saijotakeoさんのつぶやき1 『存在(being)と行為(doing)』
- namihei_twit
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今日は13時から17時半までミーティング。500人の大教室にもかかわらず、ゆるーい感じで進めれてよかったです。ゆるさも大事。ずっと緊張状態では続かない。ゆるさがあって、本人達に楽しいという感覚があれば、自然と集中力も続く。今日はそんな感じなっていたのが良かったなあと思いました。
2011-07-16 23:49:44既存の社会運動とか、過度に真面目な団体は、メンバーに過度な緊張を強います。そんなことじゃダメだとか、緊張感が足りないとか、こうせねばならないとか、そんなんじゃ次は協力できないとか、すぐにいいます。でも、こういう「緊張」や「正論」「脅し」をベースとするものは結局続かないんですよね。
2011-07-16 23:54:20「もう一度だけチャンスを与えます。次に失敗したらもう協力しませんよ」というのは一見すると、相手に緊張感を与えることで、しっかりした仕事をさせるのに有効のように思われます。が、そうでしょうか。
2011-07-16 23:57:22ある程度の緊張感も大事です。しかし先の宣告は、相手の行為(doing)しかみていません。相手の行為が不十分であれば、いつでも首を切ると宣言しているのです。そうした状態で、人は安心して仕事に取り組めるでしょうか?
2011-07-16 23:59:27緊張や義務、正義、正論、義務、そういったものをベースとした社会運動は、大局的にはことごとく失敗してきた、という歴史を僕は踏まえる必要があります。そうした運動が果たした社会的役割は否定すべきものではありませんが、そのやり方の限界も、同時に明らかになってきたのは確かだと思います。
2011-07-17 00:05:49僕は根がぐーたらなので、そういう「正論」が響かないのです。効かないのです。こうすべきだとか、こうしなきゃ未来はないとか言われても、自分の内側からそう思わなければやる気にならないのです。むしろ押しつけられると反発する方です。高校のときも0点とかとってました(←バカなだけ)。
2011-07-17 00:10:44行為(doing)の評価は、一見合理的です。優秀な人を評価する、業績をあげた人を評価する、能力の高い人を評価する、これは資本主義社会において、妥当な評価法の一つです。でも、それは片手落ちであり、それだけでは表層的な「評価」になる、と僕は思います(必要なのであり否定はしてません)。
2011-07-17 00:31:50その人が、自分を評価してくれているときですら、一方でその人が他の人に対してひどい振る舞い方をしている人をみると、この人は、今パフォーマンスをあげている自分だから評価してチヤホヤしているのであって、そうじゃなくなったら、切り捨てるだろうなと容易に想像できるからです。
2011-07-17 00:35:56行為(doing)だけを評価されてきた人は、会社の業績(doing)が悪くなったら、当然他に移ります。それが会社が教えてきた「合理的な行動」だからです。会社の存在(being)など、しったこっちゃないとなるのはこのためです。過度な業績主義は、こういう脆さを持っています。
2011-07-17 00:38:10行為(doing)に軸足を置いている過度な「業績至上主義」の会社が、どこか脆い感じがするのはそのためです。人間も会社も社会も調子がよいときだけではありえません。当たり前ですが、どんなに能力があろうと、どうしようもない天災が降り注いできたら、どうしようもないのです。
2011-07-17 00:41:05@saijotakeo 一連のツイートを読み、本当の「真面目」とは長期的な行動と結果に対する責任を持つことという風に思いました。まさに今回の『ふんばろう~』に表れているように。最後に勝てばいいって自分に言い聞かせてます。最後に勝つ為に今何が必要か考えながら生きてます。
2011-07-17 00:44:07そういうときに「頑健な会社」は、beingを大切にしてきた会社です。辛いとき苦しいとき、どんなときでも一緒に居続けてきた仲間の存在(being)を大切にしてきた会社は、会社が苦況に立たされたときも会社の存在(being)を守ろうとしてくれる人が出てくることでしょう。
2011-07-17 00:44:45でも言いたいことは、だから戦略的にbeingを大事にしようとか、そういうことじゃないんです。それはおそらく「戦略的な分」beingを大事にするから、距離が生まれている。
2011-07-17 00:50:01戦略的にいえば、そうもいえるのだけど、それは一つの気づきのきっかけであって、本当はそういうことじゃなく、ふつうにそれぞれの存在を愛している人は、それが伝わるし、相手にもそれが伝わってしまい、それがたまーに社会的に「得した」ということになることもある、というだけのことだと思います。
2011-07-17 00:51:36この前「ほぼ日」で、糸井さんと話しているうちに「人脈の作り方」の話になりました。二人とも、うーん、そうじゃないんだよなあ、という感じになりました。
2011-07-17 00:54:27僕らは、たとえばふつうに目の前の大変そうな老夫婦に話しかけて、それをきっかけに連絡をとるようになり、事後的にみれば貴重な「情報源」としての「人脈」ということになるんでしょうが、それは人脈を作ろうとしたのではなく「人脈」を作ろうと思っている人にはできないつながりなのだと思います。
2011-07-17 00:56:29この結果を、方法と勘違いする倒錯は、世の中あらゆるところで起きている気がします。それを真似してもうまくいかない理由の大半はそこにあるんじゃないかと。プロセスが逆転しているのだけど、事後的言及を真に受けるから、おかしなことになる典型かも。
2011-07-17 00:58:21これは博士論文の『母子間の抱きの人間科学的研究』(北大路書房)でも書いたことで、親子関係にも当てはまるし、むしろ記述と現象の関係全般に当てはまることです。いけねえ、話が堅くなってきた。
2011-07-17 00:59:13@saijotakeo doingだけの評価に辟易している人達は大勢います。生身の人間だから経済合理性だけで生きて行けるわないです。経済恐慌が15年以上続いて自分を殺してまで得られる利益などないと多くの人が知った。この15年で痛い目をみた多くの人がbeingに目覚めたと思います。
2011-07-17 01:00:18@saijotakeo とある、辺境作家も同じようなことを言ってました。楽しく遊ぶ関係性が一番大切だよと。それが一番信頼できると。
2011-07-17 01:00:33話を戻すと、義務とか正論とか、脅しといったものはすべて「緊張感」をベースにしたものであり、それが行政でもNPOでも同じで、長続きはしないということです。その兆候はどこにあらわれるか?
2011-07-17 01:01:53@saijotakeo すごく確信をついていると思います。先日も友人が孟子訓を読んでつくづく西條さんと同じことを考えたと言っていました。私は会社でのいろんな人間関係から経験上そう感じています。評価の話はほんとに難しいです><まず自分にできることと考えない人に評価は難しいと思います
2011-07-17 01:01:55そうした人や時代の流れに逆らったその兆候は、必ずじりじりと、人が減っていき、ブレーキをかけても、脅しをかけても、その流れは止められない、というかたちになります。風呂の栓が大きくなっていて、いくら蛇口をひねっても、どうにもならない、という感じです。
2011-07-17 01:03:40他方でbeingだけ評価するとどうなるか。家族はそれでいいです。そうあるべきです。しかし会社や行政がbeing(つながりやコネクション)だけをベースにしたらどうなるか。公務員試験も成績と関係なく同郷の人しか合格させない、ということになります。その先はどうなるか。いわずもがないです
2011-07-17 01:06:57