ライトノベル作家・扇智史のつぶやき短編「溶暗のキャラメルマキアート」

バーチャル後方見守り女／扇智史 @o_g_s_t_

ブランコの鎖は、黄色い塗料と赤茶けた錆がまだらになっていて、微妙に軋む。その音といっしょに、チカちゃんは少しずつ話し始める。「……大変なことしちゃった。どうしよう。どうしたらいいと思う？」いきなり先行きを丸投げされても困る。あたしはコーヒーをすすって、考え込むふり。

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「……もし、ほんとにチカちゃんが人を殺しちゃったんなら、自首した方がいいかな」「ほんとだよ！　ほんとに」「わかった、わかったから」いきなり大声出されたので、チカちゃんを押さえるように手で宥める。こういう突拍子もない所も、ちょっと演技っぽい。

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チカちゃんは髪をゆらして座り直し、「うん、ほんと、ほんとだから」「それはわかったよ。でも、殺したって、どうして？」「どうして、って言われると、覚えてなくて……ちょっと言い合いになって、かっとしちゃって、それで……」衝動的な犯行という奴だ。情状酌量の余地あり。

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瞳を潤ませ辛そうに声を絞るチカちゃんを目の当たりにすれば、冷酷無比の裁判官にも紅涙を絞らせることだろう。人生有利そうでうらやましい。「それ、部屋で？」「うん。血だらけで」こくりとチカちゃんはうなずき、ぎゅっと握った手をおののかせる。あたしは髪をいじりながら今後のことを考える。

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＊＊つぶやき短編「溶暗のキャラメルマキアート」第１回ここまで＊＊

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＊＊つぶやき短編「溶暗のキャラメルマキアート」第２回＊＊

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逃げるのはおすすめできない。部屋には指紋も証拠も山ほどあるし、昼間だから死体も隠せない。住むにしたって、死体と一緒じゃ精神をやられてしまう。だいたい、証拠が残りやすくて人の流れが限定される屋内は、人殺しをする場所としてリスクが高すぎるのだ。

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それに、今回は衝動的犯行だから、刑も軽くなる。包み隠さず証言して、裁判できちんと反省の弁を述べれば、数年の実刑で出てこれるだろう。そりゃ社会的には窮地かもしれないが、殺してしまった以上は覚悟すべき重荷だ。なら、損を少なくして、得を取るべき。

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「……殺すつもりなんて、なかったんだけど」「うん」チカちゃんがつぶやく。窮屈に曲げた彼女の膝の先、ミュールの爪先がいらだたしそうに地面をこすっている。「今日だって、普通にさ、会うだけのつもりだった。それだけで、楽しかったし」

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相手がそのつもりだったかは知ったことじゃない。「でも……ほんと、何でもない話だったの。私は、行きたいコンサートがあって、前からチケットも予約して、そのつもりでいたの。知ってるでしょ？」「うん」チカちゃんはジャニタレに入れあげてて、こないだも物販に８時間だか並んだらしい。

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「なのにさ、急に、いっしょにいて、とか言いだして。無理じゃない？　そんなの」「無理」「いつもはそんなこと言わないんだよ。前だって、少しわがまま言ったことあったけど、最後には『しょうがないなあ』って笑ってくれて。笑うとすごくかわいいんだよ」

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かわいいのか……そういうのが好みとはちょっと意外だ。「かわいいと、つい許しちゃうんだよね。アイスも半分あげちゃったり、デートに遅刻してきても、怒るに怒れなくて。前も、すっごい真夏日に２時間くらい待たされちゃって」ふっと顔を赤らめる。

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「でも、そういう時って、いっつも、ぎゅうってしてくれるし。よけい熱くなるけど、全然平気」殺した相手ののろけって完全に現実逃避なんだけど、突っ込んじゃいけない。あたしはオレンジ色の小さな缶を弄びつつ、軽くうなずいて相づちを打つ。

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こういう時は、瀬尾さんの忠告を思い出すことにしている。”世の中にはどうしたって回り道や行き止まりがあるもんだよ。君は時々獣道や道なき道を無理に駆け抜けそうな感じ。たまには立ち止まればいい”むしろ停滞の方があたしの本領だと自分では思ってたけど、瀬尾さんから見ると違うようだった。

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一度だけ、”彼”を瀬尾さんに会わせたこともある。彼女はしごく納得してうなずいて曰く、”あれは壊れた人工衛星だね。止まって見えるけど、すごい勢いで空転して墜落してく。巻き込まれたら、君も藻屑だよ”あんまり的確なことを言われると、怒るより先に笑ってしまうんだと、その時に知った。

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いつか彼と一緒に燃え尽きてしまうと確信していた時期があったし、今でもそういう気持ちはある。けど、こうして甘い缶コーヒーも悪くないと思えるくらいには、彼と円満に別れて過ごす選択肢はないわけじゃなさそうに思う。問題は、そうしたら向こうが干からびるってことくらい。

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……あたしが未練がましいのか、彼が成長しないのか。

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「それで、こう、ガン、ガンって……手とか腕とか、真っ黒で……って、聞いてる？」「え、うんうん」あたしが考え事してるうちに、のろけから殺しに話が移ったようだった。どっちもあんまり興味ないけど。「ほんと、困ってるんだから……どうしよう」チカちゃんはため息をつき、うつむいた。

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ほとんど乾いた髪がぱさりと顔にかかる。陰になった横顔は、あたしの方を見ているような見ていないような、あいまいな角度だ。空色の缶を軽く下唇でなぞるようにしているチカちゃんは、あたしの言葉を待っている。最後の最後で、誰かに自分を丸投げしてしまうのが、彼女のやり方。

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まあ、本当にそれだけの子なら、人は殺さないだろうけど。「チカちゃんは、どうしようと思ってる？」「わかんないよ」即答したってことは、何も考えてないってことだ。まあ、人を殺した直後だ、何も考えられなくたって無理はない……と思う。あたしの時はどうだったかな。

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中学生のあたしでも、衝動は理性とうまく折り合いをつけ、幼いなりの計画性で何とかやり遂げ、未だ発覚していない。こういう、疚しいことをする時の計算高さというのは、いくつくらいで身につくんだろう。それを得られなくて、衝動で身を滅ぼす人って、要は不幸なんだ。

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……チカちゃんを哀れんで、自分が上の立場になった気でいる。やだやだ。あたしは缶コーヒーを飲み干して、立ち上がる。「ねえ、チカちゃん」「何々？」「現場、連れてってくれる？」「ええ？」「説明だけ聞いててもわからないし。どういう状況か、見てみたい」チカちゃんはきょとんとした。

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「で、でも、汚いし、臭いよ？」「わかってるよ」「それに、別に部屋なんか見なくったって」「現状はちゃんと把握したいの。お願い……それにさ」あたしは、とても押しつけがましいことを言うことにした。「あたし、チカちゃんが人を殺すなんて、信じられないもの」

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……ほんとは疑ってなどいないのだ。あの動揺、あの怯え、いずれも彼女の身に起こったただならぬ事態を想像させる。全てがチカちゃんの妄想とするには、彼女の普段の生活は健全すぎる。薬を飲んだりいつも長袖を着たりしてる、その手の子たちとはまったく質が違う子だ。

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突然発症したというのもあり得るが、そういう風でもないし、信じられない。”自分で思ってるより君はずっと健全で、健全な世界を信じてるね”と瀬尾さんに言われたのが的を射ているんだろう。チカちゃんに限って、いきなり精神を病むとは思えないのだ。