チェルノブイリ救援中部メンバー中熊弘隆さんによる、南相馬放射能測定報告
76. でも、ここの住人にとっては根から運ばれようが、幹や枝から運ばれようが、関係ない。彼にとって大切な情報は、「葉からも放射線が出ているようだ」という一点につきる。う~ん、ならばどうする? 彼は「切ってしまおうか」と力なく言った。しかし後処理の問題が残る。僕らは返答に窮した。
2011-07-15 10:44:04南相馬市に於ける放射線測定77. 梅の大木の処理に関して、僕らは有効な対策を助言できないまま、母屋の中の測定に移った。お世辞にも綺麗とは言いがたい屋内。至る所高線量の箇所が見つかる。各部屋に衣類の山がある。「一番高い部屋を見て」と案内されたのは、窓のない納戸だった。
2011-07-16 20:52:1578. その部屋はどこを測っても2~3μSv/hもある。衣類の山はもっと高い。「ここは6が出る」と、男性は廊下と部屋の境から10センチ程部屋側の畳の上に自分の線量計を置いた。ポンコツ君を並べて置いてみた。数値が合わない。「そのロシア製、狂ってるんじゃないですかね」
2011-07-16 20:52:4279. 僕は根拠もなくポンコツ君をかばいながら、数回測定を繰り返した。すると数値が一致した。6.7μSv/h。窓もない部屋でこの線量はあまりにも不可解。雨漏りでもしているのだろうか。屋根の鉄板の痛み具合からして大いにあり得ることだとは思うが、確認はできなかった。
2011-07-16 20:53:0280. 屋内の測定を終え、外に出ると男性は、「やっぱり、避難した方がいいかな」と、力なく僕らに尋ねるでもなく呟いた。彼は既に自宅が危険な状態にあることを理解している。毎日線量計を持って家中を測って回りながら苦しんでいらっしゃるのだろう。僕らは、黙ってそれを聞いているしなかった。
2011-07-16 20:53:5981. それにしても、2階子ども部屋の住人はロシア製線量計おかげで救われた。そのままそこで寝起きを続ければ、年間50~80mSを被曝することになったのではないか。僕は、男性が既に避難を決意しているように感じ、あれこれ助言は不要だと思った。軽く会釈し僕らはその場を立ち去った。
2011-07-16 20:55:1182. 更に何軒かを回っり、午前中の活動終了時間が迫ってきた。そこで、区長さんが「最後に、私の自宅をもう一回お願いしたいんですが」と言う。そこは初日にも見たのだが。かなり大雑把だったので、「区長さんのご自宅を最後にしましょう」ということになった。衝撃的なフィナーレが待っていた。
2011-07-16 20:55:4583. 区長さんは、自宅裏手を見てもらいたいという。20~30坪の裏庭には簡易な駐車場があり、軽く砂利をまかれた土の上にはそこかしこに苔が生えている。2日間僕らと行動を共にした区長さんは、その環境が、高線量が出た家の環境に似ていると直感したのかもしれない。
2011-07-16 20:56:1184. 3人のスタッフは、裏庭各所の測定を始めた。苔の上は5~6μSv/h程度、苔のない砂利の上も4~5と、どこも高い。僕が、駐車場脇を計測していると、女性スタッフの声がした。「ここ30出てる」。彼女は、台所出口脇の雨樋排水口付近を測定していた。僕は思わず「ウソだろ!」。
2011-07-16 20:56:5385. ポンコツに最後の仕事をさせるべく、排水口から20センチ程離れたところに奴を起きながらチェル救の線量計の数値を見た。31μSv/h。更に上昇している。寒気がする。ポンコツ君はすぐに任務放棄し、訳の分からない数値をばらばらに表示するばかり。近くで見ていた奥さんが後ずさりする。
2011-07-16 20:57:1486. 区長の奥さんは、口を手で覆いながら、「だめ、近づけない。どうしよう」と悚然と立ち尽くしている。区長さんは冷静だった。毅然として「俺が全部やるから、おまえは離れていればいい」。彼は、自分のなすべきことは分かっている。この二日間、彼は訪問した全家庭の数値データをメモしてきた。
2011-07-16 20:57:3887. そして、僕らと一緒に、ああでもないこうでもないと対策を考えてきたのだ。僕らが彼に助言することなど何もないのだ。「男はこうでなくっちゃね!」僕は心の中で、「頑張れ、頑張れ」と呟いていた。こうして、全ての日程を終了し、僕らは集合場所のボランティアセンターへと向かった。
2011-07-16 20:59:01