昨日発生していたサイトログインできない不具合は修正されております(詳細はこちら)

西洋経済

テスト対策
1
くろの@お勉強 @stu_clono

ギリスの人口増加 マルサス的危機を回避できたのは産業化が起こったからである。何故産業化が危機を回避させたかというと産業化によって製造業などの工業が発展したためである。収穫低減部門である農業に対して工業は収穫逓増部門の産業であり、労働人口の増加は生産性を向上させる。

2011-07-26 20:45:42
くろの@お勉強 @stu_clono

産業化によって工業部門での技術革新と生産性の持続的向上が起り、また農業から工業、さらには商業・サーヴィス業に労働力が移動したことが、問題を解決した要因である

2011-07-26 20:45:59
くろの@お勉強 @stu_clono

アイルランドでは1750年頃から急激な人口増加が起こった。これは、優秀な特徴をもつジャガイモを新作物として導入し、急速に普及したことにより人口扶養能力が向上し、結果として農民保有地の細分化が進んだことによる。農地細分化は新世帯の増加につながり、結婚率・出生率が上昇した。

2011-07-19 23:56:35
くろの@お勉強 @stu_clono

しかし、1845年からのジャガイモ腐敗病による凶作が人口増加を阻止し、アイルランド人の生活基盤は崩壊した。結果、飢餓と海外移住がおこり人口は減少した。

2011-07-19 23:58:42
くろの@お勉強 @stu_clono

ドイツの過剰人口、大衆窮乏化、産業化

2011-07-21 14:34:02
くろの@お勉強 @stu_clono

大衆窮乏化とは、財産と教養のない下層民の量的拡大のことである。経済的困窮だけでなく、倫理的に零落・堕落した生活が蔓延することでもある。

2011-07-21 14:39:10
くろの@お勉強 @stu_clono

ヨーロッパでこれが問題となったのは、ヨーロッパにはあるべき正常な社会像の基準が存在したからだ。それは都市・農村において手工業者・商人、保有農は自治と自己責任の原則のもとで共同体を構成し、それ以外の人々は従属的地位のペーベルと呼ばれていたという、前産業化時代の社会構造のことである。

2011-07-21 14:42:56
くろの@お勉強 @stu_clono

過剰人口と大衆窮乏化の問題が存在しなかった地方

2011-07-21 14:43:47
くろの@お勉強 @stu_clono

過剰人口の問題が起こらなかった地域は、ミュンスタータント、バイエルン、アルプス地方などの一子相続制が行われていた地方である。一子相続制によって、独立を許されたものだけが結婚が可能となる、いわゆるヨーロッパ流結婚制度が維持されていた。

2011-07-21 14:53:51
くろの@お勉強 @stu_clono

そのため結婚率は低く維持され、過剰人口のそもそもの原因である人口増加が起こらなかったために、過剰人口も起こらなかった。

2011-07-21 14:56:08
くろの@お勉強 @stu_clono

また、東エルベ地方でも問題は起こらなかった。東エルベ地方はこの時代にドイツで最大の人口増加があった地域だが、1770年代に啓蒙絶対王政が始めた開墾運動によって過剰人口は起こらなかった

2011-07-21 15:05:22
くろの@お勉強 @stu_clono

開墾運動と、19世紀初頭の農民開放によって生存資料が大きく増加し、東エルベ地方の人口扶養力は大きく拡大した。加えて開墾による大きな労働需要が人口増加を吸収したため過剰人口は避けられた

2011-07-21 15:10:46
くろの@お勉強 @stu_clono

ザクセン王国では、早くに産業がおこり、イギリスと同じように雇用増加がおこり過剰人口は生じなかった。

2011-07-21 15:13:50
くろの@お勉強 @stu_clono

激しい過剰人口と大衆窮乏化の地域

2011-07-21 15:18:13
くろの@お勉強 @stu_clono

モーゼル川流域と西南ドイツでは、激しい窮乏化が起こった。この農村地帯では、分割相続が行われていた。そのためヨーロッパ流結婚制度は維持できず、結婚可能人口が増加し、結婚率の上昇と結婚年齢の低下が起こった。

2011-07-21 15:21:23
くろの@お勉強 @stu_clono

また、分割相続によって細分化された農地では、人口増加に見合うだけの生存資料が確保できず、過剰人口と大衆窮乏化の問題は深刻な物となった。

2011-07-21 15:27:51
くろの@お勉強 @stu_clono

プロイセンでは、都市の手工業者に深刻な問題が起こった。プロイセンでは改革期にツンフト制度とギルドを廃止し、営業の自由が確保されたことにより、手工業者数は急増した。営業が自由なり経済基盤を持った職人たちは結婚の自由も獲得した。

2011-07-21 15:32:42
くろの@お勉強 @stu_clono

結婚が自由になったことにより、都市人口も増加した。手工業者数の増加によって職人同士の競争が激化し、価格低下を招き彼らは窮乏化し、人口増加がさらに過剰人口と窮乏化を深刻なものにした。

2011-07-21 15:35:37
くろの@お勉強 @stu_clono

農村工業地帯では最も悲惨な過剰人口と大衆窮乏化が起こった。ここでは問屋制家内工業が普及したため、農家にも工業による副収入があった。さらに子供は紡績部門の労働力として活用できるため、結婚率と出生率の上昇が起こった

2011-07-21 15:40:31
くろの@お勉強 @stu_clono

人口は増加した農村工業地帯だが、19世紀前半に機械化に失敗し、さらに自由貿易政策によってイギリスから良質かつ安価な製品が大量流入したため市場を失い最も深刻な窮乏化が起こった。

2011-07-21 15:43:06
くろの@お勉強 @stu_clono

ロマン主義は農村を美化し大都市批判をするがそれは誤りである。農村は、ロマン主義にいわれるように、昔から美しくあったのではなく、むしろ過剰人口かにおける農村は衛生問題など、多くの問題を抱えていた。

2011-07-21 15:46:58
くろの@お勉強 @stu_clono

農村が安定し美しい状態になったのは、産業化によって都市に人口が移動し、過剰人口が解消され秩序の回復が行われたからである。美しい農村は産業化によって生み出されたのである。

2011-07-21 15:48:16