【副島本】『日葡辞書』によると器量は「優雅。また、良い性質、すぐれた才能」という意味である。例文として「器量な人」というのが載っている。意味は「容姿と風采のよい人」である。よって意味としては「見目が良い」のほうが近いと考えられる。
2015-12-27 22:34:40【副島本】ヴァリニャーノが、1581年2月にこの彌助を黒人奴隷ということにして信長に差し出した。これは計画(策略)である。(p70)
2015-12-27 22:35:53【副島本】信長は小姓たちと一緒にいて、そしてその周りに供回り衆が数十人いた。信長と小姓たちは本能寺の大きな本堂と客殿がそのまま宿泊施設になった建物にいた。現在の高級ホテルのようなもので、僧侶はもういない。
2015-12-27 22:41:45【副島本】そしてこの本堂と客殿に仕掛けられた火薬が夜明け前の午前4時ごろに爆発して轟音と共に吹き飛んで焼け落ちた。信長と小姓たちは、爆殺されて一瞬で死んだのである。だから死体も骨も髪の毛一本残っていない。(p73)
2015-12-27 22:43:24【副島本】隣の南蛮寺にいたオルガンティーノやカリオンたちは、信長が本能寺に到着する(5月29日)の前に、本堂の床下に樽詰めの爆薬、数十樽を運び込んでいたはずだ「爆薬は、木炭10%、硫黄15%、チリ硝石75%でつくった」と八切本(186p)に書いてある。
2015-12-27 22:52:19【副島本】当日の朝、暗いうちから彌助が本能寺の内側から手引きして導火線を用いて爆薬への発火を実行したはずだ。「殿居の不寝の番」の侍たちさえが油断した時刻に爆発を実行したのだ。(p76~77)
2015-12-27 22:53:48【副島本】大きな黒い塊(異形)の黒人の大男がこのような単独行動を行えたはずがない。アメリカのハリウッド製のバンバン・ムービー(低劣な暴力と爆発ばかりの映画)ではあるまいし。(p83)
2015-12-27 23:52:38【副島本】繰り直すが信忠たちも首や死体が残っていない。不思議である。おそらく彌助たちバテレンによって、こちらも強力な爆薬で爆殺されたのだろう。犯行の証拠を消すために。(p86)
2015-12-28 00:02:13【副島本】本能寺で信長を殺したのは隣地の南蛮寺から射かけた大砲によるものだ、と。当時世界最新鋭の「イザベラ大砲」による爆裂弾である、と。 これは、八切止夫氏の説だ。(p97)
2015-12-28 00:09:44【副島本】八切止夫の本によると、イザベラ大砲というのは、「当時の十字軍遠征用に考案されていた折畳み分解式」の大砲らしいが、検索しても全然わからない。ところで当時の十字軍というのは、どの十字軍を指しているのだろうか?
2015-12-28 00:12:54【副島本】明智光秀は信長から、5月17日に、安土城で、秀吉が難渋している「毛利攻め」に直ちに加勢に行けと命令されていた。6月2日の朝に本能寺で閲兵式をやるから出頭せよ、と言われていたのだ。(p100)
2015-12-28 00:16:34本能寺の本堂は信長の死体も残らないくらい爆発させたのに、隣接している厩は大丈夫で、そこにいた馬廻衆は明智勢と戦って死んだそうな。現代のビル破壊レベルの巧みさですか?w
2015-12-28 00:23:24【副島本】6月5日に明智は、やっと安土城に入った。ほとんど抵抗はなかった。信長の身の回りの世話をする直臣たちも逃げて戦闘部隊はいなかった。信長の直属の、3万人はいたであろう主力軍がここで消えている。不思議だ。(p102~103)
2015-12-28 00:28:07【副島本】安土城に有った信長が蓄えていた巨額(小判だけで1万枚)の金銀財宝と貴重品の類はどこへ消えたのか、である。誰もこのことに言及しない。安土城はこの10日後(6月25日)に全焼している。秀吉の命令で小西行長の城になった。(p103)
2015-12-28 00:30:57【副島本】自分に味方すると思っていた摂津三人衆の高山右近(洗礼名ジュスト)、中川清秀(洗礼名ジュニアン)、池田恒興(信輝、洗礼名メシアン)が動かないので、あとずさりして山崎に陣を敷いた。(p103)
2015-12-28 00:34:25【副島本】種子島に鉄砲が伝来した6年後に、早くもイエズス会の超大物指導者のザビエルが鹿児島に来たのだ。そしてこのあと周防の山口(市)まで行った。ということは毛利氏がキリスト教を容認したということだ。(p106)
2015-12-28 00:39:30