狭義の産業化:経済学者ヒューズの定義。科学的知識の規則的な研究と発展を生産の体系に応用、分業を基礎とし労働生産性の向上を起こす。(=経済成長)
2011-07-17 19:22:28広義の産業化:フィッシャーの定義。技術・経済的、社会・政治的、精神的などの全体的な構造変化。文化ではなく人間の生活条件の大変化
2011-07-17 19:26:20第一世代は、産業革命の、都市への人口集中の結果である不衛生・大気汚染・多湿なスラム街の形成、道徳的堕落、貧困、景気の変動や失業などの生活の不安定さなどの社会的側面に関心を当てていた。このような生活の悪化などから悲観論が生まれた
2011-07-17 23:14:23産業革命は、産業面では、ギルドなどによる中性的規制下にあった産業を自由放任主義の競争へ、また技術の発達により家内工業を工場制工業に変化させた。また農村の人口増加が都市での安い労働力の確保を容易にし、都市工業の発展に貢献した。
2011-07-17 23:22:16ポール・マントーは冷静に、また客観的な姿勢で農業、工業、商業・サーヴィス業の経済的分析を行った。そして、産業革命はその起源を古い時代に持ち、成長は急だが統計的に見ると突然の変化とはいえない、という連続説を称えた
2011-07-17 23:40:00アシュトンは、産業革命という言葉の不的確性を指摘し、長期的、漸進的だと述べた。また経済では取引費用の低下や市場統合度の向上が起こり、知的分野では教育の役割が変化し、生活水準も上昇したとした。
2011-07-17 23:48:08人口規模が決まるには、人間が生存するには生存資料が必要であるということ、また人間の生殖力は強大不変であるという公準が存在する。
2011-07-18 00:04:52この公準と、人工は幾何学級数的に増加するが、食料は算術級数的にしか増加せず、結果として人口規模の天井が生まれ、それ以上の人口増加は不幸と悪徳を招くという歴史的研究結果から、マルサスの三命題が導きだされた。
2011-07-18 00:05:33マルサスの三命題とは、人口は必然的に生存資料によって規制されるという規制原理、人口は有力かつ顕著な妨げによって阻止されない限り、生存資料の増加するところでは常に増加するという増殖原理、これらの妨げや人口と生存資料を均衡させるものは全て道徳的抑制、悪徳および困窮にあるという規制原理
2011-07-18 00:13:55前産業化時代のヨーロッパにおいて死亡率をを規定していたのは、ネズミによるペストの流行と、都市の機能である。都市は人口が密集し、また衛生状態が悪く病原菌の感染度が高かった。そのため都市の死亡率は高かったが、都市人口は維持されたままだった。
2011-07-19 22:53:33それは農村で増えすぎた人口が都市に流入していたからである。そしてまた都市で人口が減少し、再び人口の流入と減少が繰り返される。つまり都市は人口調整機能を持っていたのである。ペストと都市の人口調整機能が死亡率を規定していたのである。
2011-07-19 22:57:11前産業化時代のヨーロッパで出生率を規定していたのは、ヨーロッパ流結婚制度である。この時代のヨーロッパでは、経済基盤を持ち自立が可能な者だけが結婚することができた。つまり、農村では保有農として土地をもつこと、都市では手工業の親方や商人となることが条件だった。
2011-07-19 23:05:40またそれによって結婚年齢も高かった。つまり出生率は、ヨーロッパ流結婚制度による高い結婚年齢と低い結婚率によって規定されていたのである。
2011-07-19 23:07:50前産業化時代では人口変動の主導権は死亡率にあったが、現在では死亡率は一定水準で安定し、出生率に変動する自由があるため、出生率に人口変動の主導権がある。
2011-07-19 23:09:16マルサス的危機を回避できたのは、産業化が起こったからである。農業は、収穫逓減産業であるため、生産性が向上しても天井が存在する。対して製造業などは収穫逓増産業であるため、労働人口の増加は労働生産性を向上させる。
2011-07-19 23:42:20過剰人口と大衆窮乏化を解決した要因は、産業化によって工業部門での技術革新と労働生産性の持続的向上が起こったことと、収穫逓減産業である農業から収穫逓増産業である工業、さらには商業やサーヴィス業に労働力の移動があったことである。
2011-07-19 23:47:00