したい」と挨拶した.矢野駐米武官輔佐官は,石川秀江駐米武官輔佐官と宿舎のバレービスタ・アパートに帰った. 8日5時頃,野村吉三郎・来栖三郎駐米大使が大使館事務所に帰り,本省に対する短い報告電を出した.

2018-04-06 09:36:27
数学史研究者 @redqueenbee1

一等書記官奥村勝蔵の語る野村大使 「最後の日,真珠湾攻撃のニュースを私から聞いて,「そうか」とひとこと,うなるようにいったまま,じっと頭を下げたその姿は,忘れることができない」 野村吉三郎大使 「開戰の日の事で,今でも記憶に殘つているのは,磯田陸軍中將の事だ.丁度その日の一時に,

2018-04-06 09:38:13
数学史研究者 @redqueenbee1

亡くなつた新庄大佐の告別式をやつていたが,開戰の報に接して磯田中將は,大使館へ駆けつけ,「大使--,非常な御努力にも拘らず,事ここに至りました.残念です.運命ですな」と兩目に涙を浮べていた」,「余も感動を受けた」 陸軍武官磯田三郎 「固く閉された官邸正門の側にある大使館事務所の入口

2018-04-06 09:39:21
数学史研究者 @redqueenbee1

附近において群集の冷い眼と「カメラマン」の撮影攻めとを受けながら館内に這入り直に大使を訪れたところ折柄書見中の大使はやおら立って磯田武官を「ソフア」(長椅子)に請して呉れたが磯田は立った儘同様に立って居られた大使に対し稍々震え気味の声で「大使—折柄心魂を打ちこんで精進された絶大なる

2018-04-06 09:39:41
数学史研究者 @redqueenbee1

御努力も何等報いられないで事茲に至る誠に残念でたまりませんこれも皆天命でありましょう…」と云い終らない裡に胸が一杯になって口がきけなくなり急に目頭が熱くなったのでたまりかねて上を向いてしまうと大使も亦同じ様な気持か唯微かに頷いたきりでやはり上を向いてしまわれ二人の間にはしばし

2018-04-06 09:39:55
数学史研究者 @redqueenbee1

(暫時)悲痛な沈黙が続いた.それから磯田武官は米陸軍代表将校二名が参列したにも拘らず真珠湾空襲の飛報によりこれら将校の突如帰還の窮境に陥ることもなく新庄主計大佐の葬儀を無事終了することができてほっと一と息ついた旨を報告し,尚故人に対する好意を謝し大使から同大佐に対する冥福祈念と空襲

2018-04-06 09:40:09
数学史研究者 @redqueenbee1

飛報のため大使館員が葬儀に参列し得ざるに至った事情を承り間もなく辞去した」 8 日5 時頃,毎日新聞ワシントン特派員の高田市太郎は,ワシントンでUP の記者から開戦の報を受け,本社に電報を打電して駐米大使館に向かった 「私は大使館の横門の自動車車庫から地下室の電信室を通って館内へもぐり

2018-04-06 09:40:58
数学史研究者 @redqueenbee1

込んだ.なかに入ると,入口に海軍武官室の実松譲中佐がワイシャツの腕をまくりあげ,悲壮な顔つきで外を見張っていた.記者が,「とうとうやりましたね,真珠湾はメチャメチャにやられているようですね」というと,実松中佐は, 「そりゃ,やりますよ,帝国海軍ですもの」と,意気けんこうたるものが

2018-04-06 09:41:27
数学史研究者 @redqueenbee1

あった.地下室の大きなストーブの前には,これも海軍武官室の体の大きな寺井義守少佐(前海上自衛隊幹部学校長)が立っていて,しきりに何かを放り込んでいた.重要書類を焼いていたのである.そういえば,館内は,ほかのストーブもみんな書類を焼いているので,煙と,きな臭いにおいが立ちこめ,

2018-04-06 09:42:20
数学史研究者 @redqueenbee1

なんとなく悲壮な気分がみなぎっていた.私は地下室から大使館事務所に上がり,官邸二階の居室に野村,来栖両大使をたずねた.野村大使は立って書棚の書類などを整理していた.さすが千軍の提督だけあった,いつもとすこしも変わった様子はなかった.私が,「とうとう,やってしまいましたね」というと

2018-04-06 09:42:33
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