真珠湾 開戦前 ハルノート拒否通告 遅延関連資料

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まとめ 太平洋戦争の決定者達 5967 pv 65 2 users
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休止中 @cyokuri

この話の矛盾を小内誠一氏は説明できていない。 ①真珠湾攻撃前に米軍と日本軍はハワイ沖で交戦している。 ②昭和天皇宛のルーズベルトの親電の切っ掛けのひとつが、日本側のハルノートに対する返答。 つまり、最後通牒をアメリカ側は傍受しており、在ワシントン日本大使館の手交前に把握していた。 twitter.com/cyokuri/status…

2020-08-17 09:37:02
チョックリー(sait)【無党派】 @cyokuri

竹田恒泰『天皇の国史』は「対米最後通牒」の内容すら調べていない ルーズベルト陰謀論に飛びつく保守の宿命 imperialism.site/archives/670

2020-08-17 09:32:37
休止中 @cyokuri

竹田恒泰『天皇の国史』は「対米最後通牒」の内容すら調べていない ルーズベルト陰謀論に飛びつく保守の宿命 imperialism.site/archives/670

2020-08-17 09:32:37
休止中 @cyokuri

但し ③外務省本省(日本政府)は在ワシントン日本大使館の外交官、即ち実働部隊に対しては、対米戦争開戦の意思は事前に伝えていない。 ④在ワシントン日本大使館が最後通牒の手交時間が遅れた理由の主因は、外務省本省側の様々な命令にある。

2020-08-17 09:46:44
休止中 @cyokuri

⑤④について。外務省本省は 1.週末に在ワシントン日本大使館へ外交官のブラジル等への転勤、即ち人事異動を通告した。 2.14枚ある「最後通牒」のうち、14枚目の電報のみが届くのが遅かった。 3.暗号解読機を破壊し、タイピストを使わずに、最後通牒の暗号解読、翻訳、清書をしろと命令した。

2020-08-17 09:53:28
休止中 @cyokuri

このうち⑤の3.についてはアメリカ側は暗号傍受を事前にしており、既に把握していたのは間違いない。 この理由がないと、ルーズベルトが昭和天皇への親電を在東京のアメリカ大使館に打電する事は無い為。

2020-08-17 09:56:40
休止中 @cyokuri

つまり、ルーズベルトは日本側に対米戦争開戦の意思があり、ハワイ沖での真珠湾攻撃前の戦闘と最後通牒の事前傍受と暗号解読の結果、現地時間の12月6日以降、日が空かぬ内に日米戦争が開戦すると踏んでいたとするのが自然な考え方である。

2020-08-17 10:10:52
休止中 @cyokuri

また、ハワイにいたの日本のスパイとは、当時のホノルル領事館に在籍した海軍軍令部付きの吉川猛夫のことを指すと思われる。 吉川は昭和16年4月以降に日本に向けて、逐一、真珠湾に停泊していた米海軍の艦船の配置数等を打電していたとのこと。 但し、吉川自身は開戦まで真珠湾攻撃を知らなかった。

2020-08-17 15:59:10
休止中 @cyokuri

また、アメリカ側は吉川を事前に徹底マークしていた情報もあり、アメリカ側に、ハワイ真珠湾での諜報活動は筒抜けだったという証言もあるので、竹田恒泰氏が引用した日本のスパイとは、吉川でほぼ間違いない。

2020-08-17 16:02:46
休止中 @cyokuri

【入門・日米戦争どっちが悪い(6)】「真珠湾」事前に知っていたルーズベルト 現地に教えず見殺し(1/5ページ) - 産経ニュース sankei.com/premium/news/1… @Sankei_newsより ここら辺の経緯は、この記事が詳しい。 また「天皇の国史」の文章の中にも、この記事からの引用したものもありそうだ。

2020-08-17 16:05:25
休止中 @cyokuri

所謂「宣戦布告遅延問題」に関しては、産経新聞の見解と自分個人の見解は異なる。 産経新聞の記事では「在米大使館員たちの怠慢が原因」としているが、それは違うと思う。

2020-08-17 16:15:30
休止中 @cyokuri

①外務省本省が、慣例とは全く違う異例の人事異動通告をした。 ②外務省本省は在ワシントン日本大使館に対米戦争開戦の意思を一切伝えていなかった。 ③外務省本省は、暗号解読機を破壊し、解読、翻訳、清書にタイピストを使うなと命令した。

2020-08-17 16:18:48
休止中 @cyokuri

④対米最後通牒は14通の電文からなるが、最後の1通が、真珠湾攻撃当日の朝に届いた。 ⑤外務省本省が在ワシントン日本大使館の職員の構成、人事の掌握を完全にはしていなかった。 この点から、主な責任な「外務省本省」にあるのは明白である。

2020-08-17 16:21:42
考重 ルノ @kangaeruno

日本人は生存に値せず ~ ハル・ノート jjtaro.cocolog-nifty.com/nippon/2011/11…  ハル・ノートは26日に野村駐米大使に手交されましたが、日本側は22日には暗号を解読し、内容を知っていました。日本連合艦隊機動部隊は25日、密かにヒトカップ湾を出港し、真珠湾へ向かいました。

2013-06-09 18:15:41
リンク かつて日本は美しかった 日本人は生存に値せず ~ ハル・ノート - かつて日本は美しかった 日本人の生存は否定された。 日米戦争回避に向けて昭和16年(1941年... 48

(11月)“29日(土)午後3時20分、連絡会議。杉山参謀総長、永野軍令部総長ら統帥部は外務省に対し、今少しの交渉継続を求める。それが茂徳の疑念を呼び覚ました。
東郷 外交をやるといっても、その仕方(方法)がないではないか。
杉山 戦争に勝てるように外交をやって貰いたい。
東郷 開戦の前、外交をやる余裕があるのか。
永野 まだ余裕はある。
東郷 一体軍部は何日に開戦するつもりなのか。1日ではないのか。X日を知らせて欲しい。それを知らなければ外交はできない。
永野 それでは言う。12月8日だ。まだ余裕があるから、戦に勝つのに都合がいいように外交を続けてくれ。”

メモ垣露文
名分話 第380回 ハルとグルー(61)
https://ameblo.jp/gallina50/entry-11823870865.html

「どうも…外相以下外務省の外交官たちは日本時間12月8日に、日本軍の戦闘が開始されることは知っていても、それは米国の「出城」であるフィリピン、英国の「出城」であるシンガポールへの攻撃と認識していて、後にUnited States of Americaを構成する「state」となるハワイ(正式に州となるのは1959年。41年当時は準州)を攻撃するとは認識していなかったようなんです。」

名分話|メモ垣露文

「対米覚書、実は、これは日本からのアメリカに対する事実上の最後通牒でした…しかし、そのことは野村たち現地外交官には知らされていませんでした。更に真珠湾攻撃の情報も機密保持のため秘密にされていたのです。」

真珠湾への7日間 外交官たちの苦闘 BS歴史館より|「不動産投資と旅」現役大家さん、現役投資家の生の声を聞かせます。

http://ameblo.jp/e-fh/entry-11112136787.html

「【質問】
 開戦時のワシントンの日本大使館への電報は,アメリカの電報会社から紙で配達されたのですか? それとも直接無電ですか?
 また,暗号の解読を手で行ったらしいですけど,パープルはそんな暗号なんですか?
 【回答】
 商用電報です.ルートは
外務省電信室
→東京中央電報局
→電文の95%は米本土へ無電(この段階で米海軍が傍受)
→RCA電信会社経由でワシントンへ
→大使館ポストへ配達
です.
 残り5%は海底ケーブル経由ですが,こちらについては米諜報機関は,電信会社から横流ししてもらいました.
 ちなみに開戦前夜では,大使館職員が暗号電報を目にする前に,米国側が先に解読・翻訳を済ましてました.」

http://mltr.ganriki.net/faq08h15.html

リンク seitousikan.blog130.fc2.com ハル・ノートに対する日本の回答入電「これは戦争を意味する」 ハル・ノートに対する日本の回答電報◆「これは戦争を意味する」東京裁判でのブラットン陸軍大佐の証言によれば、ハル・ノートに対する日本の回答電報14部の最初の13本は、この日の夜9時から10時までの間に完全に受領し、10時少し過ぎに国務省の当直士官に届けたと言う。では、この電報に対する大統領の反応はどうであったか。当時、大統領付海軍副官ビアドール海軍大佐の連絡補助員であったシュルツ海軍大尉は、夜9時半少し過ぎに...
リンク メモ垣露文 『名分話 第383回 ハルとグルー(64)』 東京とワシントンD.C.の二つの場所での証言を並列させて書いていますので、日付がごちゃごちゃになっている人もいるかもしれません。一度、確認しておきましょうか。…

「日本は、真珠湾攻撃とほぼ同時に「交渉打ち切りの通告」をアメリカに伝えようとした。これは真珠湾攻撃開始の1時間後にアメリカ側に届いた。

ただし、これは「宣戦布告」ではない。

「交渉打ち切り」と宣戦布告は別物だ。

これが事前に届いていたとしても、国際法違反であることには変わりない。

正式な「宣戦布告の詔書」は、真珠湾攻撃開始からおよそ半日遅れで発表された。

この「宣戦布告」には、「国際法を順守して」という文言はない。

(これに対して、日清戦争、日露戦争の宣戦布告にはそのような文言が入っていた。)

なぜかというと、中立国だったタイ王国のシンゴラ湾に上陸作戦を行なう予定で、

わざとそのような文言を入れなかったと言われている。

(タイが同意をしなかった場合、国際法違反になるということ)。

この詔書の文案を見た昭和天皇は、この点について、繰り返し疑問を表されたそうだ。

しかし、東条首相は、タイ領に関する作戦について言及し、国際法遵守の文言を入れようとしなかったそうだ。

最終的に昭和天皇は国際法を守ること、宣戦布告をしてから攻撃することの2点を条件として、この詔書の文案を容認された。

が、真珠湾攻撃を見れば明瞭な通り、この2点は最初から完全に無視されたわけだ。」

真珠湾攻撃と国際法
https://ameblo.jp/tokuichi39/entry-11551340289.html

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