菅首相の「民主主義とは交代可能な独裁」という過去の発言について
やや古い話だが、7/6の衆院予算委で自民党の石破茂議員が菅首相はかつて「民主主義とは交代可能な独裁制」との表現をしていたがその理解は今でも変わらないかとの質問をしていた(http://t.co/kDBRvmM→12分20秒位)。菅首相はこれにむにゃむにゃ答えているが発言は認めた。
2011-07-17 15:23:42私はこの発言は知らなかったが、菅氏は1998年に都内のある研究会で次の発言を行っているらしい。「民主主義というのは、交代可能な独裁なんです。選挙で政治家や政党を選んだ以上、任期いっぱい、その政治家や政党の判断に任せるべきだ。私は、強力な中央集権のもとで地方分権をやりたいのです」
2011-07-17 15:24:53出典は遠藤浩一「証言構成―菅直人 憲法を変える、日本を壊す」『文芸春秋』1998年11月号らしい(http://t.co/dY4lX0m)。菅首相自身が認めているのだから疑いのない事実なのだろうが、その民主主義への理解の甘さというか、権力観の危うさには正直愕然とするところがある。
2011-07-17 15:27:06つまり菅を初めとする民主党の権力観とは選挙で与党になった以上はその任期の間は国民は独裁を認めよという発想なのである。国民は自動的に政権なり与党なりに全権委任をしたのと同義になっている。そこには説明責任を丁寧に履行するとか野党との討議を通じてコンセンサスを作るという発想は丸でない。
2011-07-17 15:30:48同様の発言はかつて小沢一郎も行っており彼が政治とカネの問題で説明責任を一切果たそうとしなかった態度に国民は激怒したものだが、こうした思考は小沢ばかりのものではなかったことが改めて確認された形である。なるほど昔からそう考えていたのなら唐突な「脱原発」の方針表明もよく分かる話である。
2011-07-17 15:32:25つまり菅の理解では国民は菅を代表に選んだ民主党を2009年の衆院選で与党にしたことによって、その任期一杯の間は民主党もしくは菅の独裁を無条件で容認しなければならない訳だ。如何に思いつきであろうが何だろうが権力は独裁者に一元化されている以上、国民は不満を述べることも許されない訳だ。
2011-07-17 15:34:49そして独裁者はその意思決定についての一切の説明責任を国民に対して果たす必要もない訳である。なぜなら国民が政治に関与できるのは選挙のタイミングだけで、それ以外は黙って権力者の指示に従えという訳だからである。なるほど、こう考えれば「脱原発」を思いつきで決めても何の問題もない訳である。
2011-07-17 15:36:33首相がこの期に及んで「最期の一分一秒まで」首相の職にしがみ付くとしているのも全く同じ心理からだろう。菅が自己陶酔するような独裁者の立場はそれは心地よいものであろうから。どんなに間違ったことをしても、どんなに国民生活を破壊する愚策を展開しても、首相である限りは他人には手は出せない。
2011-07-17 15:39:36それは確かに「続投への強い意欲」を示したくもなろうというものである。このような思想を持つ人物なり政党なりを一度権力の座に据えてしまったということ自体、国民の間にこの種の独裁を待望する気持ちがあるとさえ言えるのかもしれない。民主主義の瓦解の芽は他ならぬ国民の中にあるのかもしれない。
2011-07-17 15:42:24