ライトノベル作家・扇智史のつぶやき短編「溶暗のキャラメルマキアート」

第44静止画効果 twitterノベルまとめ http://onlygizmo.blog82.fc2.com/blog-entry-157.html
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バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

そして問題は、あたし自身。ここまで踏み込んだからには、死体を、殺人の痕跡を確認しないと気がすまない。ずっと遠ざかっている、死と間近に向き合いたい。……まったくのわがまま。降って湧いた椿事に、大喜びで首を突っ込む野次馬の、反吐が出そうな心性だ。

2011-07-17 21:53:47
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

人を殺さなくなって、あたしもすっかり俗物になってしまった。そんなあたしを、チカちゃんはぼんやりと、泣きそうな瞳で見て、「……わかった」立ち上がり、あたしの手を握った。「でも、絶対、ちゃんとついてきてね。逃げたり、しないでね」「大丈夫」手を握り返した。

2011-07-17 21:54:58
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

斜めの陽射しが眩しい路地を歩く間、チカちゃんは二、三度、ぎゅっと身を縮めて隠れるような素振りをした。決まって視線の先には、人影。「そんなにしてたら、怪しまれるよ」「だって……」「平気だって。あたしがついてる」つまらない安請け合いに、チカちゃんはうっとりうなずいた。

2011-07-17 21:56:14
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

事件は発覚していないのか、マンションの近くに警察やマスコミの様子はなかった。チカちゃんの口ぶりじゃけっこう暴れたみたいだったから、通報されてる可能性も考えていたが、あたりは背筋が寒くなるほど閑静だった。隣人の暴力になんか関心のなさそうな空気ではある。

2011-07-17 21:57:13
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

何度か遊びに来たことがあるので、チカちゃんの部屋の場所は知っていた。三階の、エレベータを上がって四つめのドア。オートロックやエレベータのボタン、もちろんドアノブも観察したけど、血がついてたりはしなかった。チカちゃんはそれなりにうまくやったらしい。

2011-07-17 21:58:30
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

チカちゃんは部屋に近づくほど無口になっていた。無言で、手を震わせながら、ポケットから鍵を取り出す。何度か差し込みそこねたけど、どうにかドアを開けることが出来た。恐る恐る、小さな隙間を作って中をのぞき込むチカちゃんの後ろから、あたしも室内をのぞく。

2011-07-17 21:59:13
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

入った所にはキッチン、横はバスルームとトイレのドア、その奥のリビングに通じるドアは開けっ放しで、ここからでも見通せた。秋の夕暮れ、カーテンの隙間から細い陽射しが部屋を照らし、カーペットに残る血痕と、所狭しと壁に貼られたポスターを、まるで宗教画のように強調していた。

2011-07-17 22:00:32
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「……ない」けれど、死体はなかった。

2011-07-17 22:01:13
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

**つぶやき短編「溶暗のキャラメルマキアート」第2回ここまで**

2011-07-17 22:01:31
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

**つぶやき短編「溶暗のキャラメルマキアート」第3回**

2011-07-18 20:40:37
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

ドアを勢いよく開け、チカちゃんがサンダルを脱ぎ散らかして部屋に飛び込む。あたしもそのあとから入って、土間に立ってリビングを奥まで見渡す。ベッドの上、テーブルの下、コンポの陰、PCデスクの裏、開けっ放しのクローゼット、写真集でいっぱいの本棚の後ろ……どこを見ても、死体はない。

2011-07-18 20:40:48
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

チカちゃんはありとあらゆるドアと窓を開け、中を確かめていた。最後に洗濯機の中に突っ込んだ顔を持ち上げると、ぼさぼさになった髪もそのままにへたり込んだ。その顔は、安堵したような、哀しんでいるような、泣き笑い。

2011-07-18 20:42:01
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「……やっぱり」つぶやいたチカちゃんに「どういうこと?」あたしは立ち尽くしたまま問い返す。正直、何が起こったのか理解してはいたと思うのだけど、それについて思考するのを頭が拒む。どうやら、それなりにショックを受けているらしい。

2011-07-18 20:43:07
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「だって、死んじゃうはずないもん。あんな、一度、ずしっ、て突き刺したくらいで」「一度?」聞き返す。「さっき違うこと言ってなかった? 何度も何度も、ガンガン、って」「え?」むしろチカちゃんの方が、あたしの言うことを理解してない様子だった。「何の話?」

2011-07-18 20:44:27
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「いや、さっき公園で」「あれは別の話だって、やっぱ聞いてなかったの?」別、って? あんな話の流れで、別の恋人の話なんてするわけがない。もしもチカちゃんが今日より前に傷害か殺人を起こしていたとしたら、それをおくびにも出さなかった彼女を劇団に紹介してあげたい。

2011-07-18 20:45:18
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「別って何?」「だから、前のこと。前に……」チカちゃんが、ひくっ、としゃっくりみたいに息を呑んで、口を閉ざした。まずいことを口にした、と、ようやく気づいたらしい。ぎゅっと締め付けられた唇の端、ほっぺたが出来損ないの柏餅みたいにぐにゃりとねじ曲がっている。

2011-07-18 20:46:35
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

目だけが、あたしの方を哀れっぽく見上げた。その、いろんな守りの外れたチカちゃんの顔つきに、あたしは一瞬、そそられた。「前って、どういう意味?」やたら冷酷な声になったと思う。あたしは自分の衝動を抑えるのに必死だったからだ。だから屋内で知人はリスクが高すぎるってば。

2011-07-18 20:47:29
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「……前は、前だよ」「前にも――?」「そう、前にも……でも、あれは夢だったのかな、って半分思ってて。さっきも、夢のつもりで話したの。けど、やっぱり、現実のような気がしてきた。これが夢じゃなければの話だけど。ね、私をつねってくれる?」

2011-07-18 20:48:49
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「つねらなくても平気。これは夢じゃないよ」「痛くしてくれないの?」「甘えたこと言わないで」それ以上のことをしちゃいそうだった。こんな風に衝動が入り交じることなんてなかったのに。「うん、じゃあ、これもほんとのことだね。じゃあ、私、あの子を二回殺したことになるんだなあ」

2011-07-18 20:50:05
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「――二回?」「うん、最初は、三ヶ月前かな。さっきの、映画の話。もうガンガン殴って、絶対死んだって思って、わたし失神しちゃって、だから夢かなって思ったんだけど、起きたら、ぴんぴんしてて」笑おうとしたけど、チカちゃんのほっぺは相変わらず引きつったまま。

2011-07-18 20:51:05
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「で、今日は、ハサミでざくっと……そういえば、ハサミもないなあ。あれ、実家から持ってきて、けっこう使いやすかったから、助かってたんだけど」「つまり、チカちゃんはその……彼を、最初は殴って、今日は刺して、殺したってこと?」「えっ? 違うよ?」

2011-07-18 20:52:06
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「違う?」「違うって、彼、じゃなくて」チカちゃんはまばたきして、天を仰いだ。「あー、そうだった、言うの忘れてたんだ……彼じゃなくて、彼女、なの」チカちゃんのはにかみ顔は、それはそれはキュートだった。

2011-07-18 20:53:05
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

……ここまで来れば話は終わったようなもので、実際あたしはその後ですぐにチカちゃんの部屋を出た。血で汚れた家具は粗大ゴミに出すように、クリーニングだと怪しまれるから気をつけて、と警告だけした。自首は不要になった。死体がなければ立件できないんだからお巡りさんが迷惑するだけだ。

2011-07-18 20:54:19
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

マンションから外に出ると、もう夕方、紅葉し始めている木々を燃えるような陽射しが色濃く染めている。濃厚なローズヒップティーのように、道路もビルもガードレールも、真っ赤だった。あたしは立ち止まって、道路の果てを眺めやる。

2011-07-18 20:55:21
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

”彼女”が、いつまでチカちゃんの部屋にいたのか、そしてどっちへ向かったのか、あたしには手がかりがない。逡巡するうちに、”彼女”はずっと遠くに行ってしまうだろう。迷わず駆け出せる踏ん切りの良さは、あたしには欠けているものだ。

2011-07-18 20:56:02